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「夏目漱石を読む」吉本隆明

<漱石の偉大さ>
「漱石がわたしたちに偉大に感じさせるところが
あるとすれば、つまり、わたしたちだったら、
ひとりでに目にみえない枠があって、この枠の
なかでおさまるところなら、どんな辛辣なことも、
どんな自己批評も、どんな悪口も、なんでもいうと
いうことはありうるわけですけれども、漱石は、
そういう場合に真剣になって、度を越してあるいは
枠を超えちゃっていいきってしまうところだとおも
います。
・・・
しかも言い方が大胆で率直なものですから、すこしも
悪感情をもたせないんです。
・・・
ためらいもないし、また利害打算もどこにもなくて、
ほんとに心からいいきってしまうところが魂の大きさ
で、なかなかふつうの作家たちがもてないものですから、
偉大な文学者だなとおもうより仕方ないわけです。」

<知識人の憂鬱>
「「二百十日」や「野分」のような作品で、漱石は
ものすごい勢いで社会的な特権階級に成り上った
明治の富有者たちを、えげつないものとして、
登場人物をかりて攻撃しています。
そして、明治の成り上った分限者たちが、知識とか、
人間の人格とかというようなものを軽蔑する文明の
行方が、どんなに堕落していくかはかり知れないと、
声をおおきくして叫ばせています。」

<作家と思想家>
「明治以降、ただ一人の作家をといわれれば、漱石を
挙げる以外にないとおもえます。
それから、一人の思想家をといえば、柳田国男を挙げる
より仕方がない。」

<勝つものは必ず女である>
「女の二十四は男の三十にあたる。理も知らぬ、
世の中がなぜ廻転して、なぜ落ちつくかは無論
知らぬ。大いなる古今の舞台の極まりなく発展
するうちに、自己はいかなる地位を占めて、いか
なる役割を演じつつあるかは、固(もと)より
知らぬ。ただ口だけは巧者である。
天下を相手にする事も、国家を向うへ廻す事も、
一団の群衆を眼前に、事を処する事も、女には
出来ぬ。女はただ一人を相手にする芸当を心得て
いる。
一人と一人と戦う時、勝つものは必ず女である。
男は必ず負ける、
具象の籠の中に飼われて、個体の粟(あわ)を
啄(ついば)んでは嬉しげに羽ばたきするものは
女である。
籠の中の小天地で女と鳴く音(ね)を競うものは
必ず斃(たお)れる。」
(夏目漱石「虞美人草」より)

<漱石は最も偉大な作家>
「明治以降の文学者で射程の長い、息の長い偉大な作家は
何人もいますが、そのなかで少なくとも作品のなかでは
けっして休まなかった、いいか悪いかは別にして遊ばな
かった。
じぶんの資質をもとにしたじぶんの考えを展開しながら、
最後まで弛(たる)むことのない作品を書いたという点では、
息が長いだけではなくて、たぶん最も偉大だといえる作家
だとおもいます。」

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「真贋」吉本隆明

<親鸞>
「親鸞の教えで何が特徴かといったら、「修行
したら浄土、天国には行けないよ」と言ったこ
とです。
修行をしてはだめだというのです。僧侶がやる
ような修行をしたら浄土、天国へはいけないと
いうことを言い出したのです。
そして、もう一つ、・・・
「浄土」、つまりキリスト教で言う天国は、実体
としてはないと言ったのです。」

「僕はもともと無信仰ですが、親鸞はほとんど
無信仰に近いところまで仏教を持っていきました。
戒律もすべてやめました。・・・
ある意味で仏教にとどめを刺した人です。」
「善人が天国にいけるなら悪人はなおさら行ける。」

だったら悪人になればいいじゃないか。

それに対して、親鸞は
「じゃあ、いい薬があるからといってわざと病気に
なったり怪我をしたりするか。それはしないだろう。
だから、つくった悪はだめだ。心ならずも悪いこと
をしてしまったとか、ひとりでにこうなってしまった、
という悪の人は必ず救われるんだ」

「一人のときにはたった一人も殺せないのに、たとえば
戦争になると百人、千人殺すことはあり得る。
それはその人自身が悪くなくても、機縁によって千人
も殺すということはある。
だから、悪だから救われない、善だから救われるという
考え方は間違いだ、ということです。これはすごく
いい言い方だと僕は思いました。」
<職業選択の難しさ>
「よく出版社に入りたいという人に話を
聞くと、将来作家になりたいからと答え
る人がいます。でも、もし将来、もの書
きになりたいと考えているとしたら、編
集者という職業は近いようで一番遠いと
ころにある職業と考えたほうがいいでし
ょう。
・・・
長年編集者をやっていて小説家になった
という人は、ほとんどいません。僕の知
っている人で、一人としてそんな人はい
ません。
なぜかと言えば、それが編集者という仕
事の持つ毒なのです。「目高・手低」と
いうことです。」

<老人は超人間なのだ>
「老人というのは、人間の中の動物性が
極限まで小さくなった、より人間らしい
人間であって、それは老人が本来評価さ
れるべき点だと思うのです。
若い者は年寄りを侮りますが、僕に言わ
せれば、老人は「超人間」なのです。」

<生き方は顔に出る>
「計算高さは、顔や挙措振る舞いの中に
自然に出てきてしまうということです。
恋愛関係であろうと、一般的な人間と人
間の関係であろうと、それはあまりいい
印象を相手に与えません。
利害関係を自分の中でどういう心がけで
持っていたらいいのかは、その人の全体
の人格に関することだと思います。
利害ばかり考えていたり、言っていたり
すると何となくそれが全体ににじみ出て
きて、相手にもあまりいい印象を与えな
いかもしれません。」

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「吉本隆明全著作集15」

<宮沢賢治の童話>
「自分(隆明)などが斯う言ってよいか悪いか
判りませんが、彼(賢治)の童話作品に至って
は恐らく我が国空前絶後の作品であると思いま
す。」

<宮沢賢治の詩歌>
「彼(賢治)が日本の詩歌の伝統的系列の中で
占める位置はそれら(高村光太郎、三好達治、
中原中也、立原道造・・)の人の位置よりは
遙かに巨きく、且つ独自であると思います。」
「田を耕しながらでも詩や童話は書ける、
けれどもそのためにはどんな僅かなエネルギー
でも他の事に用ひてはならない」
(宮沢賢治)
<宮沢賢治、生命の悲しみ>
「彼(賢治)の作品には「生命の悲しみ」とも
言ふべき一つの悲哀を帯びた調子が一貫して
流れている事なのです。それは実に大きな悲し
みであり、私達の魂を奥底からゆすぶってさら
ひ去って行くやうなものなのです。
何か自然の悲しみと言ひませうか、山川草木の
悲しみと言ひませうか、その様な確かに宇宙の
創造的な意志に付きまとふやうな本質的なもの
なのです。生々流転の悲しみなのです。
ここに「悲しみ」と言ふ言葉を用ひましたが、
これは普通私達が用ひている悲観と言ふ意味と
は全く異り、更に大きな深い、(その中には
私達が喜びとか楽しみとか呼んでいるもの
すべて含まれている様な)意味の悲しみです。
他に言ひ現はすやうな適当な言葉は見付かりま
せんが、仏教で言ふ「無常」と言ふ言葉が表現
している、その本質実体とも言ふべきものに
通ふ悲しみなのです。
私は仮にそれを「生命の悲しみ」と名付けま
した。」

<宮沢賢治1896-1933の生き方から学ぶ>
「私達は彼(賢治)の作品の中から真の生き方を
求めるべきであります。大きな銀河系にとどく様
な正しい意志を汲み取るべきであります。」

1933年9月21日,賢治「臨終の時は彼の側には母
一人がいて、彼は母親に礼など述べていたが、
ガーゼにオキシフルをひたしたもので身体をふき、
母親が一寸後を振返った時には既に帰するが如く
示寂していた。」

「大正から昭和初期に亘って稀有の壮大な宇宙感
覚と、高貴な生活と、肯定精神とを掲げて、東北
の青暗い風物の中で深浄な輪廻の舞を舞ったこの
一個の魂は、北上残丘の彼方へ遠く果しなく消え
て行った。もう彼は還らない。この稀有の偉大な
風格は再び日本の国土に生れかはらない。
後代は日本の生んだ最後の聖者として聖宮沢賢治
を遇するだろう。」
<宮沢賢治論>

・空前絶後の詩「雨ニモマケズ」

昭和6年(1931)11月3日、36才(1933.9.21没)
病床の中で「雨ニモマケズ」を手帳に記す。
「精神の高さに於て空前絶後の詩であります。」

「東洋が近代ヨーローッパを超克し得る唯一つ
の残された道を私は宮沢賢治から学ぼうとする
ものです。
私たちがむしろ宗教的な信仰に似た謙譲な心で、
彼を巨大な星のやうに仰ぐことが出来るのは、
ゲーテの言ふ「どんなときにも青空を仰ぐやう
な眼と心の余裕」を彼が持っているためでは
ないのです。掬めども掬めども尽きぬ深淵が、
恐らくは波音一つたてずに静かに青く湛(たた)
えられている彼を見るがためなのです。
どんな嵐がきてもゆるがない静かな巨大な肯定
精神の源泉を彼が持っているからなのです。」

・新しさはどこからくるのか

「彼の童話にしろ或は詩作にしろ一つとして
新しくないものはなく、彼だけが築いている
特異の一宇宙を私たちは眺めるばかりなので
す。私は彼が一切の伝統を無視し、固定した
思想を無視し、刹那刹那の時間軸の上を横転
している、その豪壮な決断が一体何に由来し
ているかを考へずには居られませんでした。
・・・
彼の残している足跡、彼の抱いている思想的
な色合は、最も日本的なものであり、最も日
本人以外の何者でもないことを示しています。
彼は言はば一切の伝統を無視し、過去を問は
ないことにより、却って日本的な自己を生か
し切ったと言ふことが出来ます。」

・日本の進むべき方向

「私は宮沢賢治を前にして新しい日本の叡智が
進むべき方向を、一つの可能性として見出し、
未来に明るい光を見るやうな気がするのです。
あらゆるものが行きづまった、そのやうな日本
に於て、新に急旋廻してくる光明の方向はどん
なにか私たちの勇気を振ひ起させるかも知れま
せん。
・・・
私は彼が自身のうちに原始と終末とを持った、
唯永遠の現在であるとしてその作品に対するこ
とが最も賢明なものであると信ずるのです。」

・異常?感覚

「彼は億光年の太陽系外の事をもまるで、眼前
にあるもののやうに平然と且又十分な具体性を
以て受感し描出すことが出来ました。
これは時間と言ふことについても全く同様でし
た。彼は壮大な地質時代の時劫の流れを如実に、
体験として把握し彼自身が第三紀新生層の上に
生活し、思想し、自由に飛翔することが出来ま
した。
彼は人類を横の拡りとして確実に眺めることが
出来たと同様に、幾十万年の歴史的な流れとし
て人類を眺めています。
彼が空間と時間に対する受感に於て常人に勝る
深度と奔放さを持っていたことは確かに彼の作
品を不可思議なものに致しました。」

・宮沢賢治は語る

「これは決して偽でも仮空でも窃盗でもない。
多少の再度の内省と分析とはあっても、たしか
にこの通りその時心象の中に現はれたものであ
る。故にそれはどんなに馬鹿げていても、難解
でも必ず心の深部に於て万人の共通である。
卑怯な成人達に畢竟不可解なだけである。」

・漱石と宮沢賢治、孤独の質

「宮沢賢治の孤高もレベルを絶した偉大な魂
の悩みとしては、漱石と同様なものに外なり
ませんでした。
けれど不思議な事に彼の孤高の精神は少なく
とも外面的には低俗な周囲との調和を失って
は居ません。ここに宮沢賢治の特異性があった
やうに思はれます。」

「彼(賢治)の孤独の精神が低俗への反発から
由来したのではないといふ事は、彼が人間性に
対する深い苦悩よりも自然科学的な修練の結果
としてその孤独の精神を抱いたことを意味して
います。
そしてその結果は彼の孤独性に得も言はれぬ寒
冷な部分を導入致しました。
夏目漱石の孤高は内的には惨憺たる自意識の格
闘があり、外的には周囲の低俗との激しい反発
に露呈していますが、その根源に於て人間性に
対する暖い愛を感じさせ、その愛が余りに清潔
であったための悲劇と解することが出来ます。
漱石の苦悩には暖いものがあふれているのです。
しかるに宮沢賢治の孤独は周囲の低俗とは調和
を保ちながら、実は徹底した冷たさを感ぜずに
は居られません。
人々は彼の孤独に於て人間性の底に横はる愛を
発見することは出来ないのです。
・・・
彼(賢治)の孤独は低俗に対する孤独ではなく
て、大きな自然の輪廻の中におかれた人類の心
の孤独と言ふことができます。」

・宮沢賢治は全ての人に理解され、全ての
人に理解されない。

「すべてのものに愛をそそぐといふことは
一面には明らかに誰をも愛さないといふに
外なりません。
・・・
私は眼前に宮沢賢治と相対したとしたらさ
ほど難解な人ではないと確信致しました、が
問題はこれだけでは解決しません。
・・・
彼の跡した業跡と風格を考へるとき、追へ
ども追へども尚不思議な未知の混沌を彼から
感ぜずには居られません。
・・・
私は彼(賢治)を攻撃する声は永遠に聴く
ことはないやうな気がします。」

・宮沢賢治と日本

「創造することは宿命に対する諦観を意味し
ました。
・・・
宮沢賢治には暗澹とした苦渋はありません。
彼の作品には冷く鋭い感覚が自然の風物と
交流し、途方もない空想と奇抜な大らかな
構想は、精神の世界から離れた不思議な安
堵さを感じさせました。
・・・
もし創造という言葉が冠せられるとしたら、
彼の作品程その名にふさはしいものはなか
ったでせう。彼の作品は徹頭徹尾無からの
生成に外なりません。
・・・
彼に取ってはあらゆるものは本質的に善で
も悪でもありませんでした。
・・・
彼は真善美をも彼の作品に中に示しません。
・・・
彼の作品は「ただ行はれる巨きなもの」で
した。
・・・
彼が人類の幸福を言はうが、実在を否定し
やうが少しも無理な感じを伴ひません。
それは彼が足を地から離して流転している
からなのです。彼の思想の場が何処に変ら
うと、それは唯彼の一つの相を現はしてい
るに過ぎないのです。
・・・
私は苦悩を背負ひ切れなくなったとき彼の
ふところに帰って行くやうでした。けれど
彼は苦悩を解いて呉れる人ではないことを
私は知りました。
・・・
彼の門はつねに開いているのですが余りに
高く到底私には這入れる門ではありません
でした。
・・・
私の青春期初期の貴重な幾年かは宮沢賢治
との連続的な格闘に終始しました。
・・・
宮沢賢治には祖国がない。けれど彼が日本
の生んだ永遠の巨星であることは疑ふべく
もありませんでした。
彼の非日本的な普遍性に対して私は考へつ
づけました。
・・・
そして私は終に一つの結論に達しました。
それは独創することは彼の場合には一つの
宿命への諦観を意味したのだといふ一事で
した。
彼は一切の伝統をしりぞけ、既成の思想や
手法をしりぞけ、新たに自己の一点から創
造するときに、それが歴史的な生命と必ず
や一縷の繋りを示すことが出来ることを彼
が体認していたといふ事なのです。」

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「最後の親鸞」吉本隆明

<最後の親鸞は「教行信証」にはいない>
「わたしが「教行信証」の核心として読み
得たものは二つある。
ひとつは<浄土>という概念を確定的に位
置づけたことである。
・・・
(もうひとつは)「涅槃経」に説かれた大
乗教の究極の<空無>の理念を是認するた
め、ひとつの手続きを確定した。・・・」
(昭和五十六年六月二十一日吉本隆明)

「「教行信証」は、内外の浄土門の経典か
ら必要な抄出をやり、それに親鸞の註釈を
くわえたものである。
・・・
最後の親鸞は、そこにはいないようにおも
われる。」

<<知>にとっての最後の課題>
「<知識>にとって最後の課題は、頂きを
極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらく
ことではない。頂きを極め、その頂きから
世界を見おろすことでもない。頂きを極め、
そのまま寂かに<非知>に向って着地する
ことができればというのが、おおよそ、ど
んな種類の<知>にとっても最後の課題で
ある。」

「どんな自力の計(はから)いをもすてよ、
<知>よりも<愚>の方が、<善>よりも
<悪>の方が弥陀の本願に近づきやすいの
だ、と説いた親鸞にとって、じぶんがかぎ
りなく<愚>に近づくことは願いであった。
愚者にとって<愚>はそれ自体であるが、
知者にとって<愚>は、近づくのが不可能
なほど遠くにある最後の課題である。」

<凡夫のしるし>
「「念仏をとなえても、踊りあがるような
歓喜の心があまりわいてこないこと、また、
いちずに浄土へゆきたい心がおこらないの
は、どうしたことなのでしょうか」と訊ね
ましたところ、「親鸞もそういう疑念をも
っていたが、唯円房もおなじ気持を抱いて
いたのか。よくよくかんがえてみるに、天
に踊り地に躍るほどに喜ぶべきことなのに、
喜ぶ心がわいてこないというのは、凡夫の
しるしで、ますます「きっと往生できる」
とおもうべきではあるまいか。」
(「歎異抄」9 吉本訳)

<知の放棄>
「法然と親鸞のちがいは、たぶん<知>
(「御計(おんはからひ)」をどう処理
するかの一点にかかっていた。
法然には成遂できなかったが、親鸞には
成遂できた思想が<知>の放棄の仕方に
おいて、たしかにあったのである。」
<善人ぶるな>
「「たとえ牛盗人といわれても、あるい
は善人、あるいは後世を願う聖とか、仏
法を修行する僧侶とみえるように振舞って
はならない」と(親鸞聖人は)云われた」
(「改邪鈔」3 吉本訳)

<浄土と現世>
「親鸞にとって、現世の憂苦こそは浄土
への最短の積極的な契機であり、これを
逃れるところに浄土があるという思想は、
すでに存在しなかった。
だが、時衆では、現世が憂苦であるがゆ
えに、浄土は一刻もはやく現世を逃れて
到達すべき荘厳の地であった。
このちがいは親鸞の思想を、浄土宗一般
とわかつかなめであった。」

「法然の教義をつきつめていけば、現世
をいとい来世をもとめるという思想を徹
底化してゆくよりほかはない。」

<易行は至難なり>
「易行がもっとも至難の道だ。なんとなれ
ば人間は<信>よりさきに、すぐにすこし
でも善い行いをと思い立ったりするからだ。
この思いは、すこしでも楽な姿勢をという
思いとおなじように、人間につきものの考
え方である。
親鸞は<信>がないところで、易しい行い
にしたがうことが、どんなに難しいかを洞
察したはじめての思想家であった。」

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「親鸞復興」吉本隆明

<修行概念の解体>
「親鸞まできて日本浄土教の思想は、完全に
仏教の修行という概念を解体してしまった。
もちろんヨーガ的な心身集中法をもとにした
仏教の僧侶の修行の概念も解体してしまった。
そのうえ戒律の概念も出家の概念も解体した。」

<念仏の数>
「念仏は1回でいいのかとか、たくさん称え
なければいけないのかということが、お弟子
さんたちのあいだで問題になりました。
親鸞はそれにたいして、いや一遍でいいとか
たくさん称えなければいけないとかという考
え方は一切いけないんだ、念仏は時を選んだ
り場所を選んだりしないで、弥陀の他力の中
に包まれるというかたちでおのずから出てく
るということで、何遍称えればいいとか、十
遍称えればいいと言っているわけではない、
とにかく「乃至十念」ということは、時と場
所とを選ばないということなんだという理解
のしかたを親鸞はお弟子さんたちに告げてい
ます。」

<寄付しなくてもよい>
「かりに、アフリカの困っている人たちを
助けるために一人十万円だしてくれってい
う人がいたとします。
これはいいことなんだから絶対出してくれって
言われたら、ちょっときついね、それどうし
ようかと思い悩むことがありうるわけです。
それにたいして親鸞は、きっぱりと、たとえ
れば、わたしはそれなら念仏でも称えますって
いうふうに断ればそれでいいんですよ、悩む
ことはないんですよって言っていると思いま
す。」

<阿弥陀仏>
「つまり親鸞になりますと、ほとんど、実体と
しての浄土というのは信じられていないし、ま
た阿弥陀仏についても人間の形、いわゆる仏像の
形をしていて、人間のように目鼻があってという
ようなことはもちろん信じていません。それを
否定しています。
ようするに無上仏というのは形のないものだ、
ただ人々を無上仏にまでもっていきたいために、
その手段として阿弥陀仏というのはあるんだ、
そうじぶんは理解していると、親鸞は、かれこれ
八十六、七歳のときに、弟子に語っています。」

<一遍>
「法然からいえば弟子の弟子、孫弟子に当たり
ますが、一遍上人という人がいます。・・・
一遍にとって<浄土>とは、死んだあとでゆける
ところだという意味でいえば法然と同じです。
・・・
それでは<浄土>とはどういうところか、どう
いうふうに願ったらゆけるのかということが
問題になってくるわけです。
そこに至って、・・・・
一遍という人は一切の物を全部放棄してしまえ、
放棄してしまって名号を願えば、つまり執着を
どこにももたないようにして名号を願えば、願
ったその場所、その時刻、その瞬間がすでに
浄土なんだ、という言い方をしています。
・・・
一遍がいちばん傾倒したのは空也上人です。
・・・
一遍は空也上人の書いたものをいつも懐にもって
いたというエピソードがあります。」
「じぶんは人々とおなじようには住む処ももた
ないし、心に執着心ももたないし、それから特
別のお寺、修行場で修行するのではない、街中
を歩けば、その歩いてる街中、ゆくところ全部
が道場、修行場になってしまう、それがじぶん
の考え方だと空也上人は言っているわけです。
それが一遍がとても傾倒した言葉です。」

<すごいぞ!法然>
「<死>ということを基準にすれば、<死>に
たいして価値ある<生>は、愚純とか無知とか
にあるんで、知識とか高度なよい修行をすること
にあるんじゃないということです。
・・・
愚かさや無知の持つ一途さに人間的価値の大きさ
があるので、知識があるとか、善い行いをしてい
るとかということは、そんなにたいした問題じゃ
ないんだということを法然ははじめて言った人で
す。
・・・
人間の心の究極点を基準にすれば、知識がある
ということよりも、知識がないということのほ
うが価値があるんだよ。
また善行をつんだとか、あるいは社会的地位が
あるとかいうことよりも、ないほうが価値がある
生き方なんだよということを、法然ははじめて
言ったのです。
それはとても重要な意味をもつとおもいます。」
<法然のよさ>
「法然のよさは、・・・人間の価値観を、知識
とか善い行いとか、あるいは社会的地位が上だ
とか、お金持ちだとかそういうことに絶対おか
なかったことです。
そうじゃないんだ、逆なんだよ、という考え方
を確立したことです。
もうひとつは、源信の臨終正念、臨終の時の
念仏、あるいは臨終の時の<死>の儀式に対し
て疑いを最初にさしはさんだのが法然だという
ことになります。」
<一遍の偉大さ>
「一遍は病気ですが、偉大な僧侶だなとおもわせ
るところもあります。なぜかというと、こんな
ことを言っているのです。
ほんとにいい念仏往生とは何かというと、それは
妻子をもって、それから家ももって、財産ももって、
それでもって念仏を称え往生するというのが、
いちばんいいんだと言います。上根だということ
です。
二番目にいいのは、妻子はもたないけれども、
財産はほどほどにもち、住む処ももち、というの
が中くらいにいいんだ。
それでいちばん悪いのは、じぶんのように無一物
になって執着をすてないと、念仏往生ができない
ようなものだ、一遍はそう言います。
じぶんはじぶんが駄目な人間だと知っているので、
何かもつと往生できないと思うから、もたない
ようにしているという逆説を一遍は語っています。
現在にも通用する一遍の偉大さは、そういうところ
にあるとおもいます。」

<<死>の最も偉大な専門家、親鸞>
「ぼくなんかがいちばん偉大だとおもっている
のは、親鸞という人です。どうしてかというと、
病気でないからです。病気じゃないということと、
それからごくふつうの人の<死>ということが、
じぶんの考え方のなかにちゃんとひとりでに
含まれているということがとても重要だと思い
ます。
親鸞の思想が存在しなかったら<死>の専門家
とぼくらとをつなげる橋をかけることができない
とおもいます。
ぼくは親鸞がいちばん偉大な<死>の専門家だな
とおもっています。」

<正定聚>
「親鸞は、第一に、臨終念仏という考え方を
まったく否定しています。それからもうひとつ、
死ぬときになって一生懸命信仰して念仏を称え
ると、阿弥陀さまがやってきて、それでじぶん
を浄土へつれていってくれるという、そういう
源信以来の考え方をまったく否定しています。
どういう言い方をするかというと、ようするに
臨終を待つことはない。それから来迎を頼むこ
ともない。じぶんの信心が定まったときに往生
が定まるんだ、ということです。
それでは信心が定まった、そうしたらどうなる
んだ?ということがありましょう。
それにたいして親鸞はすぐに躊躇なく、
「正定聚の位に就けるんだ」と言います。
「正定聚」の位というのは何なんだ?
それは、死ねばすぐそのまま浄土へ直通できる、
そういう場所だと言っています。
それは生きながら信心が定まったときに、もう
そこにいっている。だから、生きながらそこに
ゆけるし、同時にその場所は、浄土に直通して
いる場所なんだということになります。」

<鈴木大拙>
「鈴木大拙という人は、・・・
一言でいってしまえば霊性という概念を、
固有に独自につくりあげた思想家だ、・・」

「大拙の霊性になかには、無分別智だけ
じゃなくて、分別智も、ちゃんと総合して
含まれているようにおもわれます。・・・
大拙自身はじぶんではよくわかってつくり
あげている概念のようにおもいます。
ただ、この大拙の霊性ということをわかる
ためには、どうしても宗教、とくに仏教に
たいする信仰がいるような気がするのです。」
「(大拙は第十八願にたいして)
一生懸命信仰して、言葉でいえば「至心に
信楽して」という状態は、大拙のいう、物
と心とが二元的に分かれていない状態に、
つまり悟りの状態にちかい状態に入ること
だと言うのです。大拙はそういう解釈のし
かたを十八願にたいしてやっています。
・・・
この理解のしかたは、一口にいいますと、
浄土教のかなめである十八願を、禅宗的に
理解したしかただとぼくにはおもわれます。
ぼくはそういうふうに十八願を理解して
いません。」

参考:<悟り>
「悟りとは、問いと自分が一体化することに
よって、問う者が問題を解こうと努めなくと
も解決がその一体性から、おのずから生まれ
てくる状態である。」(大拙)
「”悟りは人がその全心全体を消耗しつくし
たと思う時に、不意に来るものである”
悟りとは、決してクソ坊主が恐れ崇めるよう
なものではない。ただ、「全心全体を消耗」
した証なのである。」(大拙)

注:第十八願:真心をこめて弥陀の誓願を
信じて、念仏を十遍でもいいから称えたら、
かならず浄土に往生することができる。

「大拙は、考えが「大地」を離れない、ある
いは心が地面を離れないということを、浄土
教における<慈悲>を根本においているとお
もいます。この「大地」はどこからくるのか
ということは、ぼくにはまったくわかりません。
・・・
でも、何を言おうとしたのかはとてもよくわ
かる気がします。
この「大地」を離れた思考というのは、だい
たい抽象化されて、抽象化を推しすすめれば
物と心、物と精神とが全部二分化される。
だから、どうしても「大地」を離れてはいけ
ないんだという。
もし大いなる<慈悲>というものを離れまいと
すれば「大地」を離れてはだめだということ
でしょう。
・・・
日本浄土教の、法然、親鸞の思想から「大地」
という考え方を特徴として採り出したのは、
ぼくの知っているかぎりでは大拙以外にはあり
ません。これは珍しい考え方だといえるとおも
います。」

「ぼくが言っても、悟りがないから説明に
しかなりません。せめて信仰があるといい
のですが、それもないから、けっきょくは
解説というか、解釈になってしまいます。
・・・
大拙自身は心を持ったひとりの思想家です。
心はどこにあるのか、とつきつめてゆきま
すと、禅における「不生禅」、浄土教、浄土
真宗における法然、親鸞に至る教えに眼目を
つけて、そこにじぶんの考え方、じぶんの
感覚、じぶんの霊性とかんがえているものを
投影している優れた思想家であるということ
ができます。」
<蓮如ー親鸞思想の通俗化>
「話の内容は、親鸞のめがねを通して見た
蓮如ということになるとおもいます。
ですから蓮如を否定的にとらえる話になって
しまうのではないかとおもいます。
・・・
日本の浄土宗の眼目である十八願にたいして
蓮如はとてもいい理解を示していますが、
「在家止住のやから」という限定をつけて
います。こういう限定は親鸞にはないのです。
・・・
つまり教団から(蓮如は)ものを言っている
ことを意味しているわけです。
・・・
そういうところに蓮如の洞察力のおよばなさ
があらわれています。」

「蓮如は(輪廻転生を)実体化しています。
しかし、親鸞は一度もそういう言い方はして
いません。」

<新新宗教>
幸福の科学:大川隆法「太陽の法」
統一教会:「原理講論」
オウム真理教:麻原彰晃「生死を超える」

「読むたびに感じる印象は、一種奇妙な、
ある意味で病的、ある意味で読む人間の心
を打つ衝撃的な世界だということです。
・・・
特徴はふたつあります。ひとつは、どの
主張を読んでも、一種の早道を通っている
感じがします。それは直線コースを通って
いるという意味ではなく、ある地点からある
地点へ到達するのに、大なり小なり短絡路を
通っているということです。
宗教と思想の大道をまっすぐにすすんで
到達したという印象よりも、とにかく到達
することが目的で、遮二無二でも到達しよう
としています。
ですから、どこかで短絡しているという印象
です。
もうひとつは、いいことを言わなければ宗教
になりませんから、やはりいいことを言って
いるということです。その「いいこと」の
内容に立ち入ってみると、とにかくいいこと
を言っている。
そのふたつがとても強烈な印象です。」

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「宮沢賢治」吉本隆明

職業として、人造宝石の製造・販売を考えて
いた宮沢賢治。

年譜より

1896(明治29)岩手県花巻市に生まれる(長男)
1909(明治42)花城尋常高等小学校卒業。
6学年全甲、優等賞、精勤賞。県立盛岡中学入学。

1912(16歳、明治45,大正元年)
父あてに
「小生はすでに道を得候。歎異鈔の一頁を以て
小生の全信仰と致し候」と書く。

1914(18歳、大正3年)
看護婦に恋し、父に結婚の許可を求めて
戒められる。
島地大等編著「漢和対照妙法蓮華経」に感動。

1915(19歳、大正4年)盛岡高等農林学校に首席入学。

1916(20歳、大正5年)寮の部屋から法華経をあげる
賢治の力強い声が毎朝流れたという。

1918(22歳、大正7年)徴兵検査第二乙種で兵役免除。

1920(24歳、大正9年)
保阪あて書簡に
「世界唯一ノ大導師日蓮大上人」の「御命ニ
従ッテ起居決シテ御違背申シアゲナイコト」を
誓う。

1921(25歳、大正10年)家出決行。国柱会を訪れる。
本郷菊坂に下宿。出版社でアルバイトをしながら
創作に励み、これを「法華文学」と称した。
12月、雑誌「愛国婦人」に童話「雪渡り」その一
を発表、5円もらう。これが生前得た唯一の
原稿料といわれる。

1923(27歳、大正12年)一月、上京、本郷に下宿中
の清六に大トランクにつめた原稿を東京社へ持参
させるが、出版をことわられる。

1925(29歳、大正14年)
「多分は来春はやめてもう本当の百姓になります」
と手紙にかく。

1926(30歳、昭和元年)花巻農学校を依願退職。
十二月、上京、上野図書館で学習、タイプライター。
オルガン、エスペラント、セロを習う。

1931(35歳、昭和6年)嘱託技師として連日各地の
農業組合、肥料店を訪ねて宣伝につとめる。
9月、壁材料の宣伝・販売のため上京、たちまち
発熱し臥床する。死を覚悟し遺書を書く。
11月、「雨ニモマケズ」を手帳に書く。

1933(37歳、昭和8年)9月21日13:30永眠

 

<早すぎた信仰>
「おもうに宮沢賢治は、いちどもよく遊び、
ほかの子供たちと悪戯をやっては、侵犯する
こころを父母に叱られたり、きれいな女性に
胸をときめかして恋愛し、やがて結婚して、
楽しい生活をしようという発想をとったこと
はなく、開放されないこころの殻をやぶらな
いままに、宗教的な歓喜、有頂天、恍惚のと
ころまで登りつめてしまった。
・・・
世間知が足りない、経験からみちびいた叡智
がない。欲望のデカダンスを知らなすぎる。
・・・
きまじめな優等生の子どもが、やがて人なみ
の生活にめざめてゆく過程をたどる以前に、
とても早急にまた深く、信仰にとらえられて
しまった。」
<銀河鉄道の夜>
「言葉がつくりだした機能の<意味>と存在の
<意味>のあいだには、いくつもの階層がある
にちがいない。宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」で
やっていることは、この階層のそれぞれから放
射される多様な次元の<意味>を与えることだ
といえよう。
ジョバンニの父は存在の意味がなくて、<不在>
だし、作品に登場するほかの人物の言葉や行動
の描写の機能によってだけ意味づけられている。」
<無償の質>
「宮沢賢治の作品には、自在にのびちぢみし、
角度をかえながら景物にしみとおってゆく視線、
またその視線の全体を生と死の境界の向う側か
ら統御している眼がある。
わたしたちはそこに、物の像の恐怖や、蒼く暗
い色彩や、黄や白や灯火や星のような、きらきら
した花の色彩をみたりする。また宝石の硬質な
きらびやかなかがやきをみることもある。だが
視線のなかにいるかぎる言葉の意味は忘れられ
ている。
いちばんおわりのおさえ方をすれば、言葉で
つづった作品にはかならず意味がきっとつきま
とっていて、それからは逃れられない。言葉が
よびおこす像(イメージ)にじゅうぶん拮抗
しながら、同時に意味の官能をかれの作品に
あたえているのは、独特な無償の質と、それを
倫理へ組みかえ、もしかすると宗教的な情操の
要請にまでもっていくひとつの力能だとおもえ
る。」
<猫の事務所>
「宮沢賢治は、よいこころをもって振舞うのに、
まわりから侮蔑されたり、軽くあしらわれたり、
うとまれたりする生きものの姿を、すくなくと
もふたつの作品で描いている。
ひとつは「猫の事務所」のかま猫で、もうひと
つは「よだかの星」のよだかだ。」

「「猫の事務所」と「よだかの星」とで、もひと
つ関心をひかれることがある。それは宮沢賢治の
視線にある救いの構造ではなくて、関心の構造と
もいうべきものだ。
かま猫とよだかにあたえられた資質と境遇は、宮
沢賢治がつよい関心をもった登場人物(動物)の
ひとつの類型になっている。
ひとつの共通点は気が弱く片隅にちぢこまって、
まわりの言うままにうごかされて、おどおどいじ
けている存在だ。・・・・
いってみれば「ホメラレモセズ苦ニモサレズ」と
いう消極的な存在と境涯にあるものといっていい。
・・・
宮沢賢治が関心をよせ救いを願い、じぶんもまた
その場所にゆき、それらとおなじでありたいと
おもったのも、そういう存在だった。」
<なめとこ山の熊>
「熊捕りの名人小十郎と「なめとこ山の熊」たち
の関係は、猟師と獣の関係で、殺したり殺されたり
する。だが好きあった気ごころのしれたあいだがら
になっている。」

猟師は、生活のために熊を殺している。ある時、
熊と対面する。熊は2年、待ってくれという。
2年後、熊は約束を守り、猟師の家の前でじぶん
から死んで約束を履行する。
その後、猟師は、べつの熊に殺される。
「おお、小十郎おまへを殺すつもりはなかった」
という熊の声を小十郎は聞いた。
<めくらぶだうと虹>
「「アリヴロンと少女」と「めくらぶだうと虹」
は、同原異稿の枝わかれ作品だ。・・・
「めくらぶだうと虹」では、地をはう低く動け
ないめくらぶだうと、空の高みにかかるきれい
な虹のあいだにうらやましさが交換される。
束の間のいのちしかない虹が、めくらぶだうの
いのちの永さをあげ、ひくく地面をはうめくら
ぶだうは高く空にかがやき、草や花や鳥がたた
える虹の姿をうらやみ、いっしょにいきたいと
うったえる。だが虹はそれにこたえないうちに
消えかかる。」
<小岩井農場>
「彼(賢治)には性欲の抑圧や昇華はあったろうが、
性や恋愛にまつわる挫折はない。また宗教的な願望
に固執するあまり、生涯の生活を挫折させたとはい
えるが、生活の挫折のあげく宗教の救済感に変態し
たことはなかった。そうかんがえていいはずだ。
わたしたちは宮沢賢治の心理と生理の発達史を掘り
おこして、かれの意識と無意識のドラマを見つけだ
そうとしても、ガードがあまりにもかたくて、不可
能にちかい。
・・・・
(「小岩井農場」は)宮沢賢治のもつ感性と理念を
綜合したひとつの世界を、まるでクロマトグラフィー
で分離したように、はっきりと要素にわけて展開し
ている。その意味ではかれの詩のなかでいちばん有
機的な生命と理念を語る作品だといえる。」
<擬音>
「宮沢賢治ほど擬音のつくり方を工夫し、たく
さん詩や童話に使った表現者は、ほかにみあた
らない。
・・・・
かれは幼童をよろこばせるために童話を書いた
のではない。また幼童が好きだという理由で童
話を書いたのでもない。またかれ自身が幼童性
をもった未熟なこころだから童話を書いたので
もない。
仏教の信仰による幼童の教化というモチーフは
あったかもしれないが、それもじぶんが内がわ
から燃焼して白熱すると、じぶんでこわしてし
まっている。ただかれは、普遍的な年齢のため
の童話という矛盾を書く必然(宿命)をもって
いた。そしてこれだけがかれの擬音に、理念の
意味をあたえた。」

<擬音2ー神の如き童貞のエロスとして>
「もしかすると作者がエロスを遂げようとする
無意識の語音のようにもおもえる。
体内から精液を一滴ももらしたことがなかった
ものは、世界にじぶんをふくめて三人しかいな
いと知人に語ったという伝説が、宮沢賢治には
ある。
もしエロスの情感が性ときりはなされて普遍化
でき、その普遍化が幼童化を意味するとすれば、
まずいちばんに擬音の世界にあらわれるとは
いえそうな気がする。」
<地名・人名の造語>
「宮沢賢治は地名や人名を作品のなかでたくさん
造語した。
・・・
賢治の造語した人名と地名は度外れにおおいし、
度をこして徹底していた。それははるかに趣向の
境界をこえていた。
・・・
「あらゆる事が可能である」ためには、ほんとは
あらゆる実在の場所や、じっさいのこころのうご
きに無縁でなくてはならない。だがそれは不可能
だ。
わたしたちの命名はどれもじっさいの場所と、こ
ころのうごきとにどこかで、何かの経路でつなが
らなくては可能でないからだ。
・・・
たとえば、イートハーブという地名造語は岩手県
地方の暗喩といえるし、ハーナムキヤという地名
は花巻の暗喩だし、モーリオ市という地名は盛岡
の暗喩だ。
・・・
ペンネンネンネンネン・ネネムとかケンケンケン
ケンケンケン・クエクとかいう人名になるとそれ
は人名の物語化だといえよう。
・・・
造語の世界は、純粋に魔術的な世界だといえる。」

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「漱石俳句集」

菫(スミレ)ほどな小さき人に生れたし

初夢や金も拾わず死にもせず

白菊と黄菊と咲いて日本かな

何となく寒いと我は思ふのみ

行く年や膝と膝とをつき合せ

貧といへど酒飲みやすし君が春

楽寝昼寝われは物草太郎なり

そそのかす女の眉や春浅し

あるほどの菊抛(な)げ入れよ棺(かん)の中

手習や天地玄黄梅の花

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三島由紀夫

「(豊穣の海」四部作は)・・
意図して古風な、時代に背いた重みのある文体を
えらび、真実といえども格調にそわずに醜ければ
捨ててしまい、登場人物たちの一挙手にも一投足に
も大文字の荘重な雰囲気をもたせることで、言葉の
走りと行動の走りを統一させようとする理念にほか
ならなかった。」
(「新 書物の解体学」吉本隆明)

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「古今和歌集仮名序」紀貫之

「やまと歌は人の心をたねとして、よろづの
言(こと)の葉とぞなれりける。
・・・
力をも入れずして、あめつちを動かし、
目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと
思はせ、男女(おとこおんな)のなかをも
やはらげ、猛(たけ)きもののふの心をも
なぐさむるは、歌なり。」

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レオンハルト・オイラー

レオンハルト・オイラー1707-1783

31才で右目失明、64才で左目も失明、
12年後、死亡。

オイラーは無限個の数の合計を求める、無限級数
の問題が大好きだった。

1+2+3+4+5+・・・・・・=-1/12

無限に数を足してその合計がマイナス十二分の一??

この値は、素数と関係する「ゼータ関数」と呼ば
れる特別な関数の性質を使うと出る!らしい。

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院号と院殿号

「鎌倉時代では、院号は上皇や皇族や貴族などの
朝廷関係者用で、武家は院殿号でした。つまり
院号が上位で院殿号はその下だったのですが、
室町時代頃から逆転して、院殿号の方が上位に
なりました。」

文献院古道漱石居士(夏目漱石)
露伴(幸田露伴)
懿文院龍之介日崇居士(芥川龍之介)
彰武院文艦公威居士(三島由紀夫)
伯藝院殿覚圓蟲聖大居士(手塚治虫)
風々院風々風々居士(山田風太郎:生前に自ら定めた戒名)
大佛次郎居士(大佛次郎)

勝満 (聖武天皇)
国泰裕松院殿霊山俊龍大居士(豊臣秀吉)
惣見院殿贈大相国一品泰巖尊儀(織田信長)
東照大権現安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士(徳川家康)
新免武蔵居士(宮本武蔵)
融仙院良岳寿感禅定門(石川五右衛門 )
智見霊雄(平賀源内)

(注:戒名とは、漢字2文字であとは飾り)
菊池寛、永井荷風は、戒名を拒否。

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「時間はどこで生まれるのか」橋本淳一郎

<現在の「時間」常識>
「われわれは「今」という瞬間を生きているが、
この「今」という瞬間は、自分の心の中にある
と同時に、この宇宙全体が「今」という瞬間に
あるのだと何となく信じている。
しかし、これは明らかに間違いである。
・・・
この宇宙全体に「今」という物理的時間など
存在しない(ニュートンの絶対時間はそう主張
するのだが、相対論はそれを明快に否定する。)」
<温度は時間と似ている>
「(原子の)乱雑な動きが非常に激しいとき、
われわれの皮膚細胞は激しく揺さぶられ、それ
を脳は熱いと理解するのである。
よって、一個の原子の温度などというものを
考えることはできない。
・・・
温度とはマクロな世界にだけ存在する概念で、
ミクロな世界にはないのである。」
<空間は虚である>
「時間が実数で空間が虚数という考え方は、
物理学では自明のことである。
(ちなみに、このような時空は、ミンコフスキー
空間と呼ばれている。)」

物理学者は、空間が虚数であるということに
何の抵抗も感じていない。
あたかも、銀行員が一億円という現金を前にして
無感動であるのと同じである。

<今という瞬間は誰とも共有できない(1)>
今現在の私は、(現在の他者によってではなく)
過去の他者によって規制されている。
今現在の私は、(現在の他者ではなく)未来の
他者しか規制できない。

補記:——————
<相対論の時空図>
紙に縦(時間)、横(空間)の線を引く。
さらに、x=0,Y=0で交差するx(バッテン)を引く。

紙面が四分割された。

上の部分が「絶対未来」
下の部分が「絶対過去」
左右の部分が「非因果的領域」(あの世)

<空間が虚という意味>
時空図の左右(空間)は、「非因果的領域」
なので、私と関わりをもつ実ではないのである。
(因果関係をもつためには、光速を超える情報
伝達手段が必要である)
<今という瞬間は誰とも共有できない(2)>
「ある人にとっての過去が、別の人にとって
は未来であるなどということは、ありえないと
思う人は、いまだ絶対時間という亡霊に取り
憑かれているのである。」

「相対論では、見る人の立場によって、同じ
事象(事件)が過去にも現在にも未来にも
なりうるが、それでも原因と結果の因果律が
破られることはない。」

ところが、量子論はより深刻な問題をもたら
した。
<ミクロの世界では「位置」や「速度」も消滅する>
「粒子の位置と速度は、粒子を観測していないとき
には、実在しない」

注:観測という用語の意味は、必ずしも人間が
その物理量を測定しているという意味ではない。
ある粒子を「観測」するとは、その粒子が、原子
の大集団であるマクロな物質と相互作用をすること。
<不確定性原理>
位置と運動量をかけ算した物理量の次元を「作用」
といい、不確定性原理は、対象としている二つの
物理量同士のかけ算が「作用」の次元になる
物理量の間だけで成立する。
<量子論の衝撃>
「ニュートン力学の登場によって、位置、速度、
質量、エネルギー、時間といった物理量が、より
基本的で実在的な特別の物理量であることが
明らかとなっていき、そして、量子論では、
さらにそれらの物理量の非実在性が暴露される
ことになったのである。」

<一個の電子はイメージできない>
「一個の電子というものを考える。この電子が、
この宇宙に存在することは事実である。
しかし、このときわれわれは、電子を一個の
ボールのような存在と考えてはいけない。
そのようなものとして見えることもあるが、
それは電子の本質ではないのである。
ではどのようなものと考えればよいのか。
それを感覚的にイメージすることは、不可能で
ある。
一個の電子をなるべくその実体に即して捉える
ためには、抽象的な数学表現に頼るしかない。
たとえば、「無限次元複素ヒルベルト空間の
ベクトルである」といった具合である。」
<ミクロの世界では、位置や速度も消滅する>
「電子銃から発射されてブラウン管に向かって
真空中を飛んでいる途中の電子の、位置や速度
を問うことは無意味なのである。
無意味という意味は、このとき電子という存在
には、位置や速度というものが付随していない
ということである。
・・・
このような電子の存在を、われわれが認識する
のは、電子が他の物質と相互作用するときである。
(電子銃とか蛍光スクリーンとか)。
そしてこの「観測装置」が、一個の電子という
ようなミクロな存在ではなく、電子や原子の大
集団というマクロな存在であるとき、その電子
はある場所に点状に現れたり、ある決まった
速度をもった流れとして現れたりするのである。」
<原子100個でできた宇宙に時間は存在しない>

ミクロの世界に時間はない。ではミクロとマクロ
の境界をどこにもうけるのか?

「DNAの分子量を目安とすれば、少なくとも1兆個
の原子がなければ生命は存在しえないといえる
だろう。
(10ミリリットルの水は、1兆x1兆個に近い原子
からなっている)」

「一つの結論をいえば、われわれがもっている
人間的時間の概念は、少なくとも1兆個以上の
原子が存在するマクロな物質世界にしか通用しない
概念だということである。」
<時間が存在しない世界の振る舞いによって
定義される時間の基準>
「ミクロの存在である原子のふるまいによって、
1秒が正確に定義される。それゆえ、われわれは
ついうっかりと、ミクロの世界にこそ厳密な時間
が存在するのだと勘違いしてしまう。
ところが、話はまったく逆なのである。」

<1秒の定義>
「セシウム133原子の基底状態の二つの超微細
エネルギー準位の間の遷移に対応する放射の
91億9263万1770周期の継続]

しかし、これはあくまでも定義である。
1回の振動時間を計り、それを91億9263万1770倍
すれば1秒を正確にカウントできるわけだが
そのような測定手段は神様でもつくることは
できないのだ。

補記<1秒>—————
1930年代-1956年
地球の自転を基準(地球1回転の86400分の1を1秒)
100年に千分の一秒の誤差

1956年地球の公転を基準とした1秒に変更。

1967年現在使われている原子時に変更。
(原子時は,おおよそ160万年に1秒の誤差)
<無の世界>
「もし光子が意識をもっているとすると、それは
どのような世界を体験するのだろうか。
相対論が正しいとすれば、光速に近づくにつれて、
空間の縮みと時間の遅れは極限に達するから、
宇宙空間を飛んでいる光子は、一瞬のうちに宇宙の
果てに到達する。
つまり、光子にとって、宇宙の大きさはゼロであり、
流れる時間もまたゼロである。つまり、光子にとって
は時間も空間も存在しない。光子にとっては無である
ような世界の中に、われわれは広大な空間と悠久の
時間をみているのである。」
本書の最大の目的は、「時間の流れはなぜ過去から
未来にむかわなければならないのか」という問いである。

「相対論では、過去と未来は完全に対称的である。」
「相対論的時間はマクタガードのいうC系列なのである。」

<マクタガードのC系列>
生きている自分にとって、時間はいつも「今現在」である。
このような時間がA系列である。

歴史年表のような客観的な時間、つまり過去から未来に
向かって順番にならんでいる時間がB系列である。

C系列の時間とは、もはや時間とは呼べない、ただの
配列のことである。
例えば、1-田中さん 2-石川さん 3-鈴木さん・・・
単なる名簿であって、それらの数字の間に、時間的な
順序関係は何もない。
このような時間とは関係のない単なる配列を、C系列と
呼ぶのである。

マクタガードは言う「A系列の時間も、B系列の時間も
存在しない。しかし、C系列は存在する可能性がある。」
<過去へ旅する反粒子>
「素粒子物理学では、反粒子(反物質)は過去へ
「旅する」粒子と見なされる。これは比喩でも何
でもなく、あらゆる粒子にはその反粒子が存在し、
それらを未来から過去へ向かって進む粒子と見な
して、すべてが説明できるのである。
<ただ存在する、ということ>
「われわれの宇宙(時空)がC系列であるとすれば、
宇宙はただ存在するだけである。
そこには、空間的拡がりや時間的経過というものは
ない。・・・
時間も空間も存在しなければ、何ものも存在できない
だろうと考えがちだが、そうではない。
光子にとっては時間も空間も存在しないが、しかし
それでも光子は存在する。
実在とは、時間や空間を超越した何かなのである。
それは「モノ」ではなく、「情報」とか「関係」とか、
そういうなんらかの「コト」なのかもしれない。
・・・
カントもいうように、われわれは真の実在「物自体」
を認識することは、けっしてできないのである。」
<意思と時間>
「放っておいても、自然法則だけにしたがって、
ひとりでに秩序が持続するような世界に、「意思」は
生まれるであろうか?」

世界を神がつくったとするならば、何故、悪が存在す
るのか・・・という質問がある。
この本を読むと、”ひとりでに秩序ができあがらない”
世界だからこそ「時間」が生まれたのだ。
人は、平和を願い、全ての人が幸福になればいいと
考える、しかし、もしそれが実現されたとき、
私が想像するに、それは”時間がない世界”に等しい。
<宇宙は、C系列(時間とは呼べない、ただの
配列のこと)として存在するだけである>

われわれはA系列(今にのみ存在する)に生き、
そしてB系列(人間のみが持つ記憶、歴史の認識)に
生きる。つまり主観的時間を創造した。

「われわれは、ささやかではあるが、未来の宇宙を
どうするかの自由をもつ。すなわち、われわれは
宇宙の創造に参画しているのである。これは驚異と
しかいいようがない。
宇宙はただ存在するC系列なのに、われわれにとって
はまだその絵(宇宙)が完成していないように見える
のは、不思議ではない。
われわれの「意思」は刹那にしか存在せず、しかも
その刹那は誰とも共有できない、時空の一点の事象
にすぎないからである。「意思」はその狭い刹那の
時空に生きているのであり、そこには過去も未来も、
他の空間も存在しない。
驚異なのは、そのような「意思」が誕生したことで
ある。時間を創造し、そこに「生きる」という自由
を得た存在が、現に存在することである。」
<タイムマシン>
タイムマシンは可能であるか?
結論から言えば、可能である、というよりも
すでに反粒子のように、過去に旅する物質もある。

しかし、問題なのは、”人間”が過去へ旅すること
が出来るのか?ということである。
それは、出来ない。「意思」の問題である。
「エントロピー減少の法則が成立する宇宙には、
「意思」は存在しえない。」
「つまり、われわれは、人間的時間感覚を保った
まま、時間を過去へは遡れないのである。
「意思」のない物質であるなら、そういうことは
可能かもしれない。・・・
人間がそれ(タイムマシン)に乗るということは
たぶん死を意味するであろう。」

なぜなら、「意思」を亡くした人間などありえない
からである。
<ニーチェの永劫回帰>
「いかに多数とはいえ分子の個数が有限であるかぎり、
それらの分子が有限の空間の中をニュートン力学に
したがって動いているとすれば、有限の時間内に必ず
同じ分子配列が再現される。
それゆえ、今現在の宇宙(それには人間の活動も含まれる)
の状態は、はるか未来のことであろうが、そっくりそのまま
繰り返されるはずである。
よって人間の歴史もまた、未来永劫にわたって、無限に
繰り返されるに違いない。ニーチェはそのように考えた
のである。」
この永劫回帰は、机上の空論である。
われわれは、数学と物理学を厳密に区別する必要がある。

粒子が全空間を巡ることは、数学的には可能だが物理的
には意味のないことである。

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独身

・ソクラテス、50才まで独身
・プラトン、80年にわたって生涯独身
死ぬまで童貞だったと言われています。
・デカルト、生涯独身
・ニュートンは84年の生涯で「女性と手を繋いだ
ことすらない」という話がある。
・宮沢賢治は生涯童貞。
・レオナルド・ダ・ヴィンチ1452-1519:生涯独身。
・ベートーヴェン1770-1827:生涯独身。
・ライプニッツ1646-1716:生涯独身。
・スピノザ1632-1677:生涯独身。
・アンデルセン1805-1875:70才生涯童貞・独身。
・ニーチェ1844-1900:生涯独身。
・ショーペンハウエル1788-1860:生涯独身。
(「喪男の哲学史」本田透)

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「山岡鉄舟の武士道」勝部真長

<浅利又七郎>
鉄舟は剣の人である。
9才で、真影流を学び、10才で玄武館の竜虎と
称せられた井上八郎に北辰一刀流学び、
17才で江戸、千葉周作の道場で北辰一刀流を
続け鬼鉄と恐れられた。
その鉄舟を28才から17年間(明治十三年三月
三十日まで)苦しめた浅利又七郎とは?

一刀流は伊藤一刀斉に始まり
二代目、神子上典膳(みこがみてんぜん)
三代目、小野次郎右衛門忠常
これ以後、小野派一刀流と呼ばれる。
六代目、中西忠太が出て、中西派が生まれる。

中西派十二代目浅利又七郎
(若狭小浜藩酒井家剣術師範)
中西派十三代目千葉周作
浅利又七郎から「極意一刀流無想剣」の許しを
得、それを「無刀流」と名付けた。
明治21年(1888年)7月19日、早朝、辞世の句
「腹張りて苦しき中に明烏(あけがらす)」を詠む。
7:30am 沐浴、白衣に着替え。
9:00am皇居に向かって結跏趺坐。
9:15am結跏趺坐のまま、往生を遂げた53才。

鉄舟:身長188センチ体重105キロ

<山岡鉄舟の生涯>
1836-1888(明治21年)
御蔵奉行小野朝右衛門の五男として江戸、本所
大川端に生まれる。
10才、北辰一刀流を学ぶ
13才、禅を学ぶ
15才、岩佐一亭より入木道五十二世、「一楽斉」を名乗る。

注:「入木道」:書道と同義。
書聖・王羲之(おうぎし)が板に書を書いたところ、板を
削っても木の中まで墨がしみこんでいたという故事が語源。

16才、母死去(41才)
17才、父死去(父の遺産、3500両)
20才、江戸、講武所、千葉周作のもとで剣を修業。
   山岡静山に槍を学ぶ。
   山岡の妹英子(ふさこ)の婿となる。
28才、浪士隊(新撰組の前身)の取締役。
   浅利又七郎に出会う。
・・・
勝海舟、西郷隆盛との出会い、無血開城、
茨城県参事、伊万里県権・・・
・・・
37才、西郷のたっての依頼により明治天皇に仕える。

45才、三月三十日、大悟、滴水和尚の印可を受ける。
   浅利又七郎の壁をついに破る。
48才、全生庵(谷中)、鉄舟寺(清水)建立。
49才、白隠禅師の国師号宣下に尽力。
51才、大蔵経の書写を始める。
53才、胃ガン、2月より流動食のみ。7月17日死去。

会葬者5000人、「全生庵殿鉄舟高歩大居士」

<鉄舟の書>
生涯に100万枚書したという説もある。

健康を害してからでも、明治19年5月から7月までに
30000枚、その後の8ヶ月間に101,380枚を書く。
死の1〜2年前のことである。

<偽物を飾った鉄舟>
ある日鉄舟が柳原を散策していると、鉄舟自筆の書
が骨董店に並んでいた。しかし一見して贋物だとい
うことがわかったが、よくよく見てみると筆意玄妙、
はるかに自分に勝るところがあり、鉄舟感心してこ
れを買い求め、我が居室に飾ったという。

<勝海舟と鉄舟>
明治元年3月5日の、「海舟日記」
「旗本山岡鉄太郎に逢う。一見その人となりに
感ず。」
海舟46才、鉄舟33才

<「山岡鉄舟の肖像に賛す」>
英邁(えいまい)豪果
一好男子
撃剣精妙
衆理悟入
八万の子弟
誰かそれ是に比せん
(勝海舟)

旗本八万旗の中で鉄舟ほどの人物はいないと
いうのである。

<「山岡鉄舟霊前」>
凡俗しきりに君を煩わす
看破す塵世の群
我をすてていずくにか去る
精霊紫雲に入る
(勝海舟)

<「武士道」談(籠手田&鉄舟)>
「世人が人を教えるに、忠・仁・義・礼・知・信
とか、節義・勇武・廉恥とか、あるいは同じよう
なことで、剛勇・廉潔・慈悲・節操・礼譲とか、
言いかえれば種々あって、これらの道を実践躬行
する人をすなわち、武士道を守る人というのである。」
(鉄舟)

「武士は心胆の鍛錬をしているから、なにごと
でも卑怯ではない。事に臨んで挫折しない。
非常に忠である。」
(鉄舟)

<西郷隆盛>
幕末、様々な思想のうねりが
あり、互いに、反目、殺し合った。
「要するところ、どれも皆、至誠の丹心から
発したのだから、以上各士はいずれも非難のない
至誠の武士道的人物である。
世人の国賊と呼ぶ西郷君のごときも、拙者(山岡)
は仰いで完全無欠の真日本人と信じて疑わない。」

<西郷が酒徳利をもって山岡宅訪問>
外部を暖めるには、まず内から・・・
「喜びあって、直ちにたって台所に行き、
漬物桶から二本の塩漬大根をひきだし、
自ら(山岡)これを井戸水で洗い、
そのまま二本の丸大根を盆にのせ、
めしくい茶碗二個を添えて奥室に来て、
南州(西郷)先生と共に汲み、共に飲む。」

徳利と盆に二本の丸大根、
酒を酌み交わしている山岡と西郷、
時々、丸大根をかじりながら飲んだのだろう。
ほほえましい風景である。

<おれは日本の婦人には感心だよ(海舟)>
「神代のころより今日まで傑士が大事業をなした
事跡を探ると、大略女子からはげまされてやって
いるよ。
・・・
女子が腕力で男に勝たなくても、婦人の秘才のある
やつにいたっては、男子の心をくじく奥義は真に
妙だよ。」

<赤穂四十七士批判(葉隠)>
佐賀鍋島藩「葉隠」では、赤穂浪士(あこうろうし)
を「上方風の打上りたる武士道」と批判する。

理由:
吉良は60すぎた老人でいつ死ぬかわからないのに、
実行が遅すぎる。
1年以上も待っているというのは、計画をたて、
必ず成功しようという打算がはたらくからでえある。

たとえ失敗しても、それは最重要なことではない。
とにかく仇討ちの志を今すぐに表現することこそ
何にもまして尊い。
また、赤穂浪士は泉岳寺、主君の墓前に吉良の首を
供えたあと、直ちに一同切腹すべきだった。
直ちに自決してこそ武士道が全うするのである。
あそこでべんべんと生き長らえたのは、不純である。
心情においていやしいものが感ぜられる、というのが
「葉隠」の批判である。

<相抜け>
技量伯仲して、どちらも進むも退くもできず、そのまま
闘争心がなくなってしまうことを「相抜け」という。

針谷夕雲、上野国針谷の人、七十余才で病死、一生浪人。
真剣勝負52度、弟子2800人、新陰流、52才から夕雲流となる。

針谷夕雲70才、その弟子小出切一雲34才の極意試合(印可
を与えるか否かを試す試合)は、「相抜け」に終わった。

「「相抜け」という表現を剣道において使ったのは
、後にも先にも夕雲(せきうん)流が初めてであろう。」

<明治の教養>
「福沢諭吉ですら「左伝」十五巻を十一度読み通して、
その内容は全部暗誦していた。」

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「アインシュタイン丸かじり」志村史夫

物理の専門家である志村氏からみたアインシュタイ
ンとは、

「例えば、まったく無名の若者がいきなり野球のメ
ジャーリーグで首位打者、打点王、ホームラン王、
盗塁王、最多勝利のタイトルを独占したようなも
のである。
ここで、獲得したタイトルのすごさと共に、打者、
走者、投手としてのタイトルが混在していること
のも注目していただきたい。」

26歳の無名であったアインシュタインが1905年に
発表した5つの論文とは、上記のたとえ話以上の
奇跡だった。

<アインシュタインと日本>
1922(大正11)年、改造社の招きで来日。
神戸港につく1週間前、船上で「ノーベル賞」
受賞を知る。43日間滞在。12/29ドイツへ立つ。

「日本人は、他のどの国の人よりも自分の
国と人々を愛しています。」
(アインシュタイン)

「日本には、われわれの国よりも、人と人と
がもっと容易に親しくなれるひとつの理由が
あります。それは、みずからの感情や憎悪を
あらわにしないで、どんな状況下でも落ち着
いて、ことをそのままに保とうとするといった
日本特有の伝統があるからです。・・・
この伝統が発達してきたのは、この国の人に
特有な感情のやさしさや、ヨーロッパ人より
もずっと優っていると思われる、同情心の強
さゆえでありましょう。」
(アインシュタイン)

「今回の旅行はすばらしいものです。私は
日本と日本人に魅せられています。・・・」
(アインシュタイン「ニールス・ボーアへの手紙」)

<ノーベル賞と離婚慰謝料>
賞をもらうというのはやはりむずかしい。
1910〜1922年まで、1911,1915年を除いて
毎年候補に挙がりながら受賞できず、
1922年、受賞者なしとされた1921年に
さかのぼって受賞したが、その受賞対象に
「相対論や重力理論」は外されていた。

長年、受賞できなかったのはユダヤ人で
あったことと、審査員が論文を理解出来な
かったためである。

アインシュタインは、いつかノーベル賞を
もらったら、その賞金を全額、慰謝料として
渡すと約束して、妻、ミレヴァと離婚した。
実際、4年後、その約束を果たした。

<子供の心>
「学ぶこと、一般的には真実と美を追究する
ことが、われわれを一生涯子供でいさせてく
れるのです。」
(アインシュタイン)
 
<特殊相対性理論>
論文正式題名「動いている物体の電気力学」
「私は長い間、本当に長い間、「特殊相対性
理論」を理解できずにいたのだが、それは
不可解な光を日常的な感覚を持った頭で理解
しようとしたからにほかならない。」(志村)

「「光速不変」を”自然界の真理”として
否応なしに認めてしまえば、アインシュタイン
の「特殊相対性理論」は決して理解し難いも
のではないのである。」

<特殊相対性理論の結論>
1 時間と空間を独立に扱うことはできない
2 動いている物体の長さは運動方向に縮む
3 動いている時計の時間は遅れる
4 動いている物体の質量(重さ)は大きくなる
5 宇宙に光速を超えるものはない
6 エネルギーと質量は等価である

<特殊相対性理論への夢>
「もし光速で光の波を追いかけたなら、私の
目の前には時間とは独立な(つまり静止した)
波動の場があるのだろうか。」
(アインシュタイン、16歳の空想)

<光は特別なモノ>
私たちは、時速100キロで走る自動車Aを
時速100キロで走る自動車B追走すれば、
自動車Bから自動車Aをみれば、自動車A
は止まってみえる。
しかしである!なんと!
秒速20万キロの”準高速車”で、光を追走
しても、光はやはり、秒速30万キロに見えた
のである!!
つまり、光はわれわれの直感や常識では理解
できないモノであったのだ。(光速不変の原理)

<時間が遅れる>
(動いている時計の時間は遅れる)

電車内の両窓側に鏡を貼る。その距離15万キロ
と仮定する。
片側から発した光は、鏡に反射されて、1秒後に
戻ってくる。(光の速さは30万キロ/秒)

その状況を電車の外から見ると光は
光が発した片側から反対面に達したときには
電車が動いているので、15万キロよりも少し
長い距離を動いているように見える。

つまり、外からみると、電車内で1秒でおわる
現象は1秒以上にみえる。

<光速より速いものはない>
(宇宙に光速を超えるものはない)

「いま、光速の二倍の速さのロケットがある
とする。それに乗って宇宙旅行に出かけること
を考える。地球を九時に出発し、ある天体に、
1時間後の十時に到着したとする。
そして、すぐに超高性能の望遠鏡を使って地球
を眺めてみると何が見えるだろうか。
地球を発した光がその天体に届くには二時間か
かるから、その天体から宇宙旅行者が見るのは、
二時間後、つまり、八時の地球の様子である。
彼は九時に地球を出発したのだから、それは、
彼が出発する前の様子であり、彼はロケットの
座席に座っているかも知れない。
いずれにせよ、少し前に、その天体に到着した
はずのロケットは、まだ、地球にあり、出発し
ていないのである!
あらゆる現象は、原因があって結果が生じるの
である。しかし、この場合、出発という”原因”
が起こらないうちに、到着という”結果”が生
じてしまっている。
つまり、因果関係が逆転してしまっている。
このようなことはあり得ない。
「光速より速く動く(伝わる)ものはない」
という法則は、因果関係の逆転は決して起こら
ない、ということを保証してくれていることに
もなるのである。」

<世界一有名な方程式 E=mc2>
エネルギー=質量x光速の2乗

「例えば、一円玉は約1グラムであるが、1グラム
の質量が潜在的に持っているエネルギーは、式か
ら計算すると、10の14乗ジュールという量になる。
・・・
(これで)100万軒の家の風呂を沸かすことが
できる。(理論上の話)」

われわれの太陽が誕生以来50億年も輝き続け、
これから先さらに50億年ほど輝き続けるだろう
といわれるのは、太陽で石油や石炭のような
”燃料”が燃えているからでなく、それが水
素の核融合反応によっているからだ。

<一般相対性理論>(重力に関する理論)
「物理学者としてのアインシュタインにとって、
なによりも深刻だったのは、「等速直線運動」
しか扱えない「特殊相対性理論」が、重力が
はたらく場所では使えないことだった。
また「特殊相対性理論」は、この宇宙を支配
していると考えられる重力を説明できなかった。」

<「万有引力」の矛盾>
「(ニュートンの)「万有引力は、距離がどれ
だけ離れていても一瞬に伝わる。つまり、万有
引力が伝わる速さは無限大ということになる。
ところが、アインシュタインの「特殊相対性理論」
によれば、この宇宙に光速以上で伝播するもの
は存在しないのである。」

<結論>
「「一般相対性理論」は、「重力の源は空間の
曲がり」だと説明する。」

例えば、柔らかいマットの上にボールを置いた
とします。ボールの重さによって、マットは
深く沈みます。
このマットの曲がりが空間の曲がりです。

<重力場の方程式>
時空の曲がり具合=物質のエネルギー+運動量
<宇宙の誕生から終焉まで>
「アインシュタインが登場する以前、「空間
は永遠不変」と考えられていたが、一般相対
性理論によって「空間(厳密には時空)が曲
がる」こと、さらに「宇宙が膨張し得る」
ことが明らかにされたのである。
実際、1922年にフリードマンが一般相対性理
論を使って、宇宙が膨張したり収縮したりす
ることを理論的に示したし、1929年には、
ハッブルが、実際の天体観測によって、宇宙
が膨張していることを発見した。
・・・
さらに、「ブラックホール」はアインシュタ
インの一般相対性理論の最も有名な産物であ
ろう。
・・・
つまり、宇宙の誕生から終焉までが相対性理
論によって説明されるのである」

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エピクロス

楽しき貧困とは何とすばらしいものだ!

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「人生の鍛錬」小林秀雄

<解る>
「凡(およ)そものが解るという程不可思議な
事実はない。解るという事には無数の階段があ
るのである。」(「測鉛」)

<批評>
「批評とは生命の獲得ではないが発見である。」
(同上)

<溌剌たる尺度>
「「自分の嗜好に従って人を評するのは容易な
事だ」と、人は言う。然し、尺度に従って人を
評する事も等しく苦もない業である。
常に生き生きとした嗜好を有し、常に溌剌(は
つらつ)たる尺度を持つという事だけが容易で
はないのである。」
(「様々なる意匠」)
<自分>
「人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれて
来る。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもな
れたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は
彼以外のものにはなれなかった。これは驚く
可き事実である。」

<男女>
「俺の考えによれば一般に女が自分を女だと
思っている程、男は自分は男だとは思ってい
ない。・・・
惚れるというのは言わばこの世に人間の代りに
男と女とがいるという事を了解する事だ。
女は俺にただ男でいろと要求する、俺はこの
要求にどきんとする。」
(「Xへの手紙」)
<感心>
「感心することを怠りなく学ぶ事。感心するにも
大変複雑な才能を要する。感心する事を知らない
批評家は、しょっ中無けなしの財布をはたいている
様なものだ。」
(「断想」)

<思想>
「あらゆる思想は実生活から生まれる。併し生れて
育った思想が遂に実生活に訣別する時が来なかった
ならば、凡そ思想というものに何んの力があるか。」
(「作家の顔」)
<天才文学者>
「僕が会った文学者のうちでこの人は天才だと
強く感じる人は志賀直哉と菊池寛とだけである。」
(「菊池寛論」)

<成熟>
「人間は自分の姿というものが漸次よく見えて来
るにつれて、自己をあまり語らない様になって来
る。これを一般に人間が成熟して来ると言うので
ある。
・・・
己れを知るとは自分の精神生活に関して自信をもつ
という事と少しも異った事ではない。自信が出来る
から自分というものが見えたと感ずるのである。」
(「文科の学生諸君へ」)

<男と女>
「女というものにはとてもかなわない、男は
誰でも腹の底ではそう思っている、思っている
というより殆(ほとん)ど動物的な本能から
それを感じている。
男にはとてもかなわないと女は言うが、それは
ほんの世俗的な意味で言うので、腹の底では
男なんかなめているに相違ない、と男は感じて
いるのである。
もっともこういうことは未だ男を知らない女に
は決して解らない。
男だって未だ女を知らないうちは、自分の心の
うちに女性恐怖の本能があるなどという事は
決してわからない。」
(「女流作家」)

<読書>
「僕は、高等学校時代、妙な読書法を実行していた。
学校の往き還りに、電車の中で読む本、教室でひそか
に読む本、家で読む本、という具合に区別して、いつ
も数種の本を平行して読み進んでいる様にあんばいし
ていた。
まことに馬鹿気た次第であったが、その当時に常軌を
外れた知識欲とか好奇心とかは、到底一つの本を読み
おわってから他の本を開くという様な悠長な事を許さ
なかったのである。」
(「読書について」)

<文は人なり>
「読書の楽しみの源泉にはいつも「文は人なり」という
言葉があるのだが、この言葉の深い意味を了解するの
には、全集を読むのが、一番手っ取り早いしかも確実
な方法なのである。」
(「読書について」)
<小林秀雄、文章作成術>
「評論を書き始めて暫くした頃、僕は自分の文章
の平板な点、一本調子な点に不満を覚えて来た事
がある。
・・・・
仕方ないから、丁度切籠(きりこ)の硝子玉でも
作る気で、或る問題の一面を出来るだけはっきり
書いてごく短い一章を書くと、連絡なぞ全く考え
ずにまるで反対な面を切る気持ちで、反対な面か
ら眺めた処を又出来るだけはっきりした文章に
作り上げる。
こうした短章を幾つも作ってみた事がある。
だんだんやっているうちに、こういう諸短章を
原稿用紙に芸もなく二行開きで並べるだけで、
全体が切籠の硝子玉程度の文章にはなる様になった。
そんな事を暫くやっているうちに、玉を作るのに
先ず一面を磨き、次に反対の面を磨くという様な
事をしなくても、一と息でいろいろの面が繰り
のべられる様な文が書ける様になった。」
(「文章について」)
<自信>
「自信というものは、いわば雪の様に音もなく、
幾時(いつ)の間にか積った様なものでなければ
駄目だ。
そういう自信は、昔から言う様に、お臍(へそ)
の辺りに出来る、頭には出来ない。」
(「道徳について」)
<歴史>
「歴史は精しいものほどよい。瑣事(さじ)と
いうものが持っている力が解らないと歴史とい
うものの本当の魅力は解らない様だ。」
(「維新史」)

<書く>
「拙(まず)く書くとは即ち拙く考える事である。
拙く書けてはじめて拙く考えていた事がはっきり
すると言っただけでは足らぬ。
書かなければ何も解らぬから書くのである。」
(「文学と自分」)
<才能>
「本当に才能のある人は、才能を持つ事の
辛(つら)さをよく知っている。」
(「カラマアゾフの兄弟」)
<信>
「限度を超えて疑うものは信ずるに到る。」
(「モオツァルト」)

<不平>
「不平家とは、自分自身と決して折合わぬ
人種を言うのである。」
(「モオツァルト」)
<ランボオ>
「僕が、はじめてランボオに、出くわした
のは、二十三歳の春であった。
その時、僕は、神田をぶらぶら歩いていた、
と書いてもよい。向こうからやって来た見
知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたの
である。
僕には、何んの準備もなかった。ある本屋
の店頭で、偶然見付けたメルキュウル版の
「地獄の季節」の見すぼらしい豆本に、ど
んなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、
僕は夢にも考えてはいなかった。」
(「ランボオ」)
<職業>
「私は、書くのが職業だから、この職業に、
・・・深入りしております。深入りしてみる
と、仕事の中に、自ら一種職業の秘密とでも
言うべきものが現れて来るのを感じて来る。
・・・
私は、自分の職業の命ずる特殊な具体的技術
のなかに、そのなかだけに、私の考え方、私
の感じ方、要するに私の生きる流儀を感得し
ている。かような意識が職業に対する愛着で
あります。」
(「私の人生観」)
<文化>
「文化という言葉は、本来、民を教化する
のに武力を用いないという意味の言葉なの
だが、それをcultureの訳語に当てはめて
了ったから、文化と言われても、私達には
何の語感もない。
・・・
cultureという言葉は、極く普通の意味で
栽培するという言葉です。
・・・
国際文化などというのは妄想である。意味
をなさぬ。」
(「私の人生観」)
<眼の力ー日本を見る>
「何と言っても近代文学は西洋の方が偉い
です。しかし物を見る眼、頭ではない、視
力です。これを養うのは西洋のものじゃだ
め、西洋の文学でも、美術でも、眼の本当
の修練にはならない。
日本人は日本で作られたものを見る修練を
しないと眼の力がなくなります。・・・
例えば短歌なんかやっている方は、日本の
自然というものを実によく見ている。
眼の働かせ方の修練が出来ているという感
じを受けますが、西洋風な詩を作る詩人の
ものを読むと、みな眼が駄目です。」
(「古典をめぐりて」)
<ベルグソンの哲学>
「彼の思想の根幹は、哲学界からはみ出して
広く一般の人心を動かした所のものにある、
即ち、平たく言えば、科学思想によって危機
に瀕した人格の尊厳を哲学的に救助したとい
うところにあるのであります。人間の内面性
の擁護、観察によって外部に捕えた真理を、
内観によって、生きる緊張の裡に奪回すると
いう処にあった。」
(「表現について」)
<表現>
「生活しているだけでは足りぬと信ずる処
に表現が現れる。表現とは認識なのであり
自覚なのである。いかに生きているかを自
覚しようとする意志的な意識的な作業なの
であり、引いては、いかに生くべきかの実
験なのであります。」
(「表現について」)
<音楽>
「音楽の美しさに驚嘆するとは、自分の
耳の能力に驚嘆する事だ、そしてそれは
自分の精神の力に今更の様に驚く事だ。」
(「表現について」)
<音声>
「人間は、その音声によって判断できる、
又それが一番確かだ、誰もが同じ意味の
言葉を喋(しゃべ)るが、喋る声の調子
の差違はいかんともし難く、そこだけが
その人の人格に関係して、本当の意味を
現す、・・・」
(「年齢」)
<美しい形>
「風景に対する愛や信頼がなければ、風景
画家に風景というものは存在しない。
・・・
かくの如きが、美しい形の持つ意味なので
あり、意味を欠いた美しい形は、忽(たち
ま)ち安定を失う。」
(「金閣滅亡」)
<説得>
「人間は他人を説得しようなどと思わぬ
人間にしか決して本当には説得されない
ものである。」
(「マチス展を見る」)
<政治家>
「政治の対象は、いつも集団であり、集団
向きの思想が操れなければ、政治家の資格
はない。」
(「政治と文学」)
<悲劇>
「人間に何かが足りないから悲劇は起こる
のではない、何かが在り過ぎるから悲劇が
起るのだ。否定や逃避を好むものは悲劇人
たり得ない。
何も彼も進んで引受ける生活が悲劇的なの
である。」
(「悲劇について」)
<いじめ>
「空虚な精神が饒舌(じょうぜつ)であり、
勇気を欠くものが喧嘩を好むがごとく、自足
する喜びを蔵しない思想は、相手の弱点や欠
点に乗じて生きようとする。」
(「政治と文学」)
<トルストイを読み給え>
「若い人から、何を読んだらいいかと
訊ねられると、僕はいつもトルストイを
読み給えと答える。すると必ずその他に
は何を読んだらいいかと言われる。
他の何にも読む必要はない、だまされた
と思って「戦争と平和」を読み給えと
僕は答える。
だが嘗(かつ)て僕の忠告を実行して
くれた人がない。実に悲しむべきことで
ある。
・・・・
文学入門書というようなものを信じては
いけない。途方もなく偉い一人の人間の
体験の全体性、恒常性というものに先ず
触れて充分に驚くことだけが大事である。」
(「トルストイを読み給え」)
<絶望>
「他人にはどんなに奇妙な言草(いいぐさ)と
聞こえようと自分は敢(あ)えて言う、自分は
絶望の力を信じている、と。
若(も)し何かが生起するとすれば、何か新し
い意味が生ずるとすれば、ただ其処からだ。」
(「「白痴」について」)
<無私>
「先ず何を置いても、全く謙遜に、無私に
驚嘆する事。そういう身の処し方が、ゴッホ
の様な絶えず成長を止めぬ強い個性には、
結局己れを失わぬ最上の道だったのである。」
(「ゴッホの手紙」)
<教養>
「ノーベル賞をとる事が、何が人間としての
価値と関係がありましょうか。
私は、決して馬鹿ではないのに人生に迷って
途方にくれている人の方が好きですし、教養あ
る人とも思われます。」
(「読書週間」)
<観察される>
「怠け教師としての十年の経験で、青年の
向上心を、こちらが真っ直ぐに目指し近づく
時に、青年は一番正直に自分を現す、という
事を教わったように思う。
青年は観察されることをきらう。観察されて
いると知るや、すぐ仮面をかぶる。
その点で、青年ほど気難かしく、誇り高いも
のはない。青年は困難なものと戦うのが
最も好きだ。」
(「教育」)
<作文教育>
「作文教育でも、正確な写生文というものを
基本とすべきである。写生の対象は、外部に
あるはっきりした物に置くがよく、無定形な
自分の心などというものを書かせるべきでは
ない。そんな事が上手になると、生徒は思い
つきのなかに踏み迷う事が楽しくなり、遂に
自分の個性を信じなくなるだろう。」
(「民主主義教育」)
<立派な芸術>
「立派な芸術というものは、正しく、豊かに
感ずる事を、人々に何時も教えているもの
なのです。」
(「美を求める心」)
<好き>
「一冊の書物を三十年間も好きで通せば、た
だの好きではない。そういう好きでなければ
持つ事の出来ぬ忍耐力や注意力、透徹した認
識力が、「古事記伝」の文勢に、明らかに
感じられる。
・・・
私達は、好き嫌いの心の働きの価値を、ひど
く下落させてしまった。」
(「好き嫌い」)
<考える>
「彼(本居宣長)の説によれば、「かんがふ」
は、「かむかふ」の音便で、もともと、むか
えるという言葉なのである。
・・・
「むかふ」の「む」は「身」であり、「かふ」
は「交ふ」であると解していいなら、
考えるとは、物に対する単に知的な働きでは
なく、物と親身に交わる事だ。」
(「考えるという事」)
<批評とは讃辞である>
「自分の仕事の具体例を顧(かえりみ)ると、
批評文としてよく書かれているものは、皆他
人への讃辞であって、他人への悪口で文を成し
たものはない事に、はっきりと気づく。
そこから率直に発言してみると、批評とは人を
ほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。
人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、
批評精神に全く反する精神的態度である、と
言えそうだ。」
(「批評」)

<焼き物>
「焼き物は、見るものではない、使うものだ。
これは解り切った話だが、私の経験では、解り
切った話を合点するのには、手間がかかった。
いい盃だと思って買って来る。呑んでいるうち
に、いやになる。今度は、大丈夫だろうと思って
買って来る。成る程、呑んでいても欠点は現れて
来ない。だが、何となく親しめない。
そのうちに、誰かにやってしまう。
そんな事を、長い間、くり返してきた。」
(「信楽大壺」)
<あはれ>
「「あはれ」とは、嘆きの言葉である。何かに
感動すれば、誰でも、ああ、はれ、と歎声を発
する。この言葉が、どんなに精錬されて、歌語
の形を取ろうとも、その発生に遡(さかのぼ)
って得られる、歎きの声という、その普遍的な
意味は失われる訳がない。
これが、宣長の「もののあはれ」の思想の、
基本の考えだ。」
(「感想」)

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「人間の建設」岡潔、小林秀雄

昭和40年(1965)の対談
<学問の基本、好きになること>
岡「人は極端になにかをやれば、必ず好きに
なるという性質をもっています。」

<数学と感情>
岡「数学は知性の世界だけに存在しえないと
いうことが、四千年以上も数学をしてきて、人は
はじめてわかったのです。」

岡「最近、感情的にはどうしても矛盾するとしか
思えない二つの命題をともに仮定しても、それが
矛盾しないという証明がでたのです。」

岡「知性や意志は、感情を説得する力がない。
ところが、人間というものは感情が納得しなけ
れば、ほんとうには納得しないという存在らしい
のです。」

<日本人>
岡「私は日本人の長所の一つは、時勢に合わない
話ですが、「神風」のごとく死ねることだと思い
ます。あれができる民族でなければ、世界の滅亡
を防ぎとめることはできないとまで思うのです。
あれは小我を去ればできる。小我を自分だと思って
いる限り決してできない。
・・・
欧米人にはできない。欧米人は小我を自分だとしか
思えない。いつも無明がはたらいているから、真の
無差別智、つまり純粋直観が働かない。従って、
ほんとうに目が見えるということはない。
欧米人の特徴は、目が見えないが、からだを使う
ことができる。・・・
欧米人の特徴は運動体系にある。」

小林「あなた、そんなに日本主義ですか。」

岡「純粋の日本人です。いま日本がすべきことは、
からだを動かさず、じっと座り込んで、目を開いて
何もしないことだと思うのです。
日本人がその役割をやらなければだれもやれない。
これのできるのは、いざとなったら神風特攻隊の
ごとく死ねる民族だけです。
そのために日本の民族が用意されている。」

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「散るぞ悲しき」梯久美子

–硫黄島総指揮官・栗林忠通–
<歴史上空前絶後の硫黄島の戦い>

面積わずか22Km2。世田谷区の半分にも満たない硫黄島。
硫黄島は半日もあれば徒歩で一周できるほど小さい。
そこで日米合わせて8万人の兵士が36日間戦った。
岩と砂でできたこの島には川が1つもない。つまり、水が
ない。
米軍が上陸してくる7ヶ月も前から、1人の女性も子供も
いない男だけの島となった。

硫黄島の戦いは、「勝つ」ことを目的としていない。
長い間「敗けない」ことである。硫黄島が米軍の手に
落ちるということは、日本の都市が大規模な空襲に見
舞われるということであった。

昭和19年12月8日、上陸の前哨戦として爆撃が始まった。
この日だけで、戦闘機と爆撃機はのべ192機、投下され
た爆弾は800トン、重巡洋艦3隻、駆逐艦6隻から6,800発
の艦砲射撃。
この日から上陸まで1日も休まず、実に74日間連続で
行われた。74日間に投下された爆弾は6800トン、12月から
1月にかけて5回にわたって行われた艦砲射撃の砲弾数は、
16インチ砲203発、8インチ砲6,472発、5インチ砲,15,251発。
地上の一木一草は全て死に絶えた。

米軍にしてみれば、島そのものが消えてなくなってもお
かしくないほどの砲爆撃だった。しかし、偵察機が撮影した
航空写真によれば、爆撃を開始した時点で450だった主要陣地
が、上陸直前には750に増えていたのである。
米軍によってこの島に投下された砲弾・爆弾を全部合わせる
と、全島の表面を厚さ1メートルの鉄板で覆うに等しい鉄量
になるという。

<米国における”硫黄島”>
「「”カミカゼ・ソルジャー”と”イオージマ・ソルジャー”
は特別だ—ある米軍人からそう言われました」
やはり捕虜となった石井周治は、サンフランシスコの収容所で
の経験を次のように回想している。
ある日のことであった。ガードの一人が、

「君達は一体どこで捕虜になったのか」
と聞くので、
「硫黄島で・・・」
と答えると、ガードは一瞬ハッとするように顔色を変えて
銃を持ち直した。
われわれの方が逆にびっくりした。」
(「硫黄島に生きる」)

「硫黄島で戦った日本兵たちが捕虜収容所で浴びたのは、
恐れと敬意が入り交じった視線であった。彼らの修羅の
ごとき戦いぶりは、米軍人なら知らぬ者はなかったのである。」

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「父親たちの星条旗」ジェームズ・ブラッドリー

–硫黄島の戦い–
<アメリカ建国以来最も厳しい戦い>
「これはアメリカ建国以来、この168年間で、もっとも
厳しい戦いである。」
(スミス中将のコメント)

<世界が忘れてはいけない島がある>
–太平洋戦争時、日米がもっとも激しい死闘をくり
ひろげた島、硫黄島—

3月14日、海軍大将W・ニミッツは、硫黄島の占領を
宣言したが、まだ戦いは続いていた。

「われわれはいまだに戦闘を継続中である。わが指揮
下にある戦力は、現在400。戦車攻撃を受けている。
敵は拡声器でわれわれに全面降伏を求めているが、わ
が部下将兵たちはそれを無視し、一笑に付している」
(栗林中将、3月22日の最後の無電)

「アメリカの若者達は、およそ21,000人の日本兵を殺し
たが、そのために26,000人以上の犠牲者を生んだ。
これは、侵攻軍が防衛軍よりも多くの死傷者を出した、
太平洋戦争で唯一の戦闘だった。」

「海兵隊は、第二次世界大戦を43ヶ月間戦った。硫黄島
は、そのなかのたった1ヶ月だったにもかかわらず、海兵
隊全体の戦死者の3分の1は、このときのものだった。」

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東京裁判の目的

「戦勝国の狙いは次の三つでした。
第一は復讐です。
白人に唯一刃向かった有色人種、日本人への憎し
みからです。
第二は日本人の洗脳。
日本に侵略国のレッテルを貼り、日本人に贖罪意識
を植え付け、二度と立ち上がれないようにするために。
第三は白人人種のアジア侵略の歴史の帳消し。
・・・日本に侵略国の烙印を押し、何もかもが日本
が悪かったとすれば、かっての植民地の非難の目は
日本に向けられ、自分たちの悪行は覆い隠され、
のちのち糾弾されることもないと踏んだのでした。」

(「新歴史の真実」前野徹)

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日露戦争

「日本の(日露戦争)勝利は、アジアにとって、偉大な
救いであった。そしてインドでは、われわれが長く
とらわれていた劣等感を、取り除いてくれたのである。」
(インド、ネール首相)
「われわれアジア人は、白人には
およびがたきものと諦め、中国人だけでなく、アジ
アのすべての民族が、絶望していた。
そこへ日本が忽然としておこり、世界の一等国に
なったのを見て、アジアの民族に、無限の希望が
輝き始めた。」
(中国革命の祖、孫文)
「今日エジプトが独立し、このような繁栄をきたした
のも、その根源をたどれば明治天皇様の率いる日
本軍が、白人帝国主義のチャンピョンたるロシア帝
国を破ったことに起因する。」
(エジプト大統領、アンワル・サダト)
「日露戦争がなかったら、あるいは日露戦争に
日本が負けていたならば、この白人優位の世界史
の流れはずっと変わらず、ニ十一世紀を迎えよう
としている今日でも、世界中は植民地と人種差別
に満ちていたであろうということには、毫毛(ごう
もう)の疑いもない。」
(渡部昇一「かくて歴史は始まる」)

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大東亜戦争

戦後、GHQの言論規制によって、「大東亜戦争」は、
「太平洋戦争」と改名された。大東亜戦争は、白人
支配からの解放戦争であった。
「われわれアジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ
人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗し
た。インドネシアの場合は350年間も。
それなのに、日本軍がアメリカ、イギリス、オランダ、
フランスをわれわれの面前で徹底的に打ちのめして
くれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりを見て、
アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと思った。
・・・
そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれ
がやらねばならなかった。そして実は、われわれの力で
やりたかった。それなのに日本だけに担当させ、少し
しかお手伝いできず、誠に申し訳なかった・・・」
(インドネシア、ブン・トモ情報・宣伝相1957.05)
「軍事的には、日本は第二次大戦において、歴史上
もっとも決定的な敗北を喫した。
・・・
しかし、その後の推移では、政治的に敗北を喫した
のは、西洋だった。
日本は、西洋をアジアから追い出し、西洋の植民地
勢力の権威を失墜させることに成功した。
その結果西洋は、アジア、ついでアフリカの西洋化
された非西洋世界に対する支配権を放棄せざるを
えなくなった」
(「断絶の時代(P.F.ドラッカー)

(「新歴史の真実」前野徹より)

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日本が敗れた日の「ニューヨークタイムズ」社説

–唯一白人に刃向かった有色人種である日本人が二度と
立ち向かえないように–

「この怪物は倒れはしたが、決して命を失っておらず
、未だ非常に危険な存在だ。よってこの怪物の牙と骨
を徹底的に抜き去り、解体しなければならない。この
作業は戦争に勝つよりむずかしいかもしれないが、
われわれはアメリカのために、世界のためにも永久に
でも、この作業を続けなければならない。」

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アインシュタインの予言

「近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。
一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらし
めたのである。私はこのような尊い国が世界に一カ所
ぐらいなくてはならないと考えていた。
世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは
繰り返されて、最後の戦いに疲れるときが来る。
その時人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主
をあげなければならない。この世界の盟主なるものは、
武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜きこえた
最も古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。世界の
文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それには
アジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国を
つくっておいてくれたことを」
(アインシュタイン、1923.11.18)

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滅びてほしくない文明

「私が断じて滅びないことを願う一つの国民がある。
それは日本人だ。あれほど興味ある太古からの文明
は消滅させてはならない。
日本は驚くべき発展をしたが、それは当然で、他の
如何なる国民にもこれ程の資格はない。
彼らは貧乏だ、しかし高貴だ、あんなに人口が多い
のに」
(1943年にクローデルがポール・ヴァレリーに
語った言葉「言霊の幸ふ国」神社新報社1986)

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アメリカ人が初めて見た日本人への印象

1960(万延元年)、日米条約批准使節団、ワシントンに
入る。
「日本人見たさにワシントンの街とその周辺の家々は
空になったほどで、新聞、雑誌の記者はその印象記
取材のために駆け回ったといいます。
そして誰もが驚き、歎息しました。
その挙措動作、品の良さ、毅然とした姿に。
次に訪れたニューヨークでも、これは変わらず、日本
の侍たちの凜(りん)とした立ち居振る舞いを見た
ウォルト・ホイットマンという詩人が「ブロードウェイ
の行列」なる詩を感動を込めて書いています。
四輪馬車に寄りかかった日本人の印象を「超然」と
表現し、「考えぶかげな黙想と真摯(しんし)な魂と
輝く目」といった言葉で礼賛しているのです。」

(「新歴史の真実」前野徹より)

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アインシュタイン

人間にとって最も大切な努力は自分の行動の中に道徳を
追求していくことです。

永遠なるものに関心を抱くのはよいことだ。何故なら、それ
のみが、人間社会に平和と平穏を回復させる精神の源だ
からです。

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アリストテレス

賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求める

すべて優れた人間は憂鬱である。

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芭蕉

つゐに無能無芸にして只此一筋に繋る。

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土門拳

一生に一枚でも下手な絵を描く画家はろくな画家ではない。

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道元

学道の人、衣食を貪ることなかれ。

学道の人は尤も貧なるべし
財おほければ必ずその志を失ふ。

威儀即仏法なり。

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エジソン

質素な食事は人生を快適にする。

私は、人生を本当に楽しんでいる金持ちを
見たことがない。お金は人を幸せにしない。
それが私の結論だ。

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萩原朔太郎

あらゆる真面目な精神の中には一切の快適なものが失われている。

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葉隠

人間の一生は誠にわずかの事なり。
好いた事をして暮らすべきなり。
夢の間の世の中に好かぬことばかりして、
苦しみ暮らすは愚かな事なり。

五十ばかりより、そろそろ仕上げたるがよきなり

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イソップ

「困難な事態は時が解決する」
(24 腹のふくれた狐)

「似たもの同士でないと共同作業はできない」
(イソップ29 炭屋と洗濯屋)

「不釣り合いは怪我のもと」
(イソップ31 ロマンスグレーと二人の愛人)

「悪人の性質は、体つきからでもわかる」
(イソップ37 目の見えぬ人)

「下らぬ仕事に憂身をやつす者は、もっと
立派な仕事に転じる前に身を滅ぼす」
(69 隣同士の蛙)

「人は交わる仲間と同類に見られる」
(イソップ237 驢馬を買う男)

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レオナルド・ダ・ヴィンチ

失われうるものを富と呼んではならない。

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ミース・ファン・デル・ローエ

より少ないことは、より豊かなことだ。 

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モーッアルト

金持ちは友情というものを知りません。

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マキャベリ

善行は悪行と同じように人の憎悪を招く。

憎悪や軽蔑を招かないように心せよ。

情けないことだが、人間というものは権力を
持てばもつほど、それをうまく使えないものだ。

ある人物を評価する最も簡単確実な方法は
その人物がつきあっている人々を見ることで
ある。

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モーム

人生とは面白いものです。
何かひとつを手放したら、
それよりずっといいものがやってくるものです。

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モンテーニュ

すぐれた記憶力は弱い判断力と結びやすい。

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三島由紀夫

精神を凌駕することのできるのは習慣という怪物だけなのだ。

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松下幸之助

お互いが素直な心になったならば、病気になり
にくくなると思います。

素直な心になれば、現状にとらわれることもなく、
日に新たなものを生みだしていくことができるよう
になる。

素直な心がない場合には、いろいろとムダや非能率
が多くなって、生産性というものが低下する。

素直な心を養っていくためには、先人の尊い教えに
ふれ、それに学び、帰依していくことも大切である。

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宮沢賢治

いちばんばかで、
めちゃくちゃで、
まるでなっていないようなのが、
いちばんえらい。
宮沢賢治「どんぐりと山ねこ」より
どんぐりのえらさを決める裁判で、一郎が言ったこと。

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ニーチェ

よいものは軽やかである

毎日すくなくとも1回、なにか小さなことを断念しなけれ
ば毎日は下手に使われ、翌日も駄目になるおそれがある。

キリスト教徒で、同時に芸術家であるものはいない

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ナポレオン

君の世紀の思想の先頭に立って歩み給え、それらの
思想は君に従い、君を支持するであろう。           

不道徳の最たるものは自分の知らない稼業をすることである。

人間のあいだにおける最も神聖なものは良心である。

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オスカーワイルド

女性というものは愛されるためにあるのであって
理解されるためにあるのではない。

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ピカソ

お金がたくさんあって、貧しい人のように暮らしたい。

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プラトン

人間の世に起こる事件で
心配に値するものは何もない。

人間界の事物は何一つ、むきになって
求めるほどの価値はない。

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パスカル

感情は理智の知らない真理を知っている。

一生のうちでいちばん大事なことは、職業の選択である。

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ショーペンハウエル

無知は富と結びついて初めて人間の品位をおとす。

我々は、他の人たちと同じようになろうとして、
自分自身の四分の三を喪失してしまう。

大切なのは普通の語で非凡なことを言うことである。

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シュティフター

没落してゆく民族がまず最初に失うものは節度である。

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ソーロー

貧しくとも君の生活を愛したまえ。

本当に善いものはいつも安く、
有害なものはいつも高い

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セルバンテス

どんな困難な状況にあっても、
解決策は必ずある。
救いのない運命というものはない。

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サン=テグジュベリ

人間は、障害にむきあったときに
自らを発見するのだ。

本当の贅沢というものは、
たったひとつしかない。
それは人間関係に恵まれることだ。

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シェークスピア

とかく駆け出す者はつまずくのだ。

物事は、落ちるところまで落ちれば、とまるものです。

避けられないことは、喜んで迎えるにかぎる。

最悪の事態に立ち至れば、いつも帰るところは笑いなのだ。

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シューベール

ちっぽけな快楽ほど人間を小さくするものはない。

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三冊子

高くこころをさとりて俗に帰るべし。

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荘子

真人の息は踵を以てし、衆人の息は喉を以てす

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トルストイ

叡智の条件は、道徳的清浄さにある。

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田辺聖子

幸福な人間は親切である。

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ヨーガ根本聖典

貧欲とは、楽に従っておこるものである。

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吉田兼好

第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事を励むべし。

愚かなる人は深く物を頼む故に恨み怒ることあり

「昔より、賢き人の富めるはまれなり。」
(「徒然草」18段)

「名利に使われて、閑かなる暇なく、一生を
苦しむるこそ、愚かなれ。・・・
利に惑うは、すぐれて愚かなる人なり。」
(「徒然草」38段)

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与謝蕪村

得たきものは強いて得るがよし。

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吉田松陰

武士の心懐はいかに逆境にあおうとも
爽快でなければならぬ。心懐爽快ならば
人間やつれることはない。

(脱藩罪で護送中の会話より)

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山中鹿之助幸盛 

憂き事のなほこの上に積まれかし
限りある身の力ためさん。

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わが写真道(荒木経惟)

「なにがライフワークですかって聞かれることがある
けど、ただ、生きてるさまを写真に撮ってるだけだな。
しいていえば、「日付入りのカメラのシャッターを
毎日押すこと」ってところだな。
でも、不思議だろ?みんなの目に触れるものを撮ったり
しているだけなのに、自分のために撮っているだけで、
なんのためにもならないのに本がいっぱいできる。
金がくるし、女もくる。
やっぱり作品化しようと思ってないところがいいんだ
ろうな。」
(「すべての女は美しい」)

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日本の黄金比

日本の黄金比と呼ばれる白銀比とは何か。

黄金比:1:1.618・・・
白銀比:1:ルート2(1:1.414・・)

大工道具「曲尺」の表目は、1寸、2寸・・・
裏目は、1寸x1.41,2寸x1.41・・・と
表目のルート2倍になっている。

・法隆寺は白銀比で作られている。

・A4の紙は白銀比である。

・A0(1189×841=0.999949屐〔1屐

A版を考案したのは、色彩理論で有名なドイツの
化学者、ウイルヘルム・オストワルト。
(A版:ドイツ工業院規格、日本工業規格(JIS))

B版は、A版の1.5倍の面積で、大蔵省印刷局によって
1929年に定められた規格。
B版の源流は江戸時代の公用紙に使われた美濃紙に
ある。
ドイツ生まれのA版と日本生まれのB版が共に
白銀比。

黄金比の「動」(螺旋の美学)
白銀比の「静」(正方形の静謐)

(「雪月花の数学」)

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古典を残す(柳宗悦)

「先生(大拙)は早くから古典的禅籍を立派な
永久的な善本で出版することに熱意を注いで
来られた。・・・・
もとより、先生にとっては、本文が大切なので、原典を
吟味し、選択されたのはもとよりだが、書物としてこれ
が永久に保存されて、古典がこの地上に永く大切にされ
るように心入れをされているのである。
先生を禅の鴻学として尊ぶ人は大勢いるが、
先生の学者としての一生の半面に、こういう
善本の刊行への並々ならぬ熱意があることを
知っている人は少ないのではあるまいか。
・・・・
先生自身の本が粗末極まるものが多いのに
比べて大変面白い事実だと私(柳)には
思われてならぬ。
これにつけても、いつか先生の著作の
(少なくともその或るものを)善本にして
残すのは、われわれの仕事だとも感じられて
ならぬ。
・・・・
早くから、先生の学生の一人であった私は、
幾分なりとも東洋的自覚にたって、先生の
衣鉢の幾分かを継いで、先生の恩に報いたい
念いに強くかられる。」
(「春秋」1959 12 柳宗悦)

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仏教の大意

<仏教の大意>
1946 4/23,24 宮中での講義

「大智は禅によって代表され、大悲は日本
浄土教においてその絶頂に達した・・
彼(大拙)は、・・華厳哲学における無限
相関の思想にもとづいて、大智と大悲の根源的
に一体なることを説きつつ、この二方面から
仏教全体をつかまえた。」
(「朝日ジャーナル1963 6/30 玉城康四郎)

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サインと掛け軸

<サイン>
在家仏教教会記念講演(大阪)でのこと。
大拙氏がサインをするのを増谷氏が横から
見ていた。
「こう書いておりました。
いまだによく覚えております。

To do is my religion.
(善をなすのが私の宗教)

それからはっとおもって見ておりましたら、

The world is my home.
(世界は私の家)

と書きました。」

<掛け軸>
「鈴木先生の家に行ったとき、床の間に

「一日作さざれば一日食わず」

と西田幾多郎先生が書いたのを、たった一幅
掛けてあって、あとは飾りは何もなかったのを
、今でも覚えているのであります。」(増谷)

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ショーペンハウアーと鈴木大拙

大拙は師、宗演のシカゴ講演でポール・ケーラスと
出会う。
ケーラスはショーペンハウアーに師事し、友人には
物理学者エルンスト・マッハがいた。
ケーラスの活動はアメリカにおけるジェイムズの
プラグマティズムの基礎をかためることになった。
ケーラスの書「仏陀への福音」の翻訳が、大拙の
処女出版となった。

ケーラスがもし、ショーペンハウアーに師事して
いなかったら、鈴木大拙に興味を示すことは
なかったかもしれない。

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吉本隆明

十代、学生寮の天井には、墨でかいた
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を貼った。

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読書三大事件(吉本隆明)

「いままでの読書の体験のうち、恐ろしい精神的な
事件のような読み方をしたのは、十代の半ばごろ
読んだファーブルの「昆虫記」と、二十代のはじめ
ごろ読んだ「新約聖書」と、二十代の半ばごろ読んだ
「資本論」であった。」

・・・・・
人間が昆虫の観察のために一生を費しうるのだという
ことを「昆虫記」を通じて知った。
・・・・・
「新約聖書」を理解した日本の文学作品としては、
太宰治の「駆込み訴へ」が、最上のものではないか
と考えている。
・・・・・
わたしは「資本論」を千年に一度くらいしかあらわれ
ない種類の書物だとおもう。」

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三大老人小説

室生犀星「われはうたへどやぶれかぶれ」
川端康成「眠れる美女」
谷崎潤一郎「瘋癲(ふうてん)老人日記」

「若い人にとっては、老人というのは奇妙な
性の考え方ややり方をするものだというふうに
思える。
それは珍しいことで、若者にとってはまだ経験
したこがない世界ですが、こういうふうになる
のかというお手本に(上記3冊は)なっている
のではないでしょうか。」
(吉本隆明「老いの超え方」)

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「老いの超え方」」吉本隆明

「太宰治の「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。
人モ家モ暗イウチハマダ滅亡セヌ」(「右大臣実朝」)
というのが好きです。
僕らもそうで、まだおれは暗いから滅びないというか、
まだ仕事ができるという感じですね。」

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数学の天才が生まれる三つの条件

「第一は、美の存在である。
第二は、何かにひざまずく心が人々にあることである。
第三は、役に立たないことを大事にする心である。
・・・
(日本では、)天才を生むための土壌が急速に
崩壊しつつある。
とくに重要な第三の条件、「役に立たないことを大事
にする」という高邁な精神が、市場原理の進展とともに
物質主義や金銭崇拝にとって代わられている。」

(藤原正彦「この国のけじめ」)

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陋規(ろうき)の乱れ

泥棒の道徳、博徒の道徳、あるいは賄賂の決まり、
こういったものがみな「陋規」です。
表向きの道徳、表面の道徳は、これが退廃したら
革命とか維新とかいうことでやり直しができる。
ところが「陋規」が崩れたら、もうどうにもならん。
(「孟子 (安岡正篤(やすおか まさひろ)」)

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アンドレ・ジイド

「「この世にプラトンがいることを知らなかった以前か
らプラトン主義者であった。」と彼(モンテーニュ)自
ら書いている。これと同じく、私(ジイド)もまたモン
テーニュ主義者であったわけである。」
(ジイド「モンテーニュに従いて」)

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パスカルの愛読書

「自分が常に読んだ書物はエピクテートスとモンテ
ーニュとであった。」(パスカル)

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不幸に耐え得る人

「正しく高貴に行動する者は誰でも、まさにその故
に、不幸に耐え得ることを、私は証拠だてたいと思
う」(ベートーベン)

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究極の幸福

「種類のいかんを問わず、自己の特技を何もの
にも妨げられずに発揮できることこそ究極の幸
福である」(ショーペンハウアー)

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法然(中里介山)

「日本生まれの人で、真実、底の知れない器と
腹とを持っている人は法然よりほかにその人も
あるであろうが、私には、全く唯一の人だとい
える。」(昭和6年4月 介山)

「日本において、本当に一宗教を創立したもの
は法然のほかにない。・・・
日本において法然ほどの革命家はない。・・・
彼は一宗の創立者であるのみならず、日本のす
べての仏教を南無阿弥陀仏で統一してしまって
いるともいえる。・・・
彼の特色の一つは終生平民僧であったことであ
る。・・・平民僧であって帝王・宰相の師とな
り、同時に盗賊・遊女の師となり得て、その間
に少しの無理嬌飾もなかったという大きさが他
に類例のないところである。・・・終生、僧位
僧官の何物もなく、墨染めの衣をまとい、金剛
草履を引きずって、流罪の時のほかは輿(こし)
にも車にも乗らず、さっさと、法縁のあるとこ
ろに赴く。・・・「われ知恵第一と称せらるる
といえども、その知恵や何物、仏海の浜の砂の
一つにも足らず。・・・」
・・・彼の特色としては、その生ける時代にお
いて、当時の第一人者として、絶対的に許され
ていたことである。宗教の開祖、あるいは一代
の改革者には概して逆境者が多い。・・・
かくも順境なる開宗者というものは、世界のい
ずれにもなかろうと思う。・・・最大の理由は
最初から彼の器が大き過ぎたからである。」

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「貞永式目」という事件

「貞永式目」(泰時)は何らの法理上の典拠に基づかない
で制定された人類史上初の法律ですが、以後600年、明治
に至るまで続いたのである。そして、その背景に明恵の
華厳思想としての”道理”(あるべきようは)がある、と
山本七平氏は推論する。

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女のヒステリー

「いわゆる女のヒステリーは、愛欲の変形であります。
何ものをも惜しみ奪わんとする情欲と、気に入らぬも
のをことごとく排斥せんとする感情の入り交ったもの
です。
他人の功績を嫉み、自分がそれに及ばぬのを口惜しが
り、人々に愛されぬのを不満に思い、常に自分が悪評
され、世間から除外されるのを気づかい、一日一刻た
りとも気を落ち付けて過すことが出来なくなります。
こうしたヒステリーは、大抵結婚した女に多いのであ
ります。」
(岡本かの子「仏教人生読本」)

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一事が万事

「まづ大かたの人は、言と事と心と、そのさま大抵
相かなひて、似たる物にて、たとえば心のかしこき
人は、いふ言のさまも、なすわざのさまも、それに
応じてかしこく、心のつたなき人は、いふ言のさま
も、なすわざのさまも、それに応じてつたなきもの
也。」(「うひ山ぶみ」本居宣長)

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やまと魂

「やまと魂」「やまと心」の出典

<「やまと魂」の初見は源氏>
源氏の中に「大和魂」の用例は一つ、
「猶、才を本としてこそ、大和魂の世に用ひらるる方も、
強う侍らめ」(乙女の卷の、光源氏の言葉)
(学問という土台があってこそ、大和魂を世間で強く
働かす事も出来る)

<「やまと心」の初見は赤染衛門の歌(後拾遺和歌集)>
「さもあらばあれ、大和心し賢くば細乳に附けて
あらすばかりぞ」赤染衛門の歌(後拾遺和歌集)
(大和心が賢い女なら、無学でも、子供に附けて
置いて、一向差支えないではないか)
ここでの「やまと心」は、賢い、智識などへの
掛かり言葉として使われている。
(小林秀雄「本居宣長及び補記」)

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ゴッホと日本

「日本の芸術を研究していると、賢者でもあり
哲学者でもあり、しかも才気煥発の一人の人間が
見えてくる。・・・彼(日本人)は、ただ草の葉
の形をしらべているのだよ。しかしこの一枚の草
の葉から、やがてすべての植物を描く道が開かれ
る、それから季節を、田園の広い風景を、動物を、
人間を。彼の生活は、こうして過ぎていく。
そしてすべてをやるには、人生は短すぎるのだ。
みずから花となって、自然の裡に生きている単純
な日本人たちが、僕らに教えるものは、実際、宗
教と言ってもいいではないか。
僕は思うのだが、君がもし日本の芸術を研究する
なら、もっと陽気に、もっと幸福にならなければ
だめだ。・・・僕は日本人がそのすべての制作の
うちに持っている極度の清潔を羨望する。・・・
彼らの制作は呼吸のように単純だ。」(ゴッホ)

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書けない感動は逆上にすぎない

「感動は心にとどまって消えようとせず、しかも
その実在を信ずるためには、書くという一種の労
働がどうしても必要のように思われてならない。
書けない感動などというものは、皆嘘である。た
だ逆上したにすぎない、・・」(小林)

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モオツアルト

大阪、道頓堀の雑踏の中を歩いているとき突如と
頭の中に鳴り響いたト短調シンフォニー、それは
誰かがハッキリと演奏しているように鳴った。
脳味噌に手術を受けたように驚き、感動で慄えた、
と小林氏は云う。
「内容と形式との見事な一致というような尋常な言葉
では、言い現わし難いものがある。全く相異なる二つ
の精神状態のほとんど奇蹟のような合一が行われてい
るように見える。
名づけ難い災厄や不幸や苦痛の動きが、そのまま同時
に、どうしてこんな正確な単純な美しさを現わすこと
ができるのだろうか。それがモオツアルトという天才
が追い求めた対象の深さとか純粋さとかいうものなの
だろうか。
本当に悲しい音楽とは、こういうものであろうと僕は
思った。」
「僕は、ハ調クワルテット(K.465)の第二楽章を聞い
ていて、モオツアルトの持っていた表現せんとする意
志の驚くべき純粋さが現われてくるさまを、一種の困
惑を覚えながら眺めるのである。」

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プラトン目録

”哲学”は、プラトンに始まって
プラトンに終わります。

日本語の題名で気になるものがあれば
一読を。

プラトンは、最も読みやすい本ですが、
”解らない”人は、永遠にわからない本でも
あります。

 『プラトン全集』
岩波書店版『プラトン全集』
・第01巻(四部作集I、B-I、1975年07月)
 「エウテュプロン――敬虔について」(今林万里子訳)
 「ソクラテスの弁明」(田中美知太郎訳)
 「クリトン――行動はいかにあるべきかということについて」(田中美知太郎訳)
 「パイドン――魂について」(松永雄二訳)

・第02巻(四部作集II、B-I、1974年12月)
 「クラテュロス――名前の正しさについて」(水地宗明訳)
 「テアイテトス――知識について」(田中美知太郎訳)

・第03巻(四部作集II、B-I、1976年06月)
 「ソピステス――〈あるもの〉(有)について」(藤沢令夫訳)
 「ポリティコス(政治家)――王者の統治について」(水野有庸訳)

・第04巻(四部作集III、B-II、1975年06月)
 「パルメニデス――イデアについて」(田中美知太郎訳)
 「ピレボス――快楽について」(田中美知太郎訳)

・第05巻(四部作集III、B-II、1974年10月)
 「饗宴――恋について」(鈴木照雄訳)
 「パイドロス――美について」(藤沢令夫訳)

・第06巻(四部作集IV、B-II、1975年01月)
 「アルキビアデスI――人間の本性について」(田中美知太郎訳)
 「アルキビアデスII――祈願について」(川田殖訳)
 「ヒッパルコス――利得愛求者」(河井真訳)
 「恋がたき――愛知について」(田之頭安彦訳)

・第07巻(四部作集V、B-III、1975年03月)
 「テアゲス――智恵について」(北嶋美雪訳)
 「カルミデス――克己節制(思慮の健全さ)について」(山野耕治訳)
 「ラケス――勇気について」(生島幹三訳)
 「リュシス――友愛について」(生島幹三訳)

・第08巻(四部作集VI、B-III、1975年04月)
 「エウテュデモス――争論者」(山本光雄訳)
 「プロタゴラス――ソフィストたち」(藤沢令夫訳)

・第09巻(四部作集VI、B-III、1974年11月)
 「ゴルギアス――弁論術について」(加来彰俊訳)
 「メノン――徳について」(藤沢令夫訳)

・第10巻(四部作集VII、B-III、1975年02月)
 「ヒッピアス(大)――美について」(北嶋美雪訳)
 「ヒッピアス(小)――偽りについて」(戸塚七郎訳)
 「イオン――『イリアス』について」(森進一訳)
 「メネクセノス――戦死者のための追悼演説」(津村寛二訳)

・第11巻(四部作集VIII、B-IV、1976年01月)
 「クレイトポン――徳のすすめ」(田中美知太郎訳)
 「国家――正義について」(藤沢令夫訳)

・第12巻(四部作集VIII、B-IV、1975年09月)
 「ティマイオス――自然について」(種村恭子訳)
 「クリティアス――アトランティスの物語」(松井正俊訳)

・第13巻(四部作集IX、B-V、1976年04月)
 「ミノス――法について」(向坂寛訳)
 「法律――立法について」(森進一+池田美恵+加来彰俊訳)

・第14巻(四部作集IX、B-V、1975年05月)
 「エピノミス(法律後篇)――哲学者」(水野有庸訳)
 「書簡集」(長坂公一訳)

・第15巻(B-V、1975年10月)
 「定義集」(向坂寛訳)
 「正義について」(福島民雄訳)
 「徳について」(福島民雄訳)
 「デモドコス――助言について」(福島民雄訳)
 「シシュポス――審議について」(福島民雄訳)
 「エリュクシアス――富について」(尼ヶ崎徳一訳)
 「アクシオコス――死について」(西村純一郎訳)
 「文献案内」(山野耕治)
・『プラトン対話篇 ラケス――勇気について』(三嶋輝夫訳、講談社学術文庫1276、1997)

・『ソクラテスの弁明/クリトン』(久保勉訳、岩波文庫青601-1、岩波書店、1964)

・『ソークラテースの弁明』(田中美知太郎訳、新潮文庫、新潮社、1983/11)

・『ソクラテスの弁明/エウチュプロン/クリトン』(山本光雄訳、角川文庫、角川書店、1990/06)

・『ソクラテスの弁明・クリトン』(三嶋輝夫+田中享英訳、講談社学術文庫1316、1998)
 本書にはクセノポンによる『ソクラテスの弁明』の邦訳も収録されている。

・『ソクラテスの弁明ほか』(田中美知太郎訳、中公クラシックス、中央公論新社、2002/01)

・『プロタゴラス――ソフィストたち』(藤沢令夫訳、岩波文庫青601-9、岩波書店、1988)

・『ゴルギアス』(加来彰俊訳、岩波文庫青601-2、岩波書店、1967)

・『メノン』(藤沢令夫訳、岩波文庫青601-6、岩波書店、1994)

・『饗宴』(久保勉訳、岩波文庫青601-3、岩波書店、1965)

・『饗宴』(森進一訳、新潮文庫、新潮社、1983/07)

・『改訳 饗宴――恋について』(山本光雄訳、角川文庫、角川書店、1984/06)

・『パイドン――魂の不死について』(岩田靖夫訳、岩波文庫青、岩波書店、1998)

・『国家』(全2冊、藤沢令夫訳、岩波文庫青601-7, 8、岩波書店、1979)

・『パイドロス』(藤沢令夫訳、岩波文庫青601-5、岩波書店、1967)

・『テアイテトス』(田中美知太郎訳、岩波文庫青601-4、岩波書店、1966)

・『法律』(全2冊、森進一+池田美恵+加来彰俊訳、岩波文庫青602-0、岩波書店、1993)

・『プラトン書簡集――哲学者から政治家へ』(山本光雄訳、角川文庫、角川書店、1990/11)

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数の単位

数の単位(法華経)
「私が成仏してからは、無量無辺百千万億那由他劫なり。
・・・・」

法華経(例えば、如来寿量品 第十六 )
は、私たちの想像力がいかに貧弱かを
思い知らせてくれるだろう。

1光年(光が1年で進む距離)が約1.5京メートル。
宇宙の大きさは、約137億光年、ということは
たった、約0.02穣メートルってことか〜?
(計算が間違っていたら失礼!)

数の単位
浄 10(-23乗)  よみ:  じょう
清 10(-22乗) よみ:  せい
空 10(-21乗)  よみ: くう
虚 10(-20乗) よみ:  きょ
六徳 10(-19乗) よみ:  りっとく
刹那 10(-18乗) よみ:  せつな
弾指 10(-17乗) よみ:  だんし
瞬息 10(-16乗) よみ:  しゅんそく
須臾 10(-15乗) よみ:  しゅゆ
逡巡 10(-14乗) よみ:  しゅんじゅん
模糊 10(-13乗) よみ:  もこ
漠 10(-12乗) よみ:  ばく
渺 10(-11乗) よみ:  びょう
挨 10(-10乗) よみ:  あい
塵 10(-9乗) よみ:  じん
沙 10(-8乗) よみ:  しゃ
繊 10(-7乗) よみ:  せん
微 10(-6乗) よみ:  び
忽 10(-5乗) よみ:  こつ
糸 10(-4乗) よみ:  し
毛 10(-3乗) よみ:  もう
厘 10(-2乗) よみ:  りん
分 10(-1乗) よみ: ぶ

一 1  よみ: いち
 十 10  よみ: じゅう
 百 10(2乗)  よみ: ひゃく
 千 10(3乗)  よみ: せん
 万 10(4乗)  よみ: まん
 億 10(8乗)  よみ: おく
 兆 10(12乗)  よみ: ちょう
 京 10(16乗)  よみ: けい
 垓 10(20乗)  よみ: がい
 ? 10(24乗)  よみ: し
 穣 10(28乗)  よみ: じょう
 溝 10(32乗)  よみ: こう
 澗 10(36乗)  よみ: かん
 正 10(40乗)  よみ: せい
 載 10(44乗)  よみ: さい
 極 10(48乗)  よみ: きょく
 恒河沙 10(52乗)  よみ: こうがしゃ
阿僧祇 10(56乗)  よみ: あそうぎ
那由他 10(60乗)  よみ: なゆた
不可思議 10(64乗)  よみ: ふかしぎ
無量大数 10(68乗)  よみ: むりょうだいすう

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世界を見る目が変わる50の事実

<腐っても、日本>
なんだかんだと不平不満が爆発している日本だが、世界は
もっと苦しい。

・世界で3人に1人は戦時下に暮らしている。

・世界の人口の70%以上は電話を使ったことがない。

・世界の5人に1人は1日1ドル未満で暮らしている。

・米国に生まれる黒人新生児の3人に1人は刑務所に送られる。

・中国では4400万人の女性が行方不明

・インドでは4400万人の児童が働かされている。

・世界にはいまも2700万人の奴隷がいる。

・2002年、世界の死刑執行の81%は中国、イラン、米国の
わずか3ヶ国で占められている。
中国1060人、イラン113人、米国71人

・ケニアでは家計の1/3が賄賂に使われる。

・世界では7人に1人が日々飢えている。

————————————–
<世界がもし100人の村だったら>
アジア人57人
ヨーロッパ人21人
南北アメリカ人14人
アフリカ人8人

・キリスト教30人

・6人のアメリカ人が全世界の富の59%を所有

・文字が読めない人70人

・栄養失調に苦しむ人50人

・大学の教育を受けた人は1人

・コンピュータを持っている人は1人

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、
頭の上に屋根があり、寝る場所があるの
なら・・・あなたは世界の75%の人た
ちより裕福で恵まれています。
もし銀行に預金があり、お財布にお金が
あり、家のどこかに小銭が入った入れ物
があるなら・・・あなたはこの世界の中
でもっとも裕福な上位8%のうちのひと
りです。

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臨終リスト

32才 
キリスト(bc4-28)他殺
坂本龍馬(1835-1867)他殺

37才 
ラファエロ(1483-1520)医者の過失
ゴッホ(1853-1890)自殺
宮沢賢治(1896-1933)急性肺炎

48才
聖徳太子(574-622)伝染病?
上杉謙信(1530-1578)脳溢血
織田信長(1534-1582)他殺

49才
秦の始皇帝(BC259-BC210)コレラ?
夏目漱石(1867-1916)胃潰瘍

50才
芭蕉(1644-1694)赤痢
西郷隆盛(1827-1877)他殺

51才
バルザック(1799-1850)糖尿病
岡倉天心(1862-1913)糖尿病、尿毒症
井原西鶴(1642-1693)不明

52才
シェークスピア(1564-1616)不明
ナポレオン(1769-1821)砒素毒反応有り
山岡鉄舟(1836-1888)急性腹膜炎

53才
諸葛孔明(181-234)不明
道元(1200-1253)腫れ物、ガン?

56才
ダンテ(1265-1321)マラリア
ニーチェ(1844-1900)卒中発作
萩原朔太郎(1886-1942)急性肺炎

57才
ベートーヴェン(1770-1827)肝硬変

58才
マキャベリ(1469-1527)胆石?
尾形光琳(1658-1716)不明

59才
モンテーニュ(1533-1592)尿道結石?
スタンダール(1783-1842)脳卒中
中里介山(1885-1944)腸チフス

60才
日蓮(1222-1282)潰瘍、ガン?
ドストエフスキー(1821-1881)喀血
森鴎外(1862-1922)肺結核、萎縮腎

61才
マホメット(571-632)不明
(12人の妻)
空海(774-835)腎臓炎
鴨長明(1155-1216)不明
「方丈記(57才)」
宮本武蔵(1584-1645)不明
ヘーゲル(1770-1831)不明

62才
アリストテレス(BC384-BC322)海峡に投身
玄奘三蔵(602-664)不明
豊臣秀吉(1536-1598)肺結核、肺ガン?
「露と落ち露と消えぬるわが身かな浪花のことは夢のまた夢」

67才
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)不明
「最後の晩餐(46才)」「モナリザ(53才)」
蕪村(1716-1783)病没
福沢諭吉(1834-1901)脳溢血

69才
千利休(1522-1591)切腹
二宮尊徳(17871856)病没
内村鑑三(1861-1930)病没

70才
ピタゴラス(BC570-BC500)虐殺「そら豆畑を踏めず」
ソクラテス(BC469-BC399)法殺
兼好法師(1283-1353)不明
コペルニクス(1473-1543)脳溢血

71才
本居宣長(1730-1801)病没(ヘビースモーカー)
近松門左衛門(1653-1724)不明

72才
孔子(BC551-BC479)老衰
西行(1118-1190)老衰
「ねがはくは花のもとにて春しなんそのきさらぎの望月の頃」
沢庵(1573-1645)老衰
ショーペンハウエル(1788-1860)自然死
柳宗悦(1889-1961)自然死
棟方志功(1903-1975)肝臓ガン

73才
良寛(1758-1831)大腸ガン
川端康成(1899-1972)自殺

74才
徳川家康(1542-1616)胃ガン?
66才で子供をつくる
サド(1740-1814)喘息性肺血栓
南方熊楠(1867-1941)萎縮腎、黄疸

75才
アルキメデス(BC287-BC212)ローマの一兵士に殺される、戦没
柳生宗矩(1571-1646)病没
西田幾多郎(1870-1945)腎疾患

76才
勝海舟(1823-1899)脳溢血
アインシュタイン(1879-1955)胆嚢炎

79才
法然(1133-1212)老衰
藤原定家(1162-1241)病没
本阿弥光悦(1558-1637)老衰
谷崎潤一郎(1886-1965)病没

80才
釈迦(BC463-BC383)老衰
プラトン(BC427-BC347)脳溢血、心筋梗塞
本名:アリストクレス、プラトン(大男)はあだ名。
世阿弥(1363-1443)不明
尾形乾山(1663-1743)老衰
カント(1724-1804)老衰
幸田露伴(1867-1947)病没
永井荷風(1879-1959)胃潰瘍による急死?

81才
小林秀雄(1902-1983)腎不全、尿毒症

89才
親鸞(1173-1262)老衰
ミケランジェロ(1475-1564)老衰
葛飾北斎(1760-1849)老衰

92才
ピカソ(1881-1973)急性肺水腫

96才
鈴木大拙(1870-1966)腸閉塞

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羽生名人

「将棋の神さまと、角落ちなら勝てるって
マジかよ!」
(ちなみにその時は、”矢倉”戦法)

「この青年がどうやら有史以来の将棋の天
才らしいということが、おぼろげながらわ
かってきた。
ただ強いというだけではなく、何かこれま
での棋士と根本的に違う何かを発見した人
らしいということがわかってきた。」
(柳瀬尚紀)

「将棋は、一つの局面でだいたい100通
りぐらいの可能性があるのですが、その局
面で二、三通りの手を選ぶんです。残りの
90%以上は読まないで
捨ててしまうわけです。」(羽生)

「将棋の可能盤面数は10の30乗」(金出)

「優劣がはっきりしている場面は、時間を
かければ必ず最善手は見つかるのです。も
ちろん、一時間とか二時間というのではな
く何週間という単位で考えてのことですが。」
(羽生)

「経験を積むと、・・・経験や記憶の中か
ら、これを引き出して考えるという形にな
りがちです。
そればかりを繰り返していると、何か新し
い形とか、見たことがない形がパッと出現
したときに、すぐに適応できないというか、
パニックとまではいかないけれども、すぐ
にその状況についていけないということが、
プロでも起こり得るのです。
だから、いくら情報化が進んだり、ハード
が進歩したとしても、もう一回、一からき
ちんと考えなければいけなくなるだろう、
ということを最近よく考えるのです。」
(羽生)

「カスパロフが世界選手権を戦ったときの
様子を見て、いいアイデアを一つ思いつい
たのです。そのアイデアが正しいかどうか
をコンピュータに考えさせて完成し、勝負
に使って勝ったことがあるのです。アイデ
アを考え出したのは、たしかに私ですが、
かなりの部分はコンピュータの助けを借り
ています。
はたして、これは私の新手といえるのかど
うか。」

ベートーヴェンは好きですか?と聞かれて
「わたしはあんまり・・・・」(羽生)
バッハとどちらがお好きですか?
「バッハの方がいいですね。」(羽生)

「定跡からビジョンへ」

天才は、全て、芸術家なり!

<無限感とは芸術なり>
「将棋を指していると、「これって
きっと終わりはないだろうな」と思
うことがあるのです。どんなもので
もいずれはなくなりますよね。
しかし、将棋という、なくならない
ものを見つけたという感じです。
そして、もし私が無限に生きられる
としても、今のように、将棋につい
てわからないままの状態が続くだろ
うと確信できるのです。」

<これがプロです>
「一時間ぐらい考えれば、五百手、
千手、二千手・・・と読むことがで
きると思います。」

<実践の常識>
「意外に思われるかもしれませんが、
プロの棋士でも先を見通して指して
いることは非常に少ないのです。
実は、プロの集まりの時に。「実践
で、進行する十手先の局面を想定す
ることができるか?」と話題になった
のですが、「できない」ということで
一致したのです。」

「決断力」(1)

将棋界で最も権威ある「名人」が誕生したの
が1612(慶長17)年。
以来400年、「名人」の地位を得た人は25人。
羽生氏は1994年、名人米長邦雄を破って「名
人」となる、23歳。
2年後には、名人、竜王、棋聖、王位、王座、
棋王、王将の7冠を将棋界始まって以来初の
独占を果たす。

<ギリギリと確実性>
「勝つのは一点差でいい。五点も十点も大差
をつけて勝つ必要はない。常にギリギリの勝
ちを目ざしているほうがむしろ確実性が高く
なると思っている。」

<強さと信用>
「最近、こんな本を読んだことがある。投機
を仕事にしている人の話である。何万人、何
十万人という人たちが投機をしているが、ト
ップレベルの人間は、他の人たちと何が違う
かというと、仲間からの信用度が違うという
のである。つまり、「その人だったら、こう
するだろう」という信用があるというのだ。
将棋にかぎらず、勝負の世界では、多くの人
たちに、どれだけ信用されているか、風を送
ってもらうかは、戦っていくうえでの大きな
ファクターであり、パワーを引き出してくれ
る源である。」

「決断力」(2)

<プロの棋士でも、十手先の局面を想定する
ことはできない>
「1時間ぐらい考えれば、五百手と千手、二
千手と読むことができる。しかし、そのくら
い読めたとしても、実際の対局では、いつも、
それだけの数の指し手を読んではいないし、
状況を理解するには少なすぎる。」

<人間の本質とは>
「判断のための情報が増えるほど正しい決断
ができるようになるかというと、必ずしもそ
うはいかない。私はそこに将棋のおもしろさ
の一つがあると思っている・・・・
私は、将棋を通して、そういう人間の本質に
迫ることができればいいな、と思っている。」

<最強の棋士>
「将棋史上最強の棋士が十五世名人の大山康
晴先生であることは、誰もが認めるであろう。
・・・私は十八歳のときに初めて対局したが、
・・・ハッキリいって、大山先生は盤面を見
ていない。読んでいないのだ。
私は先生に十局ほど教わったが、脇で見てい
ても読んでいないのがわかる。読んではいな
いが、手がいいところにいく。自然に手が伸
びている。それがもうピッタリといった感じだ。
まさに名人芸そのものであった。」

「決断力」(3)

文学もアートも”拡散”している・・・

<最先端の将棋は、集中から拡散へと進歩している>
現在、対局の三割に矢倉という戦法が使われ
ているが「あと二十年たったら、おそらくこ
の矢倉という戦法は流行っていないのではな
いかという気がする。」

「最近の特徴は、一つの形だけでなく、十個
とか十五個とか、二十個という数多くの形が
同時並行的に研究され、進歩している。つま
り、今、最前線の将棋は、拡散的進歩の大きな渦
の中にあるといえよう。
一つの形であれば、それを理解し、その先端
を行くことは可能だが、数が増えてくると、
すべてを理解するのは不可能だ。
将棋のプロといっても、その一つ一つについ
て細かく研究し、全部がわかっている人は誰
もいないのが現状だ。ある部分に関しては詳
しく知っているが、ある部分に関しては何も
しらない、そういう事態が起きている。・・・
ある特定の戦型については、奨励会の子のほ
うがプロよりエキスパートだということはあ
り得る。そういうことが別に不思議ではなく
なってきている。ある戦型についてはアマチ
ュアの人が一番詳しいということも実際にあ
る。」

「拡散的進歩が続くと、これからは、最新の
情報にこだわっていく棋士と、ゴーイングマ
イウェイで独自にやっていく棋士の二極化が
ますます進むのではないだろうか。」

「決断力」(4)

<集中力だけをとりだして養うことはできない>
「深い集中力を得られるかどうかは、私の場
合は、将棋を指していて、面白いと感じられ
るかどうかによる。・・・だから、私は、ど
んなことでも、興味が続く限り集中力は続く
ものだと思っている。」

<私が対戦する相手はいつも絶好調>
「勢いのある人と対戦していると、そのとき
は大変でも、それをきっかけに自分の調子が
上向きになったりするのだ。気持ちが前向き
になると、調子も変わってくる。恵まれてい
るなと思っている。」

<色紙>
「最近、私は色紙を頼まれると、「玲瓏(れ
いろう)」とよく書く。・・・昔は「決断」
「一歩千金」という言葉を使ったが、
最近は、この「玲瓏」と「克己復礼」の二つ
を書くことが多い。」

注:「八面玲瓏」からとったもの(羽生)
以下、広辞苑では
「玲瓏」
1 金属や玉などが美しいさえた音をたてる
さま。また、音声の澄んで響くさま。
2 玉などが透き通り曇りのないさま。
「八面玲瓏」
1 どの方面から見ても、美しく透き通って
いること。
2 心中に少しのくもりもなく、わだかまり
のないさま。

「決断力」(5)完

<「名人伝」>
「中島敦の「名人伝」に、二人の弓の名人が
・・・・
いつか、そんな名人の心境で将棋を指してみ
たいという思いもあるが、そういう心境には
一生かかってもとても到達できないだろう。」

<人生を豊かにするポイント>
「私は、将棋を指す楽しみの一つは、自分自身
の存在を確認できることだと思っている。・・・・
私は、年齢にかかわらず、常に、その時、その
時でベストを尽くせる、そういう環境に身を置
いている—-それが自分の人生を豊かにする最
大のポイントだと思っている。」

<昔の棋士が今の棋士と対戦したら>
「現代の棋士のほうが圧倒的に強いと断言できる。
・・・・
たとえ升田先生(升田幸三)であっても、先生
が現代に姿を現し、今のプロ棋士と対戦したら、
それが初めての対戦ということであれば、残念
ながら戦いにならない。力をまったく発揮でき
ずに一瞬で勝負がついてしまうだろう。」

<対局数は名人の証>
「私が、これまで最も多く対戦している棋士が
谷川浩司さんだ。
・・・これまで百五十局近く対戦している。
通算対局で最も多いのは、中原誠ー米長邦雄戦
の百八十三局で、二位は大山康晴ー升田幸三戦
の百六十七局(大山96勝70敗1持将棋)である。」

<才能>
「以前、私は、才能は一瞬のきらめきだと思って
いた。しかし今は、十年とか二十年、三十年を同
じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと
思っている。」

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高貴なる敗北

高貴なる敗北
アイヴァン・モリス
Ivan Morris 1925-1976

「高貴なる敗北」
-日本史の悲劇の英雄たち-
昭和56年中央公論社

美しい日本人は一体何処にいった
のだろうか?「高貴なる敗北」に
描かれる悲劇の英雄たちを現代の
日本人は、果たしてどれだけ美し
いと感じ取れるだろうか?

「三島が崇拝していた人物とは、
成功者ではなかった。現実社会に
対して偉業をうち立てた人々では
なかった。・・・たとえば、大塩
平八郎のような人物であった。」

西洋では成功者を崇めている。没落
は汚点である。しかし、日本では挫
折した英雄を特にひいき目でみる性
質がある。

「この世の成功を手に入れるには、
一般にさまざまな術策、妥協を必要
とするが、日本では成功のための
いっさいの謀計をいさぎよしとしな
い。ひたむきな誠実さ、一途に誠心を
持つ人物が英雄として存在している。」

本書で扱われる、悲劇の英雄たちは
以下の通りである。

日本武尊、捕鳥部万、有馬皇子、菅原道真
源義経、楠木正成、天草四郎、大塩平八郎
西郷隆盛、カミカゼ特攻の戦士たち

<訳者あとがきから>
「カミカゼ特攻は、ほとんどの西洋人にとって
愚かしい気違い沙汰の行為であり、理解不能
の謎とされてきた。その謎をここでモリスは
解明してみせる。
あの若者たちの心情を、その歴史の条件と
いう視野の中に置いて見せて、初めて西洋
の読者に納得させる。のみならず、ここで
ははっきりと目的を持って死んだ若者たち
の生涯を美しく輝かしく見せている。
それは西洋の読者にとって初めてのこと
だった。」

「高貴なる敗北」は、特攻隊員の歌で
締めくくってある。

けふ咲きてあす散る花の我身かな
いかでその香を清くとどめむ

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アインシュタインの愛読書

「アインシュタインは、ショーペンハウエル
の「孤独と人生」を愛読し、いつも物質的な
豊かさを軽蔑し、名声や財産を目標とする人
を嫌悪した。またアインシュタインは、物を
所有するのは重荷だという信念どおりに生活
し、部屋には物質的に価値があるものは何一
つなかったといわれる。」
(「アインシュタイン丸かじり」志村史夫)

注:「孤独と人生」は以下の本に掲載されています。
「幸福について-人生論-」新潮文庫
「ショウペンハウアー全集11巻」(白水社)
「孤独と人生」(白水社)

「昔から多くの人々が所有、外面的な成功、
贅沢を求めて努力して来ましたが、私には
いつもそれらが実に卑しむべきものに思え
ました。」
(アインシュタイン)

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モンテーニュ

< モンテーニュ・エセー>
モンテーニュ1533-1592
Michel Eyquem de Montaigne
「エセー」(1)

最近の悲しみの表現はどこか嘘っぽい。

<no2 悲しみについて>
「軽い悲しみは語り、深い悲しみは沈黙する」
(セネカ「ヒッポリュトス」)

<no3 われわれの感情はわれわれを超えてゆくこと>
ソクラテスは最後に臨んでどのように葬られた
いかと尋ねたクリトンに「おまえの好きなよう
に」と答えた。(プラトン「パイドン」)

<no4 心は正しい目標を欠くと、偽りの目標に
はけ口を向けること>
「事柄に怒ってはならぬ。事柄はわれわれがい
くら怒っても意に介さない。」
(プルタルコス「怒りを抑える方法」)

–空舟に衝突しても怒りの先は見つからない–

<no8 無為について>
「確固たる目的をもたない精神は自分を失う。」

「無為は常にさ迷う精神を生む」
(ルカヌス「ファルサリア」)
「エセー」(2)

<no20 哲学をきわめることは死ぬことを学ぶこと>
「哲学をきわめるとは死の準備をすること」
(キケロ)

「あらかじめ死を考えておくことは自由を考える
ことである。」

<no21 想像力について>
「私は何かの病気を調べているうちに、その病気
をとらえて、自分の中に宿してしまう」

「彼は日中非常な興味を覚えながら闘牛を見物し、
その夜一晩じゅう頭に角の生える夢を見たために、
想像の力によって本当に額に角が生えた。」
(プリニウス「博物誌」11-45)

「眼は眼病にかかった眼をみていると自分も眼病
になる」(オウィディウス「愛の妙薬」5-615)

「エセー」(3)

<no26 子供の教育について>
「剛毅、信義、誠実が真の哲学であり、それ以外
を目的とする学問は虚飾にすぎない」
(プラトン「アリストドロスへの手紙」)

「知恵のもっとも明白なしるしは、常に変わらぬ
喜悦であります。」(セネカ「書簡」59)

「事柄が明らかになれば、言葉はおのずから従う」
(ホラティウス「詩論」311)

「心を打つ言葉だけが味わいがある」
(ルカヌスの墓碑銘)

「真理に役立つ話し方は、巧まずに、単純でなけ
ればならぬ」
(セネカ「書簡」40)

<no28 友情について>
「友情にあっては、もしも一方が他方に与えること
がありうるとすれば、親切を受け取るほうこそ、こ
れを与えるほうに恩義を施すことになるであろう。」

男女の友情が成立しないのは、その目的が肉体的で
飽満を免れえないからである。
女性の才能は、この神聖な結合(友情)を育てるに
は適していないし、永い結合の緊縛に堪えるだけ強
くはないようである。
「女性がそこ(友情)に到達したという実例は一つ
もない。そして古代の学派はみな一様に、女性を友
情から締め出している。」

「エセー」(4)

<no30 節制について>
「過度に徳を求めれば、狂人といわれ、正しい人も
不正な人と呼ばれる」
(ホラティウス「書簡詩」1-6-15)

「哲学は適度に学べば面白く快適なものであるが、
結局は、人間を交際嫌いにし、不徳にし、宗教や
一般のしきたりを軽蔑させ、社交や人間のもろもろ
の快楽を敵視させ、あらゆる政治に不向きにし、他
人を救うことも自分を救うこともできなくし、誰か
らも嘲笑されるにふさわしいものにする」

<no32 天命を判断するには慎ましくすること>
「われわれは太陽の光線から与えられる光だけで満
足しなければならない。目を上げてじかにもっと多
くの光を得ようとする者は、傲慢の罰として目が見
えなくなっても驚いてはいけない。」

<no39 孤独について>
「われわれは出来れば、妻も、子供も、財産も、そ
してとくに健康も、持つべきである。だが、われわ
れの幸福がただそれだけに左右されるほどに縛られ
てはならない。そのためには、完全に自分自身の、
まったく自由な店裏の部屋を一つ取っておいて、そ
こに自分の真の自由と唯一の隠遁と孤独を打ち立て
ることができるようにしなければならない。」

ソクラテスいわく、若者は教養を積まねばならない。
成人は善行に励まねばならない。そして、老人は定
職の義務も負わずに気儘に生きてゆかねばならない、
と。

「エセー」(5)

<no42 われわれの間にある差異について>
「もしも精神が卑しく愚かな人間だったら、それが
何になるか。快楽も幸福も、生気溌剌たる精神がな
くては感じられない。」

「満ち足りて、思いのままになる恋愛は、過度の美
食が胃をこわすように、うとましい」
(オウィディウス「恋愛詩」2-19-25)

「豊富ということほど、楽しみの妨げとなり、人を
不快にするものはない。」
(カルコンディラス「東ローマ帝国衰亡史」3-13)

「プルタルコスはどこかで、動物相互の間には、人
間相互の間にあるような大きな差異はないと言って
いる。・・・私はプルタルコスに輪をかけて、人間
相互の間には人間と動物の間における以上の差異が
ある、と言いたい。」

「健康や、美貌や、体力や、富や、その他、善と称
せられるすべてのものは、正しい者には善となるが、
不正なものには悪となる。」(プラトン「法律」)

「エセー」(6)

<no46 名前について>

<ノートルダム寺院の場所は、暴行者の家>
「ポアチエにあるノトル・ダーム・ラ・グラン寺院
の由来は次のように伝えられている。
その近くに住む放蕩者の若者が、若い娘を手ごめに
して、まずその名前をたずねると、娘はマリアと答
えた。彼はわが救世主の御母である聖処女の御名に
非常に強い敬虔の念に打たれ、ただちに女を追い返
したばかりでなく、その後の一生を贖罪に捧げた。
そしてこの奇蹟のために若者の家のあった場所に
ノトル・ダームに捧げる礼拝堂が建立され、それが
のちに今日見られるような寺院となったのである。」

<音楽の力>
「ピュタゴラスは、あるとき、一緒にいた若者達が
祭りの気分に浮かれて、貞淑な子女の家を荒らしに
行こうと企んでいるのを察して、踊りの伴奏をして
いた女に命じて調子を変えさせ、荘重で、厳粛な、
長々格の音楽を弾かせた。そして、いつの間にか彼
らの血気を眠らせて取り鎮めた。」

人名によらず、企業名、商品名など、よい名前を
もつことは大切である。
「ソクラテスも、子供にいい名前をつけてやるこ
とは父親の大いに心すべきことだといっている」

「エセー」(7)

<われわれの判断の不定なことについて>
「何事にも賛否はいくらでも言える」
(ホメロス「イリアス」20-249)

「誤った考えが成功し、思慮深い考えが間違う
ことがある。運命はかならずしも正しい道理を
認めないし、それに値するものを助けるとは限
らない。」(マニリウス4-95)

「我々はでたらめに、無思慮に理性を働かす。
われわれの理性も、われわれと同様に、偶然と
密接なかかわりをもつからである。」
(プラトン「ティマイオス」)

<酩酊について>
「プラトンは18歳未満の少年に酒を飲むことを
禁じ、40歳未満の者に酔っ払うことを禁じてい
る。しかし、40歳を過ぎた者には、大いにこれ
を楽しむことを命じ、食事の中にたっぷりとディ
オニュソス(酒神バッコス)の感化をまぜるこ
とを命じている。」

「エセー」(8)

<ケオス島の習慣について>

<最も避けるべき暴力>
「良心に対して加えられる暴力のうちでもっとも
避くべきものは、私の考えでは、婦人の貞操に対
する暴力であると思う。そこには自然にいくらか
の肉体的快楽がまじるからである。また、そのゆ
えに、婦人の拒否も完全ではありえないし、その
暴力には婦人の側からの多少の同意がまじるよう
に思われる。
ペラギアとソフロニアは二人共、聖女の列に加え
られているが、前者は数人の兵士の暴行を避ける
ために母と妹たちとともに河に身を投げ、後者も
皇帝マクセンティウスの暴行を逃れるために自殺
した。
教会の歴史は、暴君どもが良心を辱しめようとし
たのに対し、死をもって身を守った信心の厚い婦
人たちのこのような多くの実例に敬意を表してい
る。」

<自殺は絶望か>
「アンブラキアのクレオンブロトスはプラトンの
「パイドン」を読んで大いに来世にあこがれ、ほ
かにこれという理由もないのに、海に身を投げた。
このことから、自殺を絶望と呼ぶのがいかに不適
当であるかは明らかである。」

「エセー」(9)

<結婚と年齢>
「私は33才で結婚しましたが、アリストテレス
の説といわれる35才説に賛成します。プラトン
は30才前には結婚すべきではないと言っていま
す。もっとも55才以後に結婚の営みをする人た
ちを軽蔑して、彼らの子供は養育するに値しな
いと言っているのも正当です。」

「スペイン領インドのある地方では、男は40を
過ぎてからでないと結婚を許されませんでした。
女は10才で許されました。」

<女>
「妻は常に夫の意見に逆らいたがるものです」

「金持ちな女ほど善良です」

「貧困や窮乏は男性よりも女性にとってはいっ
そう不似合いで、耐え難いものです」

「彼女らはもっとも間違っているとき、最も自
分が可愛いのです」

「女には・・・男の上に立つ権力を与えるべき
ではないと思われます。・・・彼女らの選択は
常に気まぐれです。・・・彼女らには本当に値
打ちのあるものを選び、これを抱くだけの理性
の力がありません」

「エセー」(10)

<愛読書>
プルタルコスの「倫理論集」とセネカの「書簡」
「彼らの教えは哲学の精華であり、表現は単純、
適切である。プルタルコスはより一様で恒常であ
り、セネカはより多様と変化に富んでいる。後者
は努力し、緊張して、惰弱や恐怖や諸々の不徳な
欲望に対して徳を武装させようとする。
前者はこれらの悪徳の力をそれほど高く買わず、
そのために足を早めたり身構えたりするのをばか
にしているようにみえる。
プルタルコスはプラトン的な、おだやかな、市民
社会に順応した意見をもっている。
セネカはストア的な、エピクロス的な意見、一般
の習慣からはより離れているが、私の考えでは、
個人生活により適した、より強固な意見を持って
いる。・・・プルタルコスはどこにおいても自由
である。セネカは警句と名言に満ちており、プル
タルコスは事実に満ちている。
前者は人を刺激し、感奮させる。後者はそれ以上
に人を満足させ、よりよき報いを与える。
プルタルコスはわれわれを導き、セネカはわれわ
れを駆り立てる。」

「エセー」(11)

<ソクラテスの徳は称賛に値するか>
「ソクラテスの精神は私の知る限りもっとも完全
なものであるが、・・・(果たして称賛すべきも
のなのか?)・・・この人の中には、不徳な情欲
のいかなる働きも認めることができないからであ
る。私は、彼の徳の歩みの中に、いかなる困難も
いかなる葛藤も想像することができないし、彼の
理性があまりに強く、あまりにも権威をもってい
るために、不徳な欲望が生まれることさえできな
かったのを知っている。
彼のようなあんなに高い徳に対しては、いかなる
抵抗も考えることができない。
彼の徳は勝ち誇った足取りで、堂々と、悠々と、
いかなる障害にも会わずに、歩いてゆくように見
える。」

「エセー」(12)

<動物との会話>
「プラトンはサトゥルヌスが治めていた黄金時代
を描いて(「ポリティコス」272)、当時に人間
の主な長所の中に、動物と話し合うことができた
ことをあげている。
そして人間が動物たちから尋ねたり学んだりして、
それぞれの動物の真の特徴と差異を知っていたた
めに、きわめて完全な知性と思慮を得て、今のわ
れわれよりもずっと幸福な生活を送っていたとい
っている。」

「自然が動物にいろいろの体形を与えたのは、そ
れをいまの人間に吉兆の占いのために使わせよう
としたからにほかならない」
(プラトン「ティマイオス」72)

「エセー」(13)

<良心について>
「悪事は悪事を企む者をもっとも苦しめる」
(アウルス・ゲリウス「アッティカ夜話」)

「どんな隠れ家も悪人どもには役にたたない。
良心が彼らを彼ら自身にあばくので、安心して
隠れていられないからだ」
(エピクロス)

<友情、動物について>
「王リュシマコスの犬ヒルカヌスは、主人が死
ぬとその寝台の上に座ったまま、飲もうとも食
おうともしなかった。そして主人の遺骸が焼か
れた日に、いきなり駆けだして、その火の中に
身を投げて、焼け死んだ。
ピュロスという人の犬も同じだった。その犬は、
主人が死んでから寝台のそばを離れず、遺骸と
一緒に運ばれていって、最後に主人が焼かれて
いる薪の山に飛び込んだ。」

「エセー」(14)

<賢いという禍>
「あまりに賢すぎないことは大きな幸いである」

「考えるところには、けっして楽しい生活がない」
(ソフォクレス)

「知識が多ければ苦痛も多い」
(「伝道の書」)

「単純な者と無知な者は高められて天国を得るが、
われわれは知識のゆえに地獄の深淵に落ちる」
(聖パウロ)アグリッパ「学問のむなしさと不確か
さについて」

「無知なるものがかえってよく神を知る」
(聖アウグスティヌス「秩序について」)

「神々の御業を知るよりも信ずるほうが、いっそう
神聖で敬虔である」(タキトゥス「ゲルマニア」)

「神は徳にも不徳にもひとしくかかわりがない」
(アリストテレス「ニコマコス倫理学」)

「神は愛情にも怒りにも動かされない。なぜなら、
こういうものはすべて弱い者に属する特性である
から」(キケロ「神々の本姓」)

「エセー」(15)

–禅以前、しかし、禅に似たるもの–

<ピュロン主義者の不動心(アタラクシア)>
「不動心とはわれわれが事物についてもっているつも
りでいる意見や知識の印象から受ける動揺を受けるこ
とのない、平和で冷静な生き方である。実はこの動揺
から、恐怖、吝嗇、羨望、過度の欲望、野心、高慢、
迷信、新し好き、反逆、反抗、執拗、その他大部分の
肉体的な病気が生じるのである。」

<ピュロン主義者の信条>
「自分を知り、自分を判断し、自分を非難する無知は
完全な無知ではない。完全な無知であるためには、自
分自身についても無知でなければならない。したがっ
てピュロン主義者の信条は、動揺し、疑い、探究し、
何事にも確信をもたず、何事も保証しないということ
になる。」

<ピュロン主義者の表現>
「「これでもないし、あれでもない」「私にはわから
ない」「外見はどこもおなじである」「賛成も反対も
ひとしく可能である」「真実らしく見えるもので虚偽
らしく見えないものはない」「神は、われわれがこれ
らの事物を知ることではなくて、用いることだけを欲
し給う」・・・
人間の考え出した学説の中でこれほど真実らしさと有
用さをもつものはない。この学説は人間を、赤裸で空
虚なもの、おのれの弱さを認め、天上からの何かの外
来の力を受けるにふさわしいもの、人間的な知恵を去
ってそれだけ神の知恵を宿すにふさわしいもの、自分
の判断を捨ててそれだけ多く信仰に席を譲ろうとする
もの、不信心でもなく、一般の慣習に反するどんな説
も立てず、謙虚で、従順で、素直で、熱心なもの、異
端を徹底的に憎むもの、したがって、誤った宗派によ
って持ち込まれたむなしい、不敬な教説に煩わされな
いもの、として描いている。」

「エセー」(16)

われわれの想像力は果たして進化しているだろうか?

<神とはなにか>
「タレスは、・・神は水で万物をつくる精霊だと考え
た。・・アナクシメネスは、神は空気であり、生み出
された無限のもので、常に動いていると考えた。
アナクサゴラスは、・・万物の配置や秩序が無限な力
と理性に導かれているものと考えた。
ピュタゴラスは、神を、万物の本性に偏在する精神で
あり、われわれの精神もそこから分かれたものである
とした。・・エンぺドクレスは、万物の元である四つ
の元素であるとした。・・
プラトンは、・・その存在を詮索してはならないと言
い(「法律」)・・ヘラクレイデスは、・・神は感情
をもたず、次々と形を変えるものであると言い、天と
地であるとも言った。
・・
クセノファノスは、神は円く、目と耳を持ち、呼吸せ
ず、人間と何の共通点ももたないものであるとした。
・・
ディアゴラスとテオドロスは、神々の存在をきっぱり
と否定した。」

「エセー」(17)

<存在とは>
私の、「存在論」の結論は、以下、ルクレティウス
の言葉と同じである。
「宇宙の中に唯一のものは何もない。単独で生まれ、
単独で生長するものは何もない。」
(ルクレティウス2-1077)

注:ルクレティウス
Titus Lucretius Carus BC94-BC55
「物の本質について」(岩波文庫)

自分というものは、考えてもわからない。
自分がどんな人間と付き合い、どんなことに関わっ
ているか、ということが、即ち、「自分」なのだ。

「あるらしく見えるものの中で無以上のものは何も
ない。不確実以外に確実なものは何もない。」
(ナウシファネス)
これは、まるで量子力学の世界である。

パルメニデスは、あるものは「一」だけである、と
言い、ゼノンは「一」すらも存在しないという。
「もし「一」があるとするならば、他のものの中に
あるか、それ自身の中にあるかのいずれかである。
他のものの中にあるとすれば、それは二つである。
それ自身の中にあるとしても、含むものと含まれる
ものとで、やはり二つである。」

「人間は実に愚かである。一匹のダニもつくれない
くせに、何ダースもの神をつくる。」

「エセー」(18)

プラトンは神の子だったというお話

<プラトンの両親>
「アテナイでは、プラトンが父方も母方も神々の出で
あり、一族の共通の祖先としてネプトゥヌス神をいた
だいているということだけではまだ足りないみたいに、
次のことがまことしやかに信じられていた。
すなわち、アリストンは美しいペリクティオネを物に
しようとして果たすことができなかった。
そして夢の中でアポロンの神から、彼女が分娩するま
では、無垢のまま手を触れずにおくようにとのお告げ
を受けた。
このアポロンとペリクティオネの間に生まれたのが、
プラトンだというのである。」

「母、間人皇女は救世観音が胎内に入り、皇子を身籠
もった」という聖徳太子出生伝説を思い出させる。

「エセー」(19)

<目で見たことしか信じない人へ>
「人間の目は、物事を自分の知っている形でしか
とらえることができない。」

<専門家の愚かさ>
「学問の始めと終わりは、愚かさの点で一致する」

<プラトンは来世を信じていた?>
「プラトンは、・・来世の報いを、人間の寿命に
釣り合わせて、百年間に限るとした。」
(プラトン「国家」第10巻615A)

「プラトンは、・・来世における刑罰や報酬も、現世
の生命と同じように、一時的なものにすぎないと言った。
そして、精神が何度も旅をして滞在してきた天国や地獄
や現世について、不思議な知識をもっていることが想起
の材料になると結論した。」
(プラトン「メノン」)

プラトンは「われわれが学ぶことは一度知ったことの
想起にすぎない」と言った。
(プラトン「パイドン」)

「エセー」(20)

<人間の能力の程度は一事が万事である>
「一つの物が他の物よりも、より多く、あるいは
より少なく、理解されるということはありえない。
なぜなら、すべての物についての理解の仕方はただ
一つだから。」
(キケロ「アカデミカ」)

<言葉の意味>
「万物はその中に外見どおりのものをもっている」
(ヘラクレイトス)

「事物はその中に、けっして外見どおりのものを
もたない」
(デモクリトス)

上記二人の意見は実は、同じなのである。
言葉の意味とは、言葉にはなく、誰がそれを言った
かにある。

<こんな男は嫌われる>
「ソクラテスの妻が、「おお、よこしまな裁判官た
ちが不正にも夫を死刑にする」と言って悲しむと、
ソクラテスは「それならおまえは私が正当な理由で
処刑されたほうがいいと言うのか」と答えた」

「エセー」(21)

<盲人の視覚言語>
「生まれつき盲の、少なくとも視覚とは何であるか
を知らないくらい幼いときから盲の人に会ったこと
がある。
彼は自分に欠けているものをまったく理解していな
いために、われわれと同じように視覚に特有な言葉
を用い、それを全く独特な方法で用いていた。
自分が名付け親になった子供を差し出されると、そ
れを両手に抱いて、「ああ、美しい子だ。見るから
に気持ちがいい。なんて可愛い顔をしていること」
と言った。」

「人類もまた、何かの感覚を欠いているためにこれ
と同じような愚かなことをしているかも知れない。」

「エセー」(22)

<死について>
「カエサルは、どういう死がもっとも望ましいかと
聞かれて「もっとも思いがけなくもっとも短い死だ」
と答えた。」

「不幸な、堪えがたい出来事ばかりでなく、生の飽満
も、死にたい気持ちを起こさせるのだ。」

「次のことを銘記しなければならない。すなわち、「
人はなかなか死期に達したとは思わないものだ」とい
うことである。これが自分の最後だと覚悟して死ぬ人
はほとんどいない。また、そのときほどはかない望み
に欺かれることもない。」

<欲望>
「われわれの欲望は、手中にあるものを軽蔑し、それ
を飛び越えて、手元にないものを追い求める」

「欠乏と豊富は同じ不幸におちいる」

「困難は事物に価値を与える」

「エセー」(23)

<恋人と長く付き合う方法>
「もしも長く恋人をおさえておきたいなら、すげなく
せよ」
(オイディウス「恋愛詩」2-19-33)

<厳格・羞恥・貞潔・節制>
「あの乙女らしい羞恥のしなは何のためだろう。落着
きはらった冷たさや、きびしい顔つきや、教えるほう
のわれわれよりもよく知っている事柄を知らないふり
をするのは何のためだろう。
われわれに、これらのすべてのとりすました儀礼や障
害を征服し、抑えつけて、欲望の足下に踏みにじって
やろうという気持ちを増大させるためでなくて何であ
ろう。・・・
われわれにとっては、彼女らの心が恐怖にふるえ、わ
れわれの言葉に純潔な耳を汚され、いやいやながら、
われわれのしつこさに負けてやむをえず同意するのだ
と信ずることが必要なのだ。」

「彼女は柳の陰に逃げてゆくが、始めから見つかるこ
とを望んでいる」
(ウェルギリウス「田園詩」3-65)

「エセー」(24)

<栄誉について>
「世界中の栄誉も、理性ある人にとっては、これを
得るために指一本のばすにも値しない」

「「なんじの生活を隠せ」という(エピクロスの)
教訓は、人々に公の仕事や交際にかかずらうことを
禁ずるものであるが、これはまた必然的に、栄誉を
軽蔑することを前提とする。
なぜなら、栄誉は、人前にあからさまに見せる行為
に対する世間の称賛であるからだ。」

「アリストテレスは、栄誉に、外的な幸福のうちの
第一位を与えている。そしてこれを求めすぎること
も避けすぎることも両極端の悪として避けるように
教えている。」
(アリストテレス「ニコマコス倫理学」)

「立派な婦人は誰でも、自分の良心を失うよりは
むしろ名誉を失うほうを選ぶ。」

「エセー」(25)

<美貌の価値について>
「人間同士の間にあった最初の区別、互いの優劣を
きめた最初の基準は、おそらく美においてすぐれて
いることであったらしい。」

「土地はめいめいの美貌と体力と才知に応じて分配
された。なぜなら、美貌は尊ばれ、体力は重んじら
れたから。」
(ルクレティウス5-1109)

「小さい男は可愛いが美しくない。」
(アリストテレス)

「プラトンも、彼の国家の統治者には節制と勇気と
ともに、美貌を要求した。」
(プラトン「国家」第7巻535A,B)

「背丈の美しさだけが男性の唯一の美しさである。」
家来どもの真ん中にいる自分が、「ご主君はどこに
おいでですか」とたずねられるのは、まったく癪に
さわる。

「エセー」(26)

<真実に不忠な人は嘘にも不忠である>
「いったい、始終自分をごまかし、偽ることから、
人々はいかなる利益を期待するのだろうか。
結局、真実を言ったときにも人から本気にされなく
なるというだけではないだろうか。」

「アポロニオスは、嘘をつくのは奴隷のすること、
真実を言うのは自由人のすることと言った。」

「アリスティッポスは、哲学から得た第一の利益は、
誰にでも自由に、率直に話すことである、と言った。」

「心が疑いの中にあるときは、わずかの重みで、こっち
にも、あっちにも傾く。」
(テレンティウス「アンドリア」)

<愚かさの増幅>
「彫刻家は、立派な材料を手にして、へたくそに、彫刻
の規則に反していじくり廻せば、つまらない材料を使う
場合よりもいっそう愚かさをあらわすし、われわれも、
石膏における欠点よりも金の彫像における欠点を見て腹
を立てるようなものである。」

「エセー」(27)

<古今東西、いずこも同じ>
「もっとも軽蔑に値しない階級は、その単純さのゆえに
いちばん下層を占めている人々であるように思われる。
そして彼らの交際はずっと正常であるように思われる。
私(モンテーニュ)は、いつも百姓たちの行状や言葉が、
われわれの哲学者たちのそれよりも、真の哲学の教えに
かなっていると思っている。」

<快楽と苦痛>
「われわれの快楽の極致は、うなったり泣いたりしてい
るように見える。」

「神々はいかなる幸福をも純粋で完全なままでは与えな
い。われわれは何かの苦しみを払ってそれを買っている。」

「ソクラテスは、「ある神様が苦痛と快楽とを一つにま
ぜ合わせようとしたがうまくいかないので、せめて尻尾
のところだけでも結びつけようとした」と言っている。」

「メトロドロスは、「悲しみにはいくらか楽しみがまじ
っている」と言った。」

「エセー」(28)

<背教者ユリアヌス>
「本当に、ユリアヌス帝は実に偉大で稀有な人物であった。
精神は哲学の思想に濃く色どられ、・・・どの種類の徳に
おいてもきわめていちじるしい模範を残した。純潔という
点では、・・・数ある絶世の美人の捕虜の中の誰にも会お
うとしなかった。正義という点では、わざわざ自分で訴訟
の両方の言い分を聞いた。出頭した者どもには、好奇心か
ら、どの宗教を奉ずるかをたずねたけれども、キリスト教
に対していだいていた敵意のために、いささかも判断の天
秤を傾けなかった。自らも、多くのよい法律を作り、前の
皇帝たちが徴集した租税の大部分を撤廃した。
・・・ユリアヌス帝は確かに厳格ではあるが、残酷な敵で
はなかった。・・・(ある日)土地の司教マリスが大胆に
も「キリストの邪悪な反逆者」と呼ばわったが、彼(ユリ
アヌス)はただ「去れ、あわれな者よ、おまえの目が見え
ないことを嘆け」と答えただけだった。・・・・
彼の質素については、常に兵士と同じ生活をした。
そして平時にも、戦時のきびしさに自分を鍛えるような食
事をとった。・・・(そして彼は)あらゆる種類の文学に
精通していた。・・・われわれの記憶では、彼ほど多くの
危険に立ち向かい、試練に身をさらした人はほとんどいな
い。・・・宗教に関しては、あくまでも誤っていて、キリ
スト教を捨てたために、背教者とあだ名された。」
モンテーニュの「ユリアヌス」評を読んで、辻邦生の「背
教者ユリアヌス」を読むのも一興なり。

「エセー」(29)

<法律とは>
「法律からあらゆる不便と不都合を取り除こうとする
のはヒュドラの頭を切ろうとするようなものだ。」
(プラトン「国家」第4巻、426D)
注:ヒュドラ:ギリシャ神話の九頭の蛇でヘラクレス
に退治された怪物。一つの頭を切るとその跡に新たに
二つの頭ができたという。

<よい目的に用いられる悪い手段について>
「いまやわれわれは長い泰平に損なわれている。戦争
よりも恐ろしい惰弱に侵されている。」

「今日でもこのように論ずる者がたくさんいる。彼ら
はわれわれの中にたぎっている感情がどこか隣国との
戦争にまぎらわされることを望んでいる。」

「つつましい処女も、一太刀ごとに立ち上がり、勝利
者が敵の喉に剣を突き刺すごとに喜びの声をあげ、親
指をそらして、地に倒れ伏した敵を殺せとせき立てる。」

「エセー」(30)

<仮病をつかってはならぬこと>
病気の真似をしていると、本当に病気になる、という
お話。
「病人になるための気遣いと装いと報いは大したもの
だ。カエリウスの痛風の真似は、真似でなくなった。」

「運命はわれわれの冗談をそのままに受け取るのを喜ぶ
ように思われる」

<臆病は残酷の母>
「経験からも、意地悪くむごたらしい苛酷な心には普通
、女々しい惰弱が伴う・・・私は最も残酷な人々がつま
らない原因のために、きわめて涙もろいのを見た。」

「エセー」(31)

<ボクシングの創始者>
「プラトンは彼の国家の子供を教育するのに、アミュコス
とエペイオスによって伝えられた拳闘と、アンタイオスと
ケルキュオンによって伝えられた角力(すもう)を禁じた。
それが青年を軍務に順応させるのとは別の目的をもち、何
の役にも立たないからである。」

アミュコス:ギリシャ神話の中の、ポセイドンの子で拳闘
の発明者
エペイオス:トロヤ戦争の木馬の考案者で、優れた拳闘家。

アンタイオス:ポセイドンとガイヤの子。巨人でリュビア
に住み、通過する旅人に角力をいどみ、勝っては殺し、そ
の勝利品で父神の神殿を作った。

ケルキュオン:エレウシスの英雄。巨人で通行人に角力を
強いて殺した。

「エセー」(32)

企業戦争たけなわな昨今、指導者達の
愛読書とはなんであろうか。

<戦争の達人ーユリウス・カエサル>
「カエサルこそは、戦術の真実最高の模範として
あらゆる武人の枕頭の書とすべきである」

「(カエサル)の語り方はきわめて純粋で、精巧
で、完璧で、私(モンテーニュ)の好みからすれ
ば、この部門で彼の著作に比べられるものは絶無
と言ってよい。」

「(カエサル)は兵士たちを、・・・単純に服従
するように訓練した。」

「機会を的確にとらえることと迅速であることと
は大将たる者の最高の特質である」(カエサル)

「カエサルはきわめて節制家だった。けれども
危急の際に必要とあれば、カエサルほど自分の
命を軽んずる者もなかった。」

「エセー」(33)

<最も偉大な男性について>
「もしもこれまでに知ったあらゆる男性の中で
誰を選ぶかと聞かれたら、三人の群うぃ抜いて
すぐれた人物がいると思う。

・ホメロス
・アレクサンドロス大王
・エパメイノンダス

<ホメロス>
「彼は盲目で貧乏だった。・・・彼の詩やその他
の学問は少年期にはすでに、成熟した完全な姿に
出来上がっていた・・・古代人が「彼には自分の
前には模倣すべき人がなく、自分のあとにも自分
を模倣しうる人がなかった」と証言した・・・
アリストテレスによると、彼の言葉は運動と行為
をもつ唯一の言葉である。つまり、実質をもつ唯
一の言葉だというのである。
プルタルコスは・・「いつも違った姿を現わし、
新しい魅力の花を咲かせて、けっして読者を倦み
疲れさせない唯一の著者である」

「エセー」(34)

<最も偉大な男性について-2>
「もしもこれまでに知ったあらゆる男性の中で
誰を選ぶかと聞かれたら、三人の群を抜いて
すぐれた人物がいると思う。

・ホメロス
・アレクサンドロス大王
・エパメイノンダス

<アレクサンドロス大王>
「わずか三十三才で人間の住める土地をことごと
く勝利者として踏破したあの偉大さはどうだろう。
・・・正義、節制、寛容、信義、部下に対する愛
情、敗者に対する仁愛などの多くのすぐれた徳は
どうだろう。・・・一挙にたくさんのペルシャ人
の捕虜を殺したことや、約束を破ってまでインド
の兵士の一隊を殺したことや、コッサイオイ族を
子供にいたるまで殺したことなどは、ちょっと弁
解のできない激情に駆られた行為である。・・・
彼のことを、徳は自然から得、不徳は運命から得
ている、と言ったのは至言である。・・・
彼はいささか自慢好きで、自分の悪口を聞くのに
我慢がなさすぎたこと、、・・・奇跡的なまでに
まれな美しさと特徴をもった体格をしていたこと、
あれほどに若々しく、燃えるような紅顔の下に堂
々たる風采を保っていたこと、・・・知識、才能
にすぐれていたこと、偉大な栄光が純粋無垢に、
汚点と羨望を絶して長く続いたこと、彼の死後も
長く、その像を刻んだメダルを帯びる者にしあわ
せが来るということが宗教的信念になっていたこ
と、・・・今日でも、他のあらゆる歴史を軽蔑す
るマホメット教徒が彼の歴史だけは特別に信用し、
尊敬するということ、これらのことを全部ひとま
とめにして考える人ならば、私がカエサルさえも
さしおいてアレクサンドロスを選ぶことも当然だ
というであろう。カエサルこそは私にこの選択を
迷わせた唯一の人物である。
またカエサルの武勲には彼自身の力によるものが
より多く、アレクサンドロスの武勲には運命に負
うものがより多いことも否定できない。
この二人は多くの等しいものをもっていたが、あ
る点ではおそらくカエサルのほうが偉大であった。」

「エセー」(35)

<最も偉大な男性について-3>
「もしもこれまでに知ったあらゆる男性の中で
誰を選ぶかと聞かれたら、三人の群を抜いて
すぐれた人物がいると思う。

・ホメロス
・アレクサンドロス大王
・エパメイノンダス

<エパメイノンダス>
「栄光については、他の二人には及びもつかない。
・・・剛毅と勇気については、それも野心に刺激さ
れたものではなく、知恵と理性によってきわめて正
しい魂の中に植えつけられたものについては、想像
しうる限りのものをもっていた。・・・ギリシャ人
は異口同音に、彼らの中の第一人者という名誉を与
えた。・・・彼の知識と才能については、「彼ほど
多くを知り、彼ほど少なく話した人はない」という
古人の判断が今もそのままに残っている。・・・
品性と良心については、国政にたずさわるいかなる
人をも遠くしのいでいた。・・・この点では、いか
なる哲学者にも、いや、ソクラテスにさえもひけを
とらない。・・・公の仕事にも私の仕事にも、平時
にも戦時にも、偉大に輝かしく生きることにも死ぬ
ことにも、申し分ない。人間の人格や生活で私がこ
れほどの尊敬と愛情をこめて見つめるものはほかに
ない。・・・彼は、生涯の最大の満足はレウクトラ
の勝利で父母を喜ばせたことだと言った・・・・
彼は、たとえ自分の祖国の自由を回復するためであ
ろうと、理由を究めずに一人でも殺すことは許され
ないと考えていた。」

「エセー」(36)

<不徳の役目>
「吹きすさぶ嵐に大海が荒れるとき、陸の上から他人の
苦労を眺めるのは楽しいことだ。」(ルクレティウス)

「もしも、これら(上記)の性質の萌芽を人間から取り
除くならば、人間の根本的な性状をも破壊することにな
ろう。同様に、あらゆる国家にも、必要な職務ではある
が、下賤なばかりでなく不徳な職業がある。諸々の不徳
はそこに所を得て、われわれの社会を縫い合わせる役目
を果たしている。
ちょうど毒がわれわれの健康の維持に役立つようなもの
である。」

しかし、モンテーニュは、こうしたこと(不徳)は神経
の太い人にまかせなさい、といっている。
「われわれ弱虫はもっと容易な危険の少ない役目を引き
受けよう」

「エセー」(37)

<私(モンテーニュ)のやり方>
「私のやり方はあけっぴろげで、初めて会う人々の心に
もやすやすと取り入って、信用される。
率直と純粋な真実とはいかなる時世にも、その好機を得
て立派に通用する。それに、自分の利益を考えずに動く
人々の自由な物言いは、疑いも受けないし、嫌われもし
ない。・・・私の率直な物言いは、その強さの故に、私
を仮装の嫌疑から容易に解放してくれた。(私はどんな
に言いにくい、辛辣なことでもずけずけ言ってのけたか
ら、本人のいないところでもそれ以上にひどいことは言
えなかったろう。)・・・
私は、・・・憎悪や愛情の感情に駆られないし、侮辱や
恩義のために意志を動かされない。・・・正当で公正な
意図はすべて、もともと平静で穏健なものである。・・
私はどこでも昂然と頭を上げ、明るい顔と心で歩くこと
ができるのである。」

「エセー」(38)

<自分に不実なものは会社に対しても不実である>
「自分が欺瞞の道具としての役目を演じなければ
ならぬときでも、少なくとも良心だけは完全にし
ておきたい。
人から、「あの男はいざとなれば誰をも裏切るほ
ど自分に真心と忠義をつくしてくれる」と思われ
るようにはなりたくない。
自分自身に対して不実な者が主人に対して不実な
のは無理もないことである。」

「エセー」(39)

公務員が税金を自らの欲望のために使い込むという
事件、ニュースが毎日のように流れ、国民の怒りを
かっている。
しかし、公務員というものは、想像以上につらい
仕事なのだ。

モンテーニュは言う、公務に就かなかったのは私の
決心のおかげというよりも、むしろ好運のおかげで
ある、と。

<公務の常識>
「われわれの間では、潔白なだけでは何もできない。
偽装なしでは交渉もできないし、欺瞞なしでは取引
もできない。だから、公務につくことはどう見ても
私の得手ではない。」

<公務の悲劇>
「セイヤヌスの娘は処女であるため、ローマの裁判の
ある規定ではこれを死刑にすることができなかったの
で、法律を通すために、その首を絞める前に獄吏に
汚させた。この獄吏は手ばかりではなく、心までも
国家のために奴隷となった。」

「エセー」(40)

<結果と行動>
「ポンペイウスの一兵士は、敵側にいる自分の兄弟
をそれと知らずに殺したが、恥辱と悲嘆のあまりそ
の場で自害した。
ところが、・・・ある兵士は自分の兄弟を殺したこ
とで大将たちに褒美を要求した。(タキトゥス「
歴史」)」

<有能の人>
「知識のある人はすべてについて知識があるとは限ら
ない。だが、有能な人は、すべてについて有能である。
無知にかけてさえも有能である。」

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モンテーニュ41〜80

「エセー」(41)

「すべての事柄がすべての人にふさわしいとは限らない」
(プロペルティウス)

<結婚とは>
「人間社会の中でもっとも必要で、もっとも有利なもの
を選ぶとすれば、結婚であろう。
だが、聖人たちの教えは、その反対の決意をより正しい
ものとみなして、ちょうどわれわれがもっとも値打ちの
ない馬を種馬に当てているように、結婚から人間のもっと
も尊い職業を締め出している。」

「エセー」(42)

<私は・・最初の人間である>
「世の著者たちは自分を何かの特別な珍しいしるしに
よって人々に知らせる。私は、私の全存在によって、
文法家とか、詩人とか、法曹家としてでなく、
ミシェル・ド・モンテーニュとして、人々に自分を示
す最初の人間である。」

「私はときどき矛盾したことを言うらしい。だが、デ
マデスが言ったように、真実に反することはけっして
言わない。」

デマデス:BC4世紀のアテナイの大雄弁家

「エセー」(43)

<私の著作の取り柄>
「いかなる人も、自分で知りかつ理解している主題を、
私がここに企てた主題を論ずるよりも、うまくは論じ
なかったという点、そしてこのことにかけては、私は
現存する人の中でもっとも造詣が深いという点である。
第二に、いかなる人も、自分の扱う主題を私ほどに深
く掘り下げなかったし、その部分や関連を私以上に綿
密に調べもしなかったし、また、自分の仕事において
、自ら立てた目的に、私以上に正確に、完全に到達し
なかったという点である。」

「私はめったに後悔しない。私の良心は自分に満足し
ている。・・・私は問う者、無知なる者として語り、
その決定を、無条件に、単純に、一般の正しい考えに
任せる。私は決して教えない。語るだけである。」

「エセー」(44)

<名誉への近道>
「名誉に達するもっとも近い道は、名誉のためにする
ことを良心にためにすることであろう。」

「魂の偉大さは、偉大さの中ではなく、平凡さの中に
発揮される。」

<生まれつきの傾向は直し難い>
「邪悪な魂が何かの外部の刺激で善いことをすること
があるように、有徳な魂も、ときには悪いことをする
ことがある。」

「狭い檻の中に飼い馴らされて野生を忘れ、恐ろしい
形相を去って、人間に従うことに馴れた獣も、一度か
わいた口に数滴の血が入ると、たちまち狂暴に立ちか
えり、血を味わった喉をふくらませて、怒りに狂い、
おののく主人に飛びかかる。」
(ルカヌス「ファルサリア」4-237)

「エセー」(45)

<古今東西、変わらない嘆き>
「現代の人々に共通な真の罪業は、引退の生活さえも
腐敗と汚辱に満ちており、匡正(きょうせい)の観念
さえも曇っており、贖罪さえも罪過とほとんど同じく
らいに、病的で誤っていることである。
ある人々は生まれつきの愛着か長い間の習慣によって
、不徳にへばりついているために、そのことの醜さに
気がつかずにいる。」

「エセー」(46)

<小人閑居して不善をなす>
「閑居の不善は労働によって追い払うべきである」
(セネカ)

<神々の仕事ーアリストテレス>
「思索は、自己を力強く検討し行使することのできる
人にとっては、強力な、充実した勉強である。・・・
最も偉大な心の人はこれを自分の職業とする。<彼ら
にとって生きることは考えることだ>(キケロ)」

<男の会話>
「努力を要しない会話は、ほとんど私の興味を引かな
い。」

<知恵の基準>
「民衆の無知にとけ込めないような知恵は、すべて味
がない。」

「エセー」(47)

<ふさわしい、ということ>
「もっとも良い仕事というのはもっとも無理のない
仕事である。・・・「自分の能力に応じて」とは、
ソクラテスの好んで口にした文句であり、きわめて
内容のある言葉である。」

<女性にすすめる学問とは>
「よい生まれつきのご婦人方は、もしも私の言うこ
とを真に受けて下さるなら、自分に特有な、天性豊
かな美質を発揮するだけで満足すべきである。・・
彼女らの美しさは技巧の下に埋没し去っている。
<化粧箱から出てきたようにめかし込んで>これは
彼女らが自分を知らないからである。
この世に女ほど美しいものはない。・・・
彼女らが修辞学とか、占星術とか、論理学とか、そ
の他これに類した、彼女らの役にたちそうもない下
らぬしろものに没頭しているのを見ると、私は、こ
れをすすめた男達がこれを口実に彼女らを支配しよ
うとしているのではないかと心配になる。
・・・
だが、もしも、何事によらず、われわれ男性にひけ
を取ることが癪だというなら、そして、好奇心から、
書物を読んでみたいというなら、詩こそは彼女らの
要求にふさわしい楽しみである。
詩は彼女らとおなじく、浮気で、繊細で、おしゃれ
で、おしゃべりで、面白ずくめ、はでずくめの芸術
である。
また、歴史からもいろいろな利益を引き出せよう。
哲学では、実生活に役立つ部分から、われわれ男性
の気質や性格を判断し、男性の裏切りから身を守り、
彼女ら自身の軽率な欲望を規制し、気儘を抑制し、
人生の喜びを延ばし、召使いの気まぐれや夫の横暴
や年齢や皺の不幸やその他に柔和に堪えるように訓
練してくれる所説を学びとればよい。
学問のうちで、彼女らにふさわしいものとして私が
選ぶものは、せいぜい以上のようなものである。」

「エセー」(48)

<交際、友達について>
「われわれは自分の欲望を、もっとも安易で手近な
物事に向けて、そこにとどめなければならない。
・・・
私のおだやかな、あらゆる険しさや激しさを嫌う生
き方は、私を羨望や敵意から易々と免れさせてくれ
たと言えよう。
人から愛せられるとまでは言わないが、私以上に人
から憎まれる種をもたない者はけっしてなかったと
言えよう。
けれども、私の交際の冷たさが、私から多くの人々
の好意を奪い、別のもっと悪い意味にとられたのも
無理はない。
私は稀有の無上の友情を獲得し維持することにはき
わめて有能である。
自分の好みに合う交際には、非常に渇望してとびつ
くからそこに自分を現わし、貪るように突進する。
だから、自分から進んで行くところには、容易に自
分を結びつけ、よい印象を与えずにはおかない。
・・・
だが、普通の友情にはいくらかそっけなく冷たい。
私の進み方は、いっぱいに帆を張らないと自然でな
いからだ。・・・
「友情とは対(つい)の動物で、群をなす動物では
ない」
(プルタルコス倫理論集「友達の多いことについて」)」

「エセー」(49)

<社交好きな私が孤独を愛するわけ>
「私の本質は自分を外にあらわして皆と交わること
に向いている。・・・私が孤独を愛してこれを説く
のは、主として私の感情や思想を私自身に集中する
ためであり、私の歩みを抑制し制限するためではな
くて、欲望と心労を抑制し制限するためである。
外部のことで気をつかうことを避け、隷属と恩義に
縛られることを死ぬほどきらうからである。・・
孤独な場所に離れていることは、実を言うと、かえ
って私を外に向かって大きく拡げる。
私は孤独でいるときにかえって国家や世間の問題に
没頭する。
ルーブルの宮廷や群集の間にいると私は自分の殻の
中に閉じこもる。群集は私を私自身の中に押しもど
す。」

「エセー」(50)

<お付き合いしたい人>
「私が親密なお付き合いを願いたいと思う人々は、
正しく有能だと言われる人々である。
そういう人々を見ていると他の人々がいやになる。
・・・
この交際の目的は、ただ親密と友好と歓談だけで
ある。つまり、魂の修練で、それ以外に何の成果
も望まない。われわれの会話では話題は何であっ
てもよい。
重さや、深さがなくともかまわない。そこには常
に優雅さと適切さがある。すべてが円熟した、恒
常な判断にいろどられ、善意と率直と快活と友情
がまじっている。・・・
私は沈黙と微笑の中にさえ仲間の見分けがつく。
・・
ヒッポマコスが「すぐれた闘技士は路上を歩いて
いるところを見るだけでわかる」と言ったのは正
しい。」

「エセー」(51)

<どんな女も魅力的である>
「どんなに不器量に生まれついた女でも、自分を
きわめて魅力的だと思わない者はいない。
また、年が若いとか、笑い顔がいいとか、挙措動
作が美しいとか、どこかに、自慢するものをもた
ない女もいない。
・・・
実際、何もかも完全に美しい女がいないと同じよ
うに、何もかも完全に醜い女もいない。」

<女の打算は、男の裏切りへの対抗策>
「男から愛を誓われてすぐに真に受けないような
女はいない。ところで、今日のように、男たちの
裏切りが普通で当たり前になると、すでにわれわ
れが経験で知っているようなことが必然的に起こ
ってくる。・・・
つまり、プラトンの中のリュシアス(プラトン
「パイドロス」)の説くところに従って、男達の
真の愛情が少なければ少ないほど、利益と打算ず
くで、身を任せてもよい、と考えるのである。」

「エセー」(52)

<書物と私>
「私は書物を、守銭奴がその財産を享楽するよう
に享楽する。いつでも好きなときに使えることを
知っているからである。
私の心はこの所有権だけで満ち足りている。私は
平時にも戦時にも書物を持たずに旅行することは
ない。
だが、何日も、何ヶ月も読まずに過ごす。「いま
に読もう」とか、「明日」とか、「気が向いたら
」とか言っているうちに時が過ぎてゆく。だが、
べつに気にならない。実際、書物が私のそばにあ
って、私の好きなときに楽しみを与えてくれると
考えると、そして、書物が私の人生にどんなに救
いになるかを思い知ると、どれほどの安らぎとく
つろぎを覚えるかは言葉では言い尽くせない。
これこそはこの人生の旅に私が見出した最良の備
えである。
だから、知性のある人で、これをもたない人をた
いへん気の毒に思う。」

「エセー」(53)

<大きな運命は大きな隷属である>
「私の考えでは、自分の家に、本来の自分に立ち
帰れるところ、自分自身を大事にできるところ、
自分で隠れるところをもたない者は実にあわれである。
野心はその信奉者たちに立派な仕返しをしている。・・
<大きな運命は大きな隷属である>(セネカ「ポリュビ
オスへの慰め」)彼らにとっては、便所さえも隠れ場で
はない。・・・
だから、私は、けっして一人になれないことよりもむし
ろ常に一人でいることのほうが堪えやすいと思う。」

「エセー」(54)

<読書の欠点>
「私は若い頃には人に見せびらかすために勉強した。
その後は少し賢くなるために勉強した。いまは楽しみ
のために勉強している。けっして何かを獲得するため
ではない。・・・床や壁を飾ろうという空虚な金のか
かる考え方はずっと前に捨ててしまった。・・・
けれどもどんな楽しみも苦しみをともなわないものは
ない。
この読書の楽しみも他の楽しみと同じように、・・
それなりの不便をもち、しかもきわめて重大な不便を
もっている。つまり、精神は働くが、私が精神と同じ
ようにおろそかにしたことのない肉体が、その間活動
しないで、不活発に、元気がなくなることだ。
私にとってこれほど有害な、そして、このような老境
に向かいつつある年齢にあってこれほどさく避くべき
不節制はないと思う。」

「エセー」(55)

<決闘の心理–考えをそらすということ>
「激戦の最中に、武器を手にして死ぬ人は、死を味わ
ってはいない。死を感じも考えもせずに、戦闘の激し
さに心を奪われているのである。
私の知っているある貴族が、決闘の最中に転倒して、
自分でも敵から九回か十回、剣で突かれたように感じ、
並みいる人々も口々に、「魂の救いをお祈りしなさい」
と叫んだが、彼があとで私に語るところによると、そ
の声は耳には聞こえたが、そのために少しも動揺する
ことがなく、ただ、危地を脱して仕返しをすることし
か考えていなかったそうである。」

「エセー」(56)

<人間生活の機微>
「クセノフォンは花輪の冠を頭にのせて、犠牲を捧げて
いるときに、息子のグリュロスがマンティネアの戦で戦
死したという知らせを受け、思わずかっとしてその冠を
地面にたたきつけた。だが、続いてその死に方がきわめ
て勇敢だったと聞くと、それを拾い上げてふたたび頭に
のせた。
・・・
クセノフォンは、「同じ傷、同じ労苦も、大将には兵士
ほどにつらくない」と言った。
エパメイノンダスは、味方が勝ったと知らされて、いっそ
う喜んで死んでいった。<これこそもっとも大きな悲しみ
の慰めであり、罨法(広辞苑「あんぽう」:炎症または充
血などを除去するために、水・湯・薬などで患部を温めま
たは冷やす療法)である。>
その他、こういう事情がわれわれをとらえ、事柄そのもの
の考察からそらし、まぎらすのである。」

「エセー」(57)

<苦痛からの脱出法>
「つらい考えにとらえられたときは、それを征服するより
も変えるほうが近道だと思う。」

<悪い評判の回復法>
「アルキビアデスは世間の評判の向きを変えるために、
美しい飼い犬の耳と尻尾を切って町の広場へ追いやって、
民衆に話の種を与え、自分のほかの行いについて何も言
わせまいとした。」
(プルタルコス英雄伝「アルキビアデス篇」)

<つまらぬことがわれわれを翻弄する>
「つまらぬことがわれわれの気持ちをそらせ、変えさせ
る。なぜなら、つまらぬことがわれわれをとらえるから
である。
われわれは事物を全体として、そのものだけとして見な
い。われわれの心を打つのは、些細な上っ面の事情と姿
である。」

「エセー」(58)

幽霊の正体みたり枯れ尾花
(芭蕉)

<人間と夢想の関係>
「われわれ人間以外に、空虚に養われ支配されるものが
何かあるか、・・・
カンビュセスは弟がペルシャ王になるだろうという夢を
見たためにこれを殺した。・・・
メッセニアの王アリストデモスは愛犬たちのある鳴き声
から不吉な前兆を読み取って自殺した。
ミダス王も不快な夢に心を乱し、悲しんで自殺した。」

「エセー」(59)

「過ぎ去った生活を楽しめることは人生を二度生きるこ
とだ。」(マルティアリス)

<老人に告ぐ>
「プラトンは老人たちに、若者たちが運動や舞踊や遊戯
をしているところに出掛けていって、自分になくなった
肉体のしなやかさや美しさを他人の中に見て喜び、自分
の若い頃の美しさや愛らしさを思い出すように命じた」
(プラトン「法律」)

「エセー」(60)

<老年論>
「私は偉大な、豪勢な、豪奢な快楽よりも、むしろ
甘美で、容易な、手近の快楽を欲する。」

「青年には剣と、馬と、槍と、棍棒と、毬(まり)と、
水泳と、競走をもたせよ。われわれ老人には数ある遊戯
の中で、サイコロとカルタだけを残しておいてくれれば
よい。」(キケロ「老年論」)

「病める精神はいかなる苦痛にも堪えられない。」
(オイディウス「黒海便り」)

「ひびの入ったものを割るにはほんのわずかの力があれ
ば足りる。」
(同上)

「悲しみは諧謔でまぎらすべきである。」
(シドニウス・アポリナリス「書簡」)
注:諧謔(かいぎゃく):おもしろい気の利いた言葉。
  おどけ。しゃれ。滑稽。ユーモア

「私は快活で愛想のよい賢さは好きだが、いかめしい顔
つきはどれも信用しないから、謹厳で厳粛な生き方を敬
遠する。」

「暗い顔の悲しい傲慢さ。」
(ブカナン「洗礼者ヨハネ」)

「エセー」(61)

<気さくな人の魂は善い>
「私はプラトンが、人の気持ちの気さくか気むずかしい
かは、魂の善し悪しに大いに影響する、と言ったことに
心から賛成する。
ソクラテスはいつも同じ顔をしていた。ただし、晴れや
かでにこにこした顔で、老いたクラッススのように誰も
笑ったのを見たことがない顔ではなかった。徳は愉快な
楽しい特質である。」

「エセー」(62)

いまだに、「秘密」を守れますか?と聞く人がいる。

<秘密>
「秘密を守るためには、生まれつきそういう素質がなけ
ればならない。義務ではそうはなれない。
王侯方に使えるには、秘密を守るということのほかに、
さらに嘘つきでなければ十分ではない。」

「エセー」(63)

<悪口とは>
「ソクラテスは、あなたの悪口を言っている者があると
知らせた人に向かって、「私のことではない。彼らの言
っていることは私の中には一つもないから」と言った。
この私も、もし誰かにすぐれた水先案内人だとか、きわ
めて節制家だとか、あるいはきわめて純潔だとか誉めら
れたとしても、すこしもありがたいとは思わないだろう。
同じように、裏切り者とか、泥坊とか、酔払いとか呼ば
れても、少しも傷つけられたとは思わないだろう。
・・・
私は私自身をはらわたまで見て研究しているし、私自身
に属するものをよく知っている。」

「エセー」(64)

<恥ずかしがり屋の老人へ>
「恥かしがりは青年には飾りとなるが、老人には非難の
種となる。」
(アリストテレス「ニコマコス倫理学」)

<芸術に興味がない人は自分にも興味をもてない>
「あまりにもウェヌスを避けようとする者は、ウェヌス
を追いすぎる者と同じように失敗する。」
(プルタルコス倫理論集「哲学者はとくに君主と話し合
うべきことについて」)

注:ウェヌス (Venus 『魅力』の意) はローマ神話の女
神。本来は囲まれた菜園を司る神。
ギリシャ神話におけるアプロディテ、美と愛の女神。
日本語ではヴィーナス( ビーナス)。

「エセー」(65)

<恋愛結婚は正しい?>
「結婚は本人のためにするものではなく、それと同等に、
あるいはそれ以上に、子孫や家族のためにするものである。
・・・
だから私には、本人よりも第三者の手で、自分の判断に
よらずに他人の判断で結ばれる結婚の方法が好ましい。
・・・
アリストテレスは、妻には慎重に、真面目に触れなければ
ならぬ、あまりみだらにくすぐりすぎて、快楽で理性の埒
(らち:柵の事)を踏みはずさせてはいけない、と言って
いる。
・・・
私の見るところでは、美貌や愛欲によって結ばれた結婚ほ
ど早く紛争を起こして失敗するものはない。」

「よい結婚というものがあるとすれば、それは恋愛の同伴
と条件をこばみ、友愛の性質を真似ようとする。」

「エセー」(66)

<結婚の是非>
「ソクラテスは妻をめとるのとめとらないのでは、どちら
がいいかときかれて、「どちらにしても後悔するだろう」
と答えた。」
(ディオゲネス・ラエルティオス「ソクラテス篇」2-33)

「現代では結婚が単純な庶民の間でかえってうまくいって
いる。庶民の結婚は快楽や好奇心や無為にそれほど乱され
ないからである。
私のように、あらゆる種類の規範や義務をきらう放縦な気
質の人間は、結婚にはあまり向かない。」
「夫には主人のように仕え、裏切り者に対するように用心
せよ」(フランスのことわざ)

「エセー」(67)
<神様だって女房はこわい>
「女は、けっして結婚しようと思わない男にだって身を
任せることがある。ここに言うのは、女にとって、男の
財産がどうこう言うのでなく、人柄そのものがいやな場
合のことである。
恋人と結婚して後悔しなかった男はほとんどない。これ
は神様の世界でも同じことである。
ユピテルは最初に情を交わし、愛の喜びを味わった妻と、
いかに仲の悪い夫婦であったことか。
ことわざにも「籠の中にクソをすれば、あとで頭にのせ
ねばならぬ」というのがある。」

注:ユピテル(Jupiterローマ神話の神)
ヘレネス神話の、浮気で有名なゼウス。

「エセー」(68)

<女性には適わない愛の営み>
「ご婦人方が惜しみなく与える愛情は、結婚においては、
過剰となり、愛情と欲望の鉾先を鈍らせる。この不都合
を避けるために、リュクルゴスとプラトンがその法律の
中でどんなに苦心しているかをごらんなさい。
女性は世間に認められている生活の掟をこばんだとして
も、少しも悪いことはない。これは男性が女性の同意な
しにきめたものだからである。
彼女らとわれわれとの間に策謀や闘争があるのは自然で
ある。
・・・
われわれは、彼女らがわれわれと比較にならないほど、
愛の営みに有能で熱烈であることを知っている。
このことは、はじめ男で、あとから女になった昔のある
僧侶も、証言しているし(オイディウス「メタモルフォ
セス」)かって別々の時代に、この道の達人として有名
なローマのある皇帝(ティトゥス・イリウス・プロクル
ス)とある皇后(メッサリナ)自身の口からも語られて
いる。(この皇帝は一晩に、捕虜にしたサルマティアの
十人の処女の花を散らした。だが皇后のほうは、欲望と
嗜好のおもむくままに、相手を変えながら、実に一晩に
二十五回の攻撃に堪えた。」

「エセー」(69)

「女性は前世で放埒な男性だった」
(プラトン「ティマイオス」42)

<女は、すべてお見通し>
「ある日、私の耳は偶然に、彼女らの間に交わされる会
話を、誰にも怪しまれずに盗み聴きすることができた。
・・・
私はこうつぶやいた。「ああ、ああ。今になって、われ
われがアマディウスの文句やボッカッチョやアレチーノ
の物語を学んで利口ぶろうとするなんて、まったく無駄
な暇つぶしだ。
どんな文句、どんな実例、どんなやり方だって、彼女ら
がわれわれの書物よりもよく知っていないものはない。
これこそ女性の血管の中に生まれる教えなのだ。」

「エセー」(70)

「地上に住むすべてが、人間も、獣も、水に住む魚類も
、家畜も、色とりどりの鳥類も、恋の火に狂おしく突進
する。」(ウェルギリウス「農耕詩」)


「プラトンによると、神々はわれわれに、手に負えない
横暴な器官を与えたが、この器官は横暴な動物のように
強烈な欲望によってすべてを自己に服従させようとする。
同じように、女性の体内にも、ある強欲で貪婪な動物が
いて、適当な時期に食物を与えられないと、待たされる
ことにいらいらして、自分を抑え切れなくなり、その怒
りを全身に吹き込み、もろもろの管をふさぎ、呼吸をつ
まらせ、ありとあらゆる種類の病気を引き起こし、しま
いには、全身の渇望する果実を吸って、子宮の奥を豊か
にうるおし、種を播かないとおさまらないのだそうであ
る。」

「エセー」(71)

<寝取られた男たちの対応について>
「ルクルスも、カエサルも、ポンペイウスも、アントニ
ウスも、カトーも、その他の立派な人々も妻を寝取られ
た。そしてそれを知っても騒ぎ立てなかった。当時それ
を苦にして死んだのは、レピドゥスという愚か者だけで
ある。」
(プルタルコス英雄伝「ポンペイウス篇」)

<浮気に腹を立てる女>
「天の女王であるユノーすらも、夫の毎日の不行跡に腹
を立てる。」(カトゥルス)

「(嫉妬が)いったん心をとらえてしまうと、好意の元
であった同じ原因が恐ろしい憎悪の元となる。・・・
夫の徳、健康、長所、名声が妻の憎悪と憤怒に火をつけ
る。」

「エセー」(72)

<享楽・・・女の作法>
「スキュティアの女は、奴隷や、戦争で捕虜にした男を、
いっそう自由に、内密に享楽するために、男の目をえぐ
り取った。」(ヘロドトス)

<売春法第1号>
「ソロンは、ギリシャで、女性が生活の資を得るために
貞操を売ることを法律で許した最初の人だそうである。
(コルネリウス・アグリッパ「学問の空しさと不確かさ
について」63)
もっとも、ヘロドトスは、この習慣は、その前にも多く
の国家で認められていたと言っている」

「エセー」(73)

<女を拘束するなかれ>
「錠をかけ、女を閉じ込めよ。だが誰がその番人たちを
見張るか。女は抜け目がないから、まず番人たちから手
をつけるぞ。」
(ユウェナリス)

<疑惑解除、一つの方法>
「ある国民の間では、神官が結婚式の当日に花嫁の処女
を破る習慣があった。それによって花婿が初めての試み
に、はたして花嫁が処女のままで自分に嫁いできたか、
それとも自分以外の男の愛で汚されているかと考える
疑惑と好奇心を取り除こうとした。」
(ゴマラ「インド通史」)

「エセー」(74)

<嫉妬と頭>
「女性の本質は疑惑と、虚栄と、好奇心の中にとっぷりと
漬かっている・・・
女性から受ける害のうちで、嫉妬ほどひどいものはないと
思う。これは女性の性質の中でもっとも危険なもので、
ちょうど女性の身体の諸部分のうちでは頭がそうであるの
に似ている。
ピッタコスは、「人にはそれぞれ悩みがある。私のは妻の
悪い頭だ。これさえなければあらゆる点で仕合せだと思う
のだが」と言った。(プルタルコス倫理論集「爽快な気分
について」)」

「エセー」(75)

<自殺請願許可>
「マルセーユの上院が、妻のヒステリーから免れるために
自殺の許可を申し出た男の請願を認めたのはもっともであ
る。(カスティリオネ「廷臣論」)
なぜなら、この病気は自分と一緒にすべてをさらわなけれ
ばなくならない病気であり、また、二つともきわめてむず
かしい方法であるが、逃げるか、我慢するか以外に、妥協
の方法がないからである。
「よい結婚は盲の妻と聾(つんぼ)の夫の間に成り立つ」
と言った人はこの間の事情をよく心得ていた人だと思う。」

「エセー」(76)

<バカな男もナメたらアカン>
「彼女(メッサリナ)は初めのうちは、よくあるように、
夫に隠れて不貞を働いた。だが、夫が間抜けなために、恋
の遊びをあまりにもやすやすと運ぶことができるので、こ
れまでのやり方が急につまらなくなった。そこで公然と恋
をし、恋人たちのいることを認め、皆の見ている前で彼ら
をもてなし、ちやほやした。
彼女は夫に感づいてくれればいいと願ったが、夫のバカは
こんなにされても目が覚めなかった。そして、まるで彼女
の不貞を許し、認めているかのように、あまりにも鷹揚だ
ったので、彼女の快楽は、だらけて味のないものになった。
そこでどうしたかというと、まだ健康でぴんぴんしている
皇帝の妃でありながら、世界の舞台であるローマで、白昼、
堂々と盛大な式典をあげて、久しい前からむつみ合ってい
たシリウスと、夫の皇帝が市外に出て留守のときに結婚し
たのである。」
(タキトゥス「年代記」)
「けれども彼女が出会った最初の困難は最後のものとな
った。夫のバカが突然目を覚ましたからである。・・・
皇帝は彼女を殺し、彼女と情を通じた多くの男を殺した。」

「エセー」(77)

<言葉とは>
「言葉の品位を高め、内容を増すものは生気溌剌たる
想像である。<雄弁を作るものは心である>われわれ
現代人は言葉を判断と呼び、美しい言葉を充実した思
想と呼ぶ。・・・
プルタルコスは、自分は事物によってラテン語を知っ
た、と言っているが、・・意味が言葉を照らし、生み
出すのである。」

「才気ある人々が国語を駆使すると、国語は一段と価
値を増す。国語を新しくするからではなく、伸ばした
り曲げたりして一段と力強い、いろいろな用い方をし
て充実させるからである。
少しも新しい言葉を加えるわけではなく、ただ、これ
までの言葉を、意味と用法の重さと深さを増して豊富
に使い分け、いままでにない働きを、しかも、慎重に、
巧妙に教えるだけである。」

「エセー」(78)

<神様仏様>
「私は私の流儀にしたがって誓うときには、ただ、
「神にかけて」とだけ誓う。これはあらゆる誓いの中
でもっとも単純直截な誓いである。
ソクラテスは「犬にかけて」、ゼノンはいまでもイタ
リア人が使っている間投詞の「山羊にかけて」、ピュ
タゴラスは「水と空気にかけて」と誓ったそうである。」

余談:
「ゼノンは、生涯に一度しか女と交渉をもたなかったそ
うである。その交渉も、礼儀のために、つまり、あまり
頑固に女を軽蔑すると見られたくないためにしたのだそ
うである。」
(ディオゲネス・ラエルティオス「ゼノン篇」7-13)

「エセー」(79)

<欲望への単純な空想>
「昔、飲み込む食物をもっと長く味わうために、喉が
鶴のように長ければよいと望んだ人があった。」
(アリストテレス「ニコマコス倫理学」3-10)

持続された空想は現実になる。いまだに鶴のような長い
喉をもたない人間にとって、食の味わいにたいする欲望
は、第一意ではなかった、と思わざるを得ない。

<貧乏人の一つの習慣>
「焼肉の匂いをかぎながら、自分のパンを出して食べた
という話がある。」
(ラブレー「第三の書」38)

「エセー」(80)

<アレクサンダーよ、あたいと寝ないか?>
アマゾン族の女王タレストリスはアレクサンドロスを
訪ねてこう言った。
「私はあなたの勝利と武勇の評判を聞いて、あなたに
お目にかかり、あなたの遠征のお手伝いに私の資力と
兵力を捧げにやって参りました。
いま、あなたのかくも美しく、若く、逞しいお姿を拝
見いたしましたが、この私も、あらゆる点で完全であ
りますので、私と臥所(ふしど)を共になされてはい
かがですか。
世界中でもっとも勇ましい女性と、今生きているうち
でもっとも勇ましい男性との間に将来、偉大にして稀
有な何ものかが生まれ出ますように」

アレクサンドロスは、その地に十三日間逗留して、そ
の間、勇ましい女王のために出来る限り楽しく宴を張
った。(ディオドルス・シクルス17-16)

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モンテーニュ81〜126

「エセー」(81)

<危険は逃げるものを追いかける>
アルキビアデスが語る戦友、ソクラテスの退却の様子。
「いつもと少しも変わらぬ悠々たる足取りで歩きなが
ら、しっかりと落ち着いた視線で自分の周囲の状勢を
的確に判断し、ときには味方を、ときには敵を見廻し、
味方に対しては激励し、敵に対しては自分の命を奪お
うとする者にこの血と命をしこたま高く売りつけてや
るぞという気構えを見せていることに気がついた。
二人(ソクラテスとラケス)はこうして逃げおおせた。
実際、敵はこういう人には進んで攻撃をしかけずに、
かえって恐れる人を追いかけるものである。」

「われわれが常に経験するように、危険からしゃにむ
に逃れようとすること以上に、われわれを危険におと
すものはない」

「一般に恐れることが少なければ危険に会うことも
少ない」

「エセー」(82)

<高貴な身分の不便なことについて>
「私も人並みな願いをもっているし、その願いに人
並みな自由と無分別を許している。けれども、帝国
や、王位や、人を支配する雲の上の高位を願ったこ
とはただの一度もない。
そんな方向をねらうにはあまりにも自分を愛している。
私は、自分の成長を考えるときはずっと低いところ
をねらう。
剛毅においても、思慮においても、健康においても、
美貌においても、さらに富においても、控え目な、
おずおずした、私自身のためだけの成長を考える。」

「あらゆるものを何の苦もなく、やすやすと自分の
下に屈服させることができるということは、あらゆ
る種類の快楽の敵である。」

「エセー」(83)

<いかに自分を語るか>
「自分を語ればかならず損をする。自己に対する非難は
常に信用され、称賛は常に信用されないからである。」

<愚かなる者の大いなる壁>
「賢い者が愚かな者から学ぶことのほうが、愚かな者が
賢い者から学ぶことよりも多い」(大カトー)

<ソクラテスに習って>
「精神を鍛錬するもっとも有効で自然な方法は、私の考え
では、話し合うことであると思う。・・・
したがって、一致ということは話し合いにはまったく退屈
な要素である。」

<怒りはニーチェが言うように、幼稚の証である>
「私は人から反駁されると、注意は覚まされるが怒りは覚
まされない。・・・私は、真理をどんな人の手の中に見出
しても、これを喜び迎える。・・・私は、・・誉められよ
うと、けなされようと、平気である。私の思想そのものが
自分に矛盾し、自分を非難するのが始終なのだから、他人
がそれをしたところでまったく同じことである。」

「エセー」(84)

<バカは伝染する>
「われわれの精神は力強い立派に整った精神との交流に
よって強められるが、その反対に、低級で病的な精神と
の絶えざる交際と往来によって、どれだけ損なわれ、低
下するかわからない。」

<バカと議論してはならない>
「バカを相手に本気で議論することはできない。こうい
う無茶な先生の手にかかっては、私の判断ばかりでなく
良心までが駄目になる。・・・
だからプラトンは、その国家において、無能な素質の悪
い人々に議論を禁じている。(プラトン「国家」第7巻)」

「エセー」(85)

<議論の風景は古今東西かわらない>
「ある者は相手を攻撃さえすれば、どんなに自分の
バカをみせようとかまわない。ある者は、自分の言
葉にいちいち勿体をつけ、それが何か立派な理論の
ようなつもりでいる。ある者は、声の大きさと肺活
量の強さだけを振り回す。あっちには自分に矛盾し
た結論を出す者がいるかと思うと、こっちには、無
益な前置きや脇道の理屈で耳をがんがんさせる者が
いる。ある者は、徹頭徹尾、悪口だけで身を固め、
筋の通らぬ喧嘩をふっかけ、鋭く追いつめて来る相
手の機知と渡り合うことから逃れようとする。」

彼らはわれわれよりも学問はあるが無能である。
学問は鈍感な魂に出会うと、不消化の塊となって、
これをますます鈍重にして窒息させる。

「エセー」(86)

<問題は、誰がそれを言ったかである>
「私は毎日、いろいろの著者の著作を読みふけって
いるが、彼らの知識は問題にしない。内容ではなく、
話し方を求めるからである。私が誰か有名な精神の
持ち主との交際を求めるのは、彼からものを教わる
ためではなく、彼を知るためであるのと同じ事である。
真理にかなったことを言うことは誰にもできる。だが、
秩序正しく、賢明に、上手に言うことは、わずかの人
にしかできない。
だから、無知からくる誤謬は私を怒らせない。私を怒
らせるのは、へまさ加減である。」

「エセー」(87)

<先生方の悲劇>
「学問は強い天性の中にしか宿ることができない。」

「学問は、入れ物が悪いと、無益で有害なようである。」

皆さんが、バカにする”先生”がたも、よい百姓、よい
商人、よい職人になれたかもしれない人達なのである。
しかし、彼らの天性は学問に押しつぶされるほどに弱かっ
た。・・・残念!

「人真似をする猿が、いたずらっ子に立派な絹の着物を
着せられて、尻と背をむき出しにして、会食者を大笑い
させたように。」
(クラウディアヌス「エウトロピウスを駁する詩」)

「エセー」(88)

<成功の条件>
「都市においてもっとも強力な者、もっともよくその
仕事を果たす者は誰かを考えてみるならば、それは常
にもっとも無能な人々であることがわかるだろう。
ときには、女や子供や愚かな者が、もっとも有能な君
主と肩を並べて大国を支配したこともある。
トゥキュディデスも、そのことでは愚鈍な者が利口な
者よりも成功することが多いと言っている。
(トゥキュディデス「歴史」3-57)」

「エセー」(89)

<報いる、ということ>
「主君に対しては、主君があとで正当な報いを見出せ
ないほどの過度の奉仕をしないように注意しなければ
ならない。」
(フィリップ・ド・コミーヌ)

「善行は、報いうると思われる限り、快く受け入れら
れる。その限度を越すと、感謝の代わりに憎悪が返っ
てくる。」
(タキトゥス「年代記」)

「報いないことを恥じと思う人は、報いるべき人のあ
ることを欲しない。」
(セネカ「書簡」)

「人に報いることができないと思う者は、決して人の
友となることはできない。」
(キケロ「執政官立候補のための演説」)

「エセー」(90)

以下のような文章に出会うと、無性に「歴史」を読ん
でみたいと思うものである。

<「歴史」のすすめ>
「私は最近、タキトゥスの「歴史」を一気に読み通し
た(こんなことはめったにないことだ。・・・)
・・・
私はタキトゥスほど公の記録の中に、個人の生き方や
傾向に関する考察をまぜている著者はないと思う。
・・・
タキトゥスの「歴史」は、歴史の叙述というよりはむ
しろ判断であって、物語よりも教訓が多い。読む書物
ではなくて、研究し学ぶための書物である。数多くの
格言に満ちあふれているから、中には間違ったのも正
しいのもある。
これは道徳論、政治論の苗床(なえどこ)であり、世
を指導すべき地位にある人々の備えとも飾りともなる。
彼の叙述はつねに堅実で強力な理論に支えられ、警抜
精妙で、当時の凝った文体にならっている。・・・
彼の書きぶりはセネカにかなり似ている。私には、
タキトゥスは豊富でセネカは鋭敏であるように思われ
る。タキトゥスの著作は今日のわが国のような混乱し
た病的な国家にはいっそう役に立つ。」

「エセー」(91)

<生活の心得>
「常に支出を切りつめて、貧乏を迎え撃て。このことが、
そして貧乏に強いられる前に自分の生活を改めることが、
私のつねづね心がけていることである。・・・
<富み度合いは収入の多寡ではなく、暮らし方によって
計られる。>(キケロ「逆説」6-3)」

「私は強力で学識ある思想よりも、むしろ容易で、生活
に適した思想をもちたいと思う。
思想は有益で快適であれば、十分に真実で健全なのであ
る。」

「私はあくせくせずにこの世を楽しみ、まあまあという
程度の生活ができ、自分にも他人にも厄介にならない生
活ができさえすれば、それで満足である。」

「エセー」(92)

<負債としての恩義と感謝>
「私はなんとかして恩義をまぬかれ、その重荷を下ろし
たいと思っているので、自然か、あるいは偶然によって、
何かの友情の義務を負っていた人々から、忘恩や、侮辱
や、無礼を働かれて、幸いだと思ったことがしばしばあ
る。・・・
<馬車の疾走を抑えるように、友情の衝動を抑えるのは
賢者のすることである。>(キケロ「友情論」17)・・
恩義と感謝(これは微妙な、大いに有益な知識だが)に
ついて私の理解しうる限りでは、これまでの私よりも自
由で、負債のない者は一人もない。私のの負債といえば、
万人共通の、自然からの負債だけである。それ以外の負
債では、私以上にきれいに負債をすましている者はない。」

「私は、約束を守ることにはやかましすぎるほど几帳面
である。」

「エセー」(93)

<自由への道>
「与えるということは野心と優越の特質であるように、
受けるということは屈服の特質である。」

「誰でもかまわずなれなれしく利用して恩義を受ける人
々を見かけるが、もし彼らが賢者のように、この恩義の
負担がどんなに重いものであるかをよくよく考えたら、
そうはしないだろうと思う。」

「私はどんなに些細な場合にも、重大な場合にも、他人
の好意にすがる前に、できるだけそうしないですませよ
うとつとめる。・・・
私は、人に与えようとつとめるよりも、人から受けるこ
とを避けて来た。」

「エセー」(94)

<家族に見守られてなんか死にたくない>
「死はどこにおいても、私には同じである。だが、もしも
選べるものなら、床の中よりも馬の上で、家の外で、家族
の者たちから離れたところで死にたい。
友人たちに別れを告げるのは、慰めよりもむしろ胸をかき
むしられる思いがする。」

<姥捨て山>
「長い余生をだらだらと引きずって生きながらえているよ
うな人は、自分のみじめさに、多くの家族の者をまき込も
うと願うべきではあるまい。
だから、インドのある地方では、このような不幸におちい
りそうな人を殺すのを正しいと考えていたし、他の地方で
は、そういう人を一人ぼっちに打ち捨てて自分の力で生き
のびさせた。(ヘロドトス3-99)」

「エセー」(95)

<日本的な感性>
「私は自分が求める旅宿の快適さの中に、豪華さとか
広大さを考えない。そんなものはかえって嫌いである。
だが、ある簡素な清潔さは必要で、これはあまり技巧
をこらさないところにあることが多く、自然もこれを
いかにも自然らしい風趣で引き立ててくれる。」

<千差万別だからおもしろい>
「私は常に過剰を余計だと思うし、ぜいたくや豊富の
中にさえ窮屈を感じる。・・・
私は何にでも順応できる体質と、世界の誰とも共通な
好みをもっている。各国相互の間の風習の違いは、そ
の千差万別なることによって私を喜ばすだけである。」

「エセー」(96)

<人間はこんなゆき方をする>
「裁判官はたったいまある間男を処刑する判決文を
書いたばかりのその同じ紙から一片をくすねて同僚
の妻へ恋文を書く。」

<法律とは>
「アンティステネスは、賢者には、法律を無視して
恋愛することも、自分勝手に適当と思うことをする
ことも許した。
なぜなら、賢者のほうが法律よりもすぐれた意見を
もち、徳についてよりよく知っているからである。
彼の弟子のディオゲネスは、「混乱には理性で、運
命には自信で、法律には自然で立ち向かえ」と言った。」

「エセー」(97)

<娼婦ライス>
「娼婦のライスはこう言っていた。「あの方々はどんな
書物を書き、どんな知恵をもち、どんな哲学をお話しに
なるかは存じませんが、他の人々と変わりなくしばしば
私の門をたたきます」と。」
(ゲヴァラ「書簡集」1-263)

<宴会の心得>
「おまえが許す範囲内で羽目をはずして満足する者は一
人もない。」(ユウェナリス)

「エセー」(98)

<政治の基礎知識>
「政治に関する徳は、人間の弱さに順応し合致するために
、いろんな襞(ひだ)と角度と屈折のある、混ざりものの、
技巧をこらした徳であって、まっすぐな、純粋な、不変な
、清浄潔白な徳ではない。

純粋なままでいたい者は宮廷を去れ。
(ルカヌス「ファルサリア」))」

「国政にたずさわって汚れから免れている人は、奇蹟的に
免れているのだ。」(プラトン「国家」492e-493a)

「エセー」(99)

<名選手必ずしも名監督にあらず>
「自分を立派に導くことができても、他人を導くことが
できない人もいる。・・・
おそらく、一つのことができるということは、むしろ、
それ以外のことは下手にしかできないということの証拠
にほかならない。」

<人に適職あり>
「私は低い精神が高い物事に適しないと同じように、高
い精神は低い物事に適しないと思っている。
ソクラテスが、自分の部族の投票を数えて民会に報告す
ることができなかったために、アテナイ市民の物笑いの
種になったというのは本当だろうか。
(プラトン「ゴルギアス」474a)」

「エセー」(100)

<謙信もビックリ>
「アゲシラオスはかって戦争をしたことのある隣国の王が
領土内を通過させてほしいと申し入れて来たとき、その願
いを容れて、ペロポネソスを通ることを許した。
そしてこの王を意のままにできたのに、監禁も毒殺もしな
いばかりか、鄭重にもてなして、少しも害を与えなかった。
・・・
スパルタ人の純粋はフランスのそれとは似ても似つかぬも
のなのである。」

「優秀で清浄な人がいたら、これは怪物だ。」
(ユウェナリス13-64)

「エセー」(101)

<バカの解釈>
「いっそうばかにならないためには少しばかにならなければ
ならない。」

<いい加減は、無駄であること>
「どんなに有益なものでも、いい加減にしたのでは有益でな
くなる。」(セネカ「書簡」)

<自分の幸福とは>
「少しも他人のために生きない人は、ほとんど自分のために
も生きない人である。」

<売られた喧嘩も相手による>
「激情はすべてを台無しにする。」
(スタティウス「テーバイス」)

「エセー」(102)

<良い仕事をするために>
「そこに自分の判断と技巧だけを用いる人のほうが(熱烈な
欲望に駆られる人よりも)いっそう愉快に事を運び、状況に
応じて、自由自在に、偽装し、譲歩し、延期する。
標的をはずしても、苦しみも悲しみもせずに、すぐに立ち直
って新しい企てに取りかかり、いつも手綱を手に持って歩い
てゆく。だが、あの激しい、暴君のような意図に酔う人は、
かならず無謀と不正におちいる。
激烈な欲望に我を忘れるからである。これこそ無分別な行動
であって、よほど運がよくなければ、何の効果も生み出さな
い。
哲学はわれわれに、受けた侮辱を罰するときには、怒りを取
り除けと命じている。(セネカ「怒りについて」)」

「エセー」(103)

<いらないもの>
「ソクラテスは町の中を多くの富や宝石や高価な調度類が
豪華な行列を作って運ばれてゆくのを見て「私はずいぶん
多くのものを欲しがらないものだな」と言った。」
(キケロ「トゥスクルム論議」5-32)

<欲望の幾何学>
「われわれは欲望と所有を拡げれば拡げるほど、運命と災
禍の打撃にさらされる。
われわれの欲望の競走場は、われわれにもっとも身近な安
楽の狭い場所に制限されなければならない。そしてさらに、
その走路は別のところで終点になるような一直線のもので
はなく、円形で、その両端が狭い円周をえがいたあとに、
われわれ自身の中でふたたび合わさって終わるものでなけ
ればならない。
このような回帰、つまり、近い確実な回帰にない行為は、
吝嗇家や野心家などが直線上をまっしぐらに走る行為と同
じく、間違った、病的な行為である。」

「エセー」(104)

こんな簡単なこと、と思うかもしれないが、是々非々を
言える人は殆どいない。まず、マスコミは全滅である。
過ちを一つも犯さない人はいない。しかし、人は一つの
過ちを犯した人を抹殺する暴挙にでるのである。

<是々非々>
「泥棒でも美しい脚をもっていると言ってはいけないだ
ろうか。娼婦だからと言って、息が臭くなければならな
いだろうか。・・・人々は、ある弁護士を憎み出すと、
その翌日はその弁舌までを下手だと言う。・・・
私なら、こう言いきることができる。「あの人のあの行
ないは悪いが、この行ないは立派だ」と。」

「エセー」(105)

<賢人会議のある風景>
「われわれ人間のもっとも大きな混乱も、その動機と
原因はばかげたものである。・・・
わが国のもっとも賢明な人々が、仰々しい様子でたく
さんの公費を使い、条約や協定を取りきめるために集
まりながら、それの本当の決定は貴婦人方の私室のお
しゃべりや、どこかの名もない一婦人の気まぐれで、
決定的に決まるのを見た。一つのりんごをきっかけに
ギリシャとアジアを戦火と流血の巷と化した詩人たち
は、よくこの間の事情をわきまえていた。
(注:パリスのりんごがトロヤ戦争の原因になったこ
とを指す)」

「エセー」(106)

<ソクラテス>
「(ソクラテスは)高級な精神や豊富な精神を示した
わけでなく、ただ健全な精神を示しただけであるが、
しかし、そこには活気にあふれた純粋な健康さがある。
こういう平凡で自然な手段と普通のありふれた思想に
よって、興奮も発奮もせずに、もっとも正常で、しか
もこれまでにない崇高で力強い信念と行為と道徳を打
ち立てたのである。
天上でむなしく時を費していた人間の知恵を取り戻し
て、もっとも正当な、もっとも骨の折れる、もっとも
有益な働き場所である人間界に返してやったのはこの
人である。」

「エセー」(107)

<学問の弱点>
「学問は、しっかりした目で見つめると、人間のほかの
幸福と同じように、本来のむなしさと弱点を多くもって
いるし、高くつくものなのである。・・・
われわれが安穏に生きるためにはほとんど学問を必要と
しない。
<健全な精神を作るには学問はあまり必要ではない>
(セネカ「書簡」)」

<剛毅と忍耐>
「アリストテレスもカトーも知らず、模範も教訓も知ら
ずにいるあわれな民衆を見よう。だが、自然は、彼らの
間から毎日、われわれが学校であんなに一生懸命に学ん
でいるものよりもはるかに純粋で、はるかに力強い剛毅
と忍耐の実例を見せている。」

「エセー」(108)

<健康な人ほど重い病気になる理屈>
「実際、健康な肉体ほど重い病気にかかりやすいもので
ある。重い病気でなければこれを負かすことができない
からである。」

この理屈で、いえば楽天家ほど自殺をしやすい?

<平常心>
「もしもわれわれが着実に平静に生きることを知ったと
すれば、同じように死ぬことも知るであろう。」

「私は、近所の百姓たちが、どんな態度と確信をもって
最後の時を過ごしたらよいかなどと考え込むのを一度も
見たことがない。」

「エセー」(109)

<愚鈍学派設立の主旨>
「俗衆は愚鈍で理解力を欠くために、目前の不幸には
あんなにも辛棒強く、将来の災厄にはあんなにもとん
と無頓着なのではないだろうか。
また、俗衆の魂は皮が厚くて鈍いために、突き通すこ
とも動かすこともできないのではないだろうか。
ああ、神よ、もしもそうだとすれば、これからは、愚
鈍を教える学派を守り立ててゆこうではないか。
これこそ学問がわれわれに約束する窮極の果実である。」

モンテーニュがもし、「禅」というものが理解できたと
すれば、発狂するほどに歓喜したにちがいない。

「エセー」(110)

<ソクラテスの弁明ー死刑に服する言葉>
「私は、自分が死とつき合ったことも知り合ったことも
ないし、死を経験して私に教えてくれるような人にも会
ったことがないことを知っている。
死を恐れる人々はあらかじめ、死を知っていなければな
らない。だが私は、死がどんなものであるかも、来世に
どんなことが起こるかもしらない。おそらく死はよくも
悪くもないものだろう。あるいは望ましいものかもしれ
ない。・・・・
正しい人は、生きても死んでも少しも神々を恐れる必要
がない。」(プラトン「ソクラテスの弁明」)

「エセー」(111)

<ソクラテスの死>
「自分の死をこれほど無頓着に恬淡として迎えたことは、
後世に、彼の死をますます尊敬に値するものとした。
・・・
アテナイの市民は彼の死刑の原因を作った人々を極度に
忌み嫌って、追放された人々のように避け、彼らの手に
触れたものをことごとく不浄のものとし、浴場では誰一
人として沐浴を共にせず、挨拶も、近づきもしなかった
ために、彼らはとうとう皆の憎悪に耐えかねて、自ら首
をくくったからである。」
(プルタルコス倫理論集「羨みと憎しみについて」)

「エセー」(112)

美貌、ソクラテスはそれを「短い支配」といい、プラト
ンは「自然の特権」と呼んだ。
プラトンは、人生の幸福を健康、美貌、富の順に並べた。

<20人程度の覆面の武士に襲われたモンテーニュが助か
った訳>
「彼らの中のひときわ目立った者が覆面を脱いで、名前
を名乗り、何度も繰り返して、私が釈放されたのは、私
の顔つきと私の物言いが率直で毅然としていたために、
このような不幸に会うにはふさわしくないお方だという
印象を与えたからだと言った。」

<ソクラテスの顔>
「あらゆる偉大な特質において完全な模範であったソク
ラテスが、人々の言うように、うつくしい魂に似合わな
いあんなにも醜い肉体を持ち合わせたというのは、私に
は残念なことである。」

<ソクラテスの自戒>
「もしも教育によって心を矯正しなかったら私(ソクラ
テス)の顔の醜さはそのまま心の醜さを表わしたことだ
ろう。」
(キケロ「トゥスクルム論議」1-33)

「エセー」(113)

<無常というもの>
「小川の流れは、水の絶えることがなく、次々に、列を
なし、追いつ追われつ、永遠に流れて行く。あの水はこ
の水に押され、この水は別の水に追い越される。
常に水は水の中を流れてゆく。小川は常に同じでも、流
れる水は常に別の水である。」
(「ラ・ボエシ著作集」254-55)
参考:
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しく
とゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またか
くの如し。」(「方丈記」鴨長明)

「エセー」(114)

<自分の無知に気づくためにはある程度の知識が必要>
「知っている者はたずねる必要がない。なぜなら、すで
に知っているからだ。また、知らない者もたずねる必要
がない。なぜなら、たずねるためには何についてたずね
るかを知らなければならないからだ。」
(プラトン「メノン」80E)

「私の修業の成果は、学ぶべきことが無限にあると悟っ
たこと以外にはない。」

「自分の無力を思い知ったおかげで、私は謙虚に向かう
傾向と、命じられた信念には服従し、自説に対しては常
に変わらぬ冷静と節度を保とうとする傾向を身につけた
し、また、規律と真理の大敵であり、あくまでも自己を
過信する、あのうるさい喧嘩腰の傲慢に対する嫌悪を身
につけた。」

「エセー」(115)

<知恵と好意と大胆>
「自分に対する率直な判断を聞くにはきわめて強い耳を
もたねばならない。また、その言葉を聞いて気を悪くせ
ずにいられる人はほとんどいないから、これをあえてわ
れわれに試みようという人は、よほどの友情を示す人で
ある。・・・
プラトンは他人の魂を吟味しようとする人に、知恵と好
意と大胆の三つの特質を要求している。(プラトン「
ゴルギアス」)」

「エセー」(116)

<習慣>
われわれをつくるものは習慣である。モンテーニュはあ
るとき、乞食の子供を救ったことがあった。しかし、ま
もなく、子供は脱走して乞食に戻った。「乞食たちも、
金持ちと同じように、それなりの豪奢と快楽をもってい
る。」

<規則>
「規則と規律ずくめで引き回される生活ほどばかげた、
弱いものはない。

この人はごく近くへ行こうと思うときも、暦法の書物で
適当な時間を調べる。目の角(すみ)がむずむずすると
きも、星占いの書物で確かめてから目薬をさす。
(ユウェナリス)」

「エセー」(117)

<極端のすすめー紳士とは>
「私の言うことを真に受けるなら、ときどきは極端に
走るがよい。さもないと、ちょっとした道楽にも身を
滅ぼし、人とのつきあいにも扱いにくい不快な人間に
なる。
紳士たる者にもっとも不似合な生き方は、やかましす
ぎること、ある特別な生き方に束縛されることである。
生き方は、柔軟さがないと特殊なものとなる。」

「武人は、フィロポイメンが言うように、あらゆる種
類の変わった不規則な生活に自分を鍛えなければなら
ない。」
(プルタルコス英雄伝「フィロポイメン篇」)

「エセー」(118)

<モンテーニュの声>
「私の声は高くて強い。・・・
声には教えるための声、おもねるための声、あるいは
叱るための声がある。私の声は相手に達するばかりで
なく、相手を打ち、相手を突き刺すようであってほし
いと思う。
私が召し使いを、鋭く辛辣な調子で叱ったときに、
「旦那様、もっと静かにおっしゃってください。十分
に聞こえますから」などと言われたら結構なことだろ
う。」

「エセー」(119)

<夢を見ない人>
「歴史家たちによると、アトランティス島の人々は
けっして夢をみなかったし、死んだ動物の肉を食わ
なかったそうだ。」
(ヘロドトス4-184,プリニウス「博物誌」5-8)

「プラトンは・・夢から将来への教訓を引き出すこ
とが知恵の務めだと言った。」
(プラトン「ティマイオス」71E)

「エセー」(120)

<モンテーニュは美食家?>
「私は、食物はすべて可能な限り、あまり焼かない
ものが好きだし、たいていのものは、匂いが変わる
くらいまで古くなったものが好きだ。・・・魚でさ
えも、新しすぎ、肉がしまりすぎて困ることがある。
これは歯が弱いせいではない。歯はいつもすばらし
いほどよかったが、この頃、年のせいか悪くなり始
めた。私は子供の頃から、朝と食事の前後に
で歯をこする癖がある。」

「私はたいてい葡萄酒を水で半分に、ときには三分
の一に割って飲む。」

「エセー」(121)

<寿命と自然>
「古代の人だったソロンは人間の最も長い寿命を
七十歳としている。(ヘロドトス(1-32)・・・
自然の流れに逆らうものはすべて不快かもしれない
が、自然に従うものはすべて常に快適なはずである。
<自然に従って起こるものはすべて善の中に数えら
れるべきだ。>(キケロ「老年論」19)」

「エセー」(122)

<私は風である>
「われわれはすべてこれ風ではないか。そしてその
風さえも、われわれよりも賢明に、音をたてて動き
廻ることを好み、自分の仕事に満足して、自分の性
質でない安定や堅実を望もうとしない。」

<大きな運命なんて必要ない>
「「私だって重大な仕事をやらされたら、真価をみ
せてやれたのに。」—あなたは自分の生活を考え、
それを導くことが出来たか。それなら、もっと立派
な仕事を果たしたのだ。自然は、自己を示し、能力
を発揮するためには、大きな運命を必要としない。
・・・・われわれの務めは、・・・・
生き方に秩序と平静をかちとることである。」

「エセー」(123)

<一事が万事>
「心の賢い者は味覚も賢くなければならない。」
(キケロ「善悪の限界」2-8)

<高貴なる魂は気さくなり>
「自己を緩(ゆる)め、気さくに振舞えるというこ
とは、力強く気高い魂にとって、きわめて尊く、
いっそうふさわしいことだと思う。」

<汝自身を知れ>
「魂の偉大さは、昇ったり進んだりすることよりも、
自分を整え抑えることを知ることにある。」

<愚かな人生は不快なり>
「愚かな者の人生は不快で不安定で、未来のことば
かり考えている。」(セネカ「書簡」15)

「エセー」(124)

<志ん生もビックリ、酒に強いソクラテス>
「常に徒歩で従軍し、はだしで、氷を踏み、夏冬と
もに同じ衣服を着、仲間のだれよりも苦難に堪(た)
え、宴会でも不断と違う食べ方をしなかった。
二十七年の間、同じ顔つきで、飢えと貧困と子供た
ちの不従順と妻の爪に堪え、最後には、中傷と暴政
と牢獄と毒杯に堪えた。けれどもこの人は、人との
付き合いで、葡萄酒を飲む競走をさせられると、い
つも全軍でいちばん強かった。
また、子供たちとおはじき遊びをすることも、木馬
に乗って遊ぶこともこばまなかった。しかも、その
姿は実に優雅だった。」

「エセー」(125)

<愚者の特徴>
「なすべきことを怠けながら不承不承(ふしょうぶ
しょう)におこない、肉体と精神とを別々の方向に
駆り立て、両者を相反する運命に引き裂くのは、愚
者の特徴である。」
(セネカ「書簡」74)

<美しい生活>
「もっとも美しい生活とは、私の考えるところでは、
普通の、人間らしい模範に合った、秩序ある、しか
し、奇蹟も異常もない生活である。」
「エセー」(126)-完

「エセー」が初めて日本に紹介されたのは、
昭和10年(関根秀雄訳)。
デカルト、モリエール、ルソー、モンテスキュー、
ジード、カミュ、サルトルも「エセー」の愛読者。
特に、パスカルの「パンセ」については、聖書から
来ていないものは全て「エセー」から来ているとま
でいわれた。
哲学者ジョン・ロックはモンテーニュの教育論
(1-26)によって彼自身の教育論を書いている。
ドイツでは、ゲーテ、ショウペンハウエル、ニー
チェが影響を受けている。

<モンテーニュの生涯>
無常なり<4人の子供が生後まもなく死んだ>

1533.02.28生まれ、里子に出される。
1554 21歳、高等法院参議となる。(父、ボルドー
市長となる。)
1565 32歳、 フランソワーズ。ド・ラ・シャセー
ニュ21歳と結婚。
1568 35歳、父死去。
1570 37歳、長女出産。2ヶ月後に死ぬ。
1571 38歳、次女生まれる。
1572 39歳、「エセー」の執筆はじめる。
1573 40歳、三女生まれるが、七週間で死ぬ。
1574 41歳、四女生まれるが3ヶ月後に死ぬ。
1578 45歳、腎臓結石の発作を起こす。「ガリヤ戦記」熟読。
1583 50歳、ボルドー市長に再選される。
      六女が生まれるが、数日で死ぬ。
1585 52歳、ボルドー市にペスト発生、全市民非難。
1588 55歳〜読書に熱中。
1590 57歳、アンリ4世よりの要職要請を断る。
1592.09.13 59歳で死去。

著述に専念できたのは、53歳以後の6年間。

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東洋の理想

東洋の理想
岡倉天心1863-1913
tenshin okakura

「東洋の理想」(1)

1866年、欧米の芸術・歴史を研究するために
日本政府より海外に派遣された岡倉氏は
欧米の芸術に圧倒されるどころか、アジアの
芸術に対する氏の認識と評価をますます深め、
ますます強めたに過ぎなかった。
(以上、m.e.ノーブル(英国婦人)談要約)

日本に集まり、日本の芸術の中に自由な生き生
きとした表現を得ているものは、大陸アジアの
文化である。

おのれを顧みず他を救おうと念ずる仏の悲願ー
の壮大な解釈。こうしたものが日本の芸術の
真義であります。

「東洋の理想」(2)

<富の貯蔵庫>
「万世一系の天皇をいただくという比類なき
祝福、征服されたことのない民族の誇らかな
自恃(じじ)、膨張発展を犠牲として祖先伝来
の観念と本能とを守った島国的孤立などが、
日本を、アジアの思想と文化を託す真の貯蔵庫
たらしめた。」

「アジア文化の歴史的な富を、その秘蔵の標本
によって、一貫できるのは、ひとり日本において
のみである。」

「日本はアジア文明の博物館となっている。いや
博物館以上のものである。
なんとなれば、この民族のふしぎな天性は、この
民族をして、古いものを失うことなしに新しいも
のを歓迎する生ける不二元論の精神をもって、過
去の諸思想のすべての面に意を留めさせているか
らである。」

「東洋の理想」(3)

<精妙な仕上げをする希有な民族>
大和民族は、「戦いに臨んで精悍、平和の諸芸
において温雅、・・・詩歌を愛し、女性に対す
る大いなる尊敬の念をいだく」民族である。

日本の四季に育てられた日本芸術は、「中国芸術
の単調な幅広さ・・・インド芸術の過重な豊麗さ、
・・・と区別するものとなっている。
時に雄大さを害することはあるけれども、
わが国の工芸装飾美術に精妙な仕上げを与える
ところの清潔を愛する先天的な心は、おそらく
大陸の作品にはどこにも見出すことのできない
ものである。」
「東洋の理想」(4)

<アマの民族>
「模倣が自由な創造に取って代わるということは
かってなかったのである。受けた影響を、それが
いかに巨大なものであろうとも、これを受容して
改めて応用するための豊かな活力が常にあったの
である。
アジア大陸の日本に対する接触が、常に新しい生
命と霊感とを生むことに寄与したということは、
アジア大陸の光栄である。
なにか単なる政治的な意味だけにとどまらず、さ
らにもっともっと意味を深くして、一つの生ける
自由の精神として、生活、思想、および芸術にお
いて、絶対他の征服を許さざるものとしてみずか
らを保っていることは、アマ(アマテラス)の民
族のもっとも神聖な栄誉である。」
「東洋の理想」(5)

<原始日本芸術への最初の波>
原始日本の芸術全般の上に及んだ大陸の影響の
最初の波は、中国の漢および六朝のそれであった。
漢の芸術そのものは、おおまかに儒教的(孔子的)
と呼んでよいであろう。

「天翔(か)けてそれ自身の無辺際(むへんさい)
の空と混融することは、インドの精神にまかせ、
地と物質のもろもろの秘密を探ることは、経験主義
のヨーロッパにまかせ、地上の夢の楽園を通って
中空に浮かぶことは、キリスト教徒とセム族に
まかせ—全てこれらを他にまかせつつ、儒教は、
その広大な知的綜合と、一般民衆に対するその
無限の同情との魅力によって、常に偉大な人の
心をとらえつづけるにちがいない。」

「東洋の理想」(6)

<孔子と音楽>
「孔子の生涯をかえりみて、音楽の美しさを
いとおしげに語っているいくつかの対話のみな
らず、音楽を聞けないくらいならむしろ断食を
した方がいいといった話・・・」

孔子の時代、芸術の最上位に置かれたのは
音楽であった。
現在、故宮博物院では、書が最高位とされて
いる。

故宮博物院:
1933年2月から5月までの間、13,427箱と64包の
文物は五つに分けられ、上海、そして南京に運
ばれた。
1948年末から南京国民党政府は南京の倉庫から
2,972箱の文物を選んで台湾に運んだ。
台湾に運ばれたものは、器物4 万6100 件・書
画5526 件・図書文献54 万5797冊。
「東洋の理想」(7)

<儒教的芸術の傾向と次元>
「儒教の理想は、二元論から生まれたその均斉と、
本能的に部分を全体に隷属せしめることの結果たる
その静寂さをもつもので、必然的に、芸術の自由を
制限するものであった。倫理への奉仕に縛られて、
芸術は、自然、工芸的なものとなった。」
もしも、道教的精神というものがなかったならば、
それらは、常に装飾的なものの方向に傾いたに
ちがいない。
「しかし、たとえそれが装飾的なるものにとどまって
いたにしても、それはけっしてブルジョア的低俗の
次元にまで堕ちることはしなかったであろう。
なんとなれば、アジアの芸術は、それが持つ普遍
没個我なるものの宏大な生命によって、そうした
共感の欠如というようなもっとも縁遠い危険からは、
永遠に救われているからである。」
「東洋の理想」(8)

<儒教と老荘思想が用意したもの>
「儒教的中国がインドの理想主義を受け容れる
ことは、もし老荘思想と道教とが、周朝の末以来、
これらアジア思想の相互に対立する両極の共同の
展開のための心理的基礎を準備してきていなかった
ならば、けっして行われることのできなかったこと
であろう。」
「東洋の理想」(9)

<すき間に入る、ということ>
「養生の術の秘訣は、抗争非難することに
あるのではなくて、いたるところに存在する
すき間に入り込むことにある」(荘子)
(例文:「包丁」)
「かくして彼(荘子)は儒教の制度習俗を
嘲(あざわら)っているのであり、それらは
単に有限の努力にすぎず、没個の気の広大な
領域を到底おおうことはできないというので
ある。」
「東洋の理想」(10)

<宝石に飾られた牛になりたい若者たち>
「荘子は官職に就くように求められたが、その
とき、飾り立てられた犠牲の牡牛を指さして、
「この牛は宝石で飾り立てられてはいるけれど
も、斧(おの)が彼の上に置かれているとき、
幸福を感ずると思いますか」といったと伝えら
れている。」
老荘の思想は、儒教的社会主義の根底を揺さぶった。
孟子の生涯はそれとの戦いに捧げられたのである。
「東洋の理想」(11)

<陶淵明>
「老荘派中もっとも儒教的、儒家中もっとも老荘的
な人で、皇帝の使いを迎えるために礼服を着るのは
いやだといって地方長官の職を辞した人であった。」

補記:
李白、杜甫、数ある中国詩人の中で最も、日本
人の心を捕らえているのは陶淵明ではないのか?
と私は思っている。

「「露にうなだれた」秋菊の清らかさ、風にそよぐ
竹の微妙な優美さ、薄明の水にただよう梅花のそこ
はかとなき香り、無言の嘆きを風にささやく松の緑の
清澄、気高き魂を幽谷にかくし、あるいは天の一瞥に
春を求める水仙の神々しさ、こうしたものが詩的霊感
の主題となるのは、陶淵明をはじめその他の南部の詩人
たちを通してである。」

「東洋の理想」(12)

<顧之(こがいし)>
「顧之は、四世紀後半の詩人画家であるが、老荘
派に属し、「詩において第一、絵において第一、愚
において第一」(才絶、画絶、癡(痴)絶)と呼ば
れて、三つの徳(三絶)によって賞讃された人であ
った。
彼は、芸術的制作において、主調への集中の必要を
説いた最初の人でもあった。
「肖像画の秘訣は、当の人物の眼に啓示されている
”あれ”にある」と彼はいった。
けだし、最初の組織立った絵画批評と最初の画人伝
とが中国でこの時代にはじまったことは、老荘精神
の生んだもう一つの成果である。」

補記:
美術批評を志すならば、まず老荘を学べ。

<肖像画「カッサンドラ」>
名手プロトゲネスは女予言者(カッサンドラ)の眼
にトロイの陥落の全貌をあらわし得たという。

「東洋の理想」(13)

<謝赫(しゃかく)–絵画法–>
「五世紀の謝赫は、画法の六法を定めているが、
その中で、自然を写し描くという観念(応物象形)は、
他の二つの主要な原則の補助たるべきものとして、
第三位に落ちている。
その第一は「事物の律動を通じての精神の生命的躍動
(気韻生動)である。
・・・
第二の法は、構図と線描とに関するもので、「骨と筆
づかいの法則」(骨法用筆)と呼ばれている。
これに従えば、創造的精神は、降って絵画的意想の中
に入るとき、有機的な構造をとらなければならないの
である。」
「東洋の理想」(14)

老荘といえば、道教である。
道教といえば、仙人である。

<熊野地方のお話>
「秦の皇帝たちは、東海に不老不死の薬を求める
探検隊を派遣し、隊員たちは、素手で帰るのを恐れ、
日本に定住したと信じられており、その地では、
今日にいたるまで、一族全体がかれらの後裔であると
称している(和歌山県熊野地方への言及)」

「漢の皇帝たちもまた、同様の追求に耽らなくは
なかった。そして、幾度となく、かれらの神々を
祀る神殿を建てたが、そのたびにかならず儒者の
抗議にあって取り壊された。」
「東洋の理想」(15)

<道教、老荘、仏教>
「一つの宗派としての道教の最終的な組織化は、
六朝初期の陸修静(りくじゅせい)と寇謙之(こ
うけんし)の努力によるものであった。
かれらは、民間に流布している俗信の意義とそれ
に対する承認とを増大させる考えをもって、老子
の哲学と仏教徒の儀式とを採り入れた。
・・・
哲学的な面においては、仏教は老荘の徒によって
双手をあげて歓迎された。かれらは、その中に、
かれら自身の哲学の前進したものを見出したので
あった。
・・・
初期の道教徒たちは、仏陀の像を、かれら自身の
神々の一人の像として歓迎した。」
「東洋の理想」(16)

<仏教は一つの成長物である>

「多様の中に統一を求める、すなわち、普遍なる
ものと特殊なるものとの中に同時に真に個的なる
ものを主張すると宣言することにおいて、われわ
れはすでにこの信仰のあらゆる分化を想定してい
たのである。」

インドに二十三派
中国に十二派
日本に十三派

補記:
仏陀(釈迦)
生没年諸説

bc565-bc486
bc560-bc480
bc465-bc386
bc463-bc383

ネパール南部,カピラヴァストゥ城で、王子として
生まれる。
釈迦は、産まれた途端、七歩歩いて右手で天を指し
左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と話したと
伝えられている。

16歳で結婚、1子をもうける。
29歳で出家、6年間瞑想にふける。
35歳、12月8日の未明悟りを開き、「ブッダ」と
なった。

人生の苦悩から逃れるための方法
因果の理法を理解し、
物質や自我への執着が生む苦悩から解脱せよ!

80歳、クシナガラの沙羅の木の下で没す。
「東洋の理想」(17)

<中国思想の三つの流れと詩的代表>

儒教:杜甫
道教:李白
仏教:王維

<平安時代>
平安時代において「われわれは密教と呼ばれる
仏教発展の一つの新しい波を見出す。その哲学的
基礎は、それに禁欲的苦行と肉体的歓楽の崇拝と
いう、二つの極端を包含することを得しめるが
ごときものである。」

<真言宗>
「かれらが心と肉体との間の境界に横たわるものと
考えたところの「言葉」、すなわち聖なる呪文を唱
えることを、その結果を収めるもっとも重要な道と
したのであり、かかるところから、この派は時に
「真の言葉」、すなわち真言宗と呼ばれた。」
「東洋の理想」(18)

<密教>
「あらゆるものの中に、没個的普遍者たる毘廬遮那
(びるしゃな)が含まれており、それの至上の実現
こそが信者のたずね求むべきものとされたのである。
罪業も、この超絶的一体性の見地よりすれば、自己
犠牲と同じく神聖なものとなり、最下の悪魔も最高の
神と同じように自然に、万神殿の中心となるのである。」

<密教的建築>
「寺院を一つ建てるにしても、阿闍梨(あじゃり)、
すなわち師たる者が、宇宙的意匠をもって地取りを
するのであった。そしてその中では、あらゆる石は
それぞれその所を得、そしてその輪郭内に見出される
塵芥一つといえども、彼自身の修行の不完全や欠点を
あらわすものとされたのである。」

<万神殿>
1 不動:力、すなわち知識
2 宝生:富、すなわち創造的な力
3 阿弥陀:慈悲、すなわち人間に天降る神の知恵
4 釈迦:いとなみ、あるいは業(カルマ)いいか
えれば地上の現実の生活におけるはじめの三つのもの
の実現、すなわち釈迦牟尼、をあらわす。
「東洋の理想」(19)

<生命というもの(密教)>
「生命というものは、いわれるところによれば、
けっして自己を完成するものではなく、いっそう
高次の実現の段階にむかって向上しようとするその
努力において、永久に完成を突き破って進むもので
ある・・」

「東洋の理想」(20)

<平安時代の彫刻>
「この時代の彫刻のもっともすぐれた標本の一つは、
空海の命によって刻まれ、今日京都の近くの神護寺に
現存している大治療者薬師如来の像である。
もう一つは、近江の渡岸寺の十一面観音で、これは
空海の偉大な敵手であった最澄の作とされている。」

「平安時代の芸術は、かくて、具体的なるがゆえに
力強くかつ活力に満ちた作品の同義語になっている。
それはある確信の気迫に満ちている。
しかし、それは、偉大な理想主義の自発性と超脱とを
欠いていて、自由ではない。」
「東洋の理想」(21)

<藤原時代(900-1200)>
インドの理想の把握を完了。
「日本人は、いっそうインド人に類似すること
によって、中国人よりは有利な立場に立っている。
すなわち中国人は、儒教に表現されているあの強い
常識によって、いかなるものにせよある単一の動機
を、そのあらんかぎりの熾烈さにまで均衡を失して
発展せしめることをしないように抑止されているか
らである。」

「当時の過度の洗練にとっては、有用な務めのごと
きは、身を賤しめる、かつ不純なもののように思わ
れ、したがって、金銭を取り扱ったり武器を使用し
たりすることは、下賤の階級にのみふさわしい職務
と思われた・」

「軍隊の司令長官が馬にまたがることさえできず、
近衛の大将が、当時の流行となった重い甲冑を身に
つけてみると、身動きができなかった・」

下級として軽蔑されていた天皇末裔の源平両氏が、
藤原氏に取って代わる。
「東洋の理想」(22)

<鎌倉時代(1200-1400)>
「この時代は、封建的諸権利の観念と個人意識との、
十分な形における発展をその特徴としている。」

「そしてその主要な特徴は、現代の明治維新にいた
るまで続くことになる。」

「「もののあわれを知ること」というのがこの時代
の標語となり、かくて、他人のために苦しむことに
自分の存在理由があるとする、さむらいの偉大な理
想を生み出した。」

「武士階級は、その理想として、救いは自制と意志
の力の中に求むべきであるという禅宗の教えを採用
した。」
「東洋の理想」(23)

<足利時代(1400-1600)>(1)
この時代は「近代芸術の真の音調、すなわち文学的
意味における浪漫主義、を打ち鳴らしている。」

「自然に対する生得の愛は、足利時代の芸術に制限を
加えるものとなっている。当時の芸術はあまりにも
専一に山水や花鳥にのみ身を入れすぎている。」

「剣を用いることではなくて、剣であること(純潔
で、不動で、常に北極星を指す剣であること)が、
足利武士の理想であった。」

「禅は、形式や儀式を無視するという意味において、
偶像破壊的ですらあった。悟りを開いた禅僧によっ
て、仏像は火中に投ぜられたのである。」

「われわれの礼法は、扇の差し出し方を習うことに
はじまり、自殺をとげる儀式で終わるのである。」

「東洋の理想」(24)

<足利時代(1400-1600)>(2)
「足利時代の貴族は、・・・・
好んで茅葺きの家に住み、それは一見もっとも
卑賤な百姓の家と同じく簡素であったが、しかも
その結構は、相如(しょうじょ)あるいは相阿弥
の最高の天才の設計によるものであり、その柱は、
インドのもっとも遠い島から持ちきたった世にも
高価な香木でできていた。
その茶釜ですら、雪舟の意匠になる工芸のすばら
しい逸品であった。」

「あらわに展示するのではなく、ほのかに暗示す
ること、それが無限ということの秘訣である。
完全ということは、すべての円熟と同じく、成長
が限られているがゆえに、感銘がないのである。」
「東洋の理想」(25)

<足利時代(1400-1600)>(3)

<余白>
「ある観念の完成を想像力みずからに行わせる
余地を残すということは、あらゆる形態の芸術
的表現にとって肝要不可欠なことであった。」

「偉大な傑作の、何もかいていない絹地の余白は、
しばしば、描かれた部分そのものよりもいっそう
意味にみちていることがある。」

「東洋の理想」(26)

<足利時代(1400-1600)>(4)
<何故、世界は禅を理解出来ないのか>

中国、宗朝の芸術家(牧谿(もっけい)など)
は禅精神のある理解をすでに示してした。
「しかし、禅思想を、そのすべての強さと純粋
さとにおいて吸収するためには、儒教的形式主
義から解放された日本精神のインド的傾向を代
表する足利期の芸術家たちを必要としたのであ
る。・・・・
(彼らの)芸術形式の自然の傾向は、純粋で、
厳粛であり、簡素にみちていた。」
「東洋の理想」(27)

<足利時代(1400-1600)>(5)

<雪舟>
「雪舟あるいは雪村の偉大な作品は、自然の描写
ではなくて、自然についての試論である。
彼らのとっては、高いものも低いものもなく、
高貴なものも洗練されたものもない。女神観音の
絵も、あるいは釈迦の絵も、一輪の花、一枝の竹
の絵と、画題としての重要さにおいてなんら選ぶ
ところはない。
一筆一筆がその生死の契機を持つのである。
すべてが一緒になって、生命の中の生命であると
ころの、ひとつの観念を解釈することに力を貸す
のである。」

「雪舟がその地位を得ているのは、禅の精神の大
きな特徴である直裁さと克己とによる。
彼の絵に相対するとき、われわれは、他のいかな
る画家もけっして与えることのない安定した落ち
着きを学び知るのである。」
「東洋の理想」(28)

<足利時代(1400-1600)>(6)

<音楽・能>
「わが国民音楽が成熟した形であらわれてくるのは、
この足利時代の間においてである。」

能において「詩は歴史的主題を扱い、常にそれらを
仏教の思想によって解釈している。
すぐれているかいないかの標準は、無限の暗示性で
あって、自然主義は非難さるべき随一のものである。」

能において「永遠の声なき旋律からこだまするあの
ような曖昧模糊(あいまいもこ)たる発声は、知ら
ない人には奇異あるいは野蛮的に思われるかもしれ
ない。
しかしそれが一つの偉大な芸術のしるしをなしてい
るものであることには、ほとんど疑いがあり得ない。
それは、能が心から心への直接の訴えであることを、
語られざる思想が、役者の背後から、聴く者の内部
に住む聞かず聞えざる悟性に運ばれる様式であるこ
とを、一瞬といえども、けっしてわれわれに忘れる
ことを許さないのである。」
「東洋の理想」(29)

<豊臣および初期徳川時代(1600-1700)>(1)

<無教養者たちの芸術>
この時代の中心人物は、もっとも卑賤な身分から
身を起こした秀吉である。
この時代の新貴族たちには、山賊、海賊などが多
かった。
「そして自然、かれらの無教養な心にとっては、
足利貴族たちの荘厳厳格な洗練は、これを理解でき
ないがゆえに、趣味に合わぬものであった。」

「この時代の芸術は、その内面的な意味によって
よりは、その華麗さと色彩の豊富さとによって、
いっそう注目すべきものである。」
「東洋の理想」(30)

<豊臣および初期徳川時代(1600-1700)>(2)

<金箔の多用>
「桃山の宮殿兼城郭の有名な「百双」の屏風のう
ちの何枚かが、秀吉の行列の間路傍を幾マイルに
もわたって飾った屏風の何枚かとともに、今日も
なお保存されている。」

<風雅よりは富を誇示する大名>
「短気な大名たちは、疲れ切った芸術家たちに、
かれらの命令を一斉に雨と降らせ、あるときには、
御殿を、装飾も施して、一日で完成せよと要求した
こともあった。
そして、狩野永徳は、多数の弟子を率いて、広大
な森林や、華麗な羽を持った鳥や、勇気と王者の
境涯を象徴する獅子と虎を描くなどしながら、か
れらの庇護者たちの豪勢な大騒ぎの真っ只中にあ
って仕事を続けたのである。」

「東洋の理想」(31)

<豊臣および初期徳川時代(1600-1700)>(3)

<家康そして宗達>
「徳川家康は、・・・芸術においても習俗におい
ても、彼(家康)は足利時代の理想に帰ろうとつ
とめた。」が「当時の習俗と愛好とは、簡素では
なく誇示に向かい、そしてこれは、徳川幕府創設
から一世紀後の元禄時代にいたってもなおそうで
あった。」

「歓楽と愉悦のこの時代は、精神的ではないが、
偉大な装飾的芸術を創造することになった。
深い意味を蔵して際だっている唯一の流派は、
宗達と光琳のそれである。・・・
宗達は中でももっともよく足利時代の精神をその
純粋な形で示しており、他方、光琳の方は、他な
らぬ彼の円熟のために、形式主義と気取りに堕し
た。」

「われわれは、光琳の伝記の中に、彼が絵を描く
ときにはいつも錦の座布団に座り、「創作してい
る間は大名気分にならなければいけない」といっ
たという、あわれを誘う話を見出す。」
「東洋の理想」(32)

<後期徳川時代(1700-1850)>

<無能な御用絵師生産時代>
「徳川氏は、統一強化と規律保持に熱心なあまり、
芸術と生活から発する生命の閃光を圧殺してしま
った。」

<ゴッホには気の毒だが、浮世絵は真の日本芸術
ではない>
「浮世絵は、色彩と描画においては熟練の域に達
したが、日本芸術の基礎である理想性を欠いてい
る。・・・・
印籠、根付、刀の鍔、およびこの時代のたのしい
漆器類も、おもちゃであって、そういうものとし
て、そこにのみおよそ真の芸術が存在するところ
の、国民的熱誠の具現ではけっしてなかった。
偉大な芸術とは、その前でわれわれが死にたいと
願うところのものである。
しかるに徳川時代後期の芸術は、人にただ空想の
喜びの中に住むことを許すだけのものであった。
西洋において、日本の芸術がまだまじめに考察さ
れていないのは、大名の蒐集や社寺の宝物の中に
かくされている傑作の壮麗さではく、この時代の
作品の小綺麗さがはじめに注目を惹いたからであ
る。」
「東洋の理想」(33)

<明治時代(1850-現在)>(1)
「今日、日本人の心を束縛している二つの強大な
力の鎖があり、双方竜のごとくとぐろを巻いて、
それぞれが生命の宝珠の独占者になろうとして争
い、ときどき、両者とも、狂瀾沸騰する大海の中
に姿を没するのである。
その一つは特殊具体的なるものを通じて流れる普
遍的なるものの雄大な幻影にみち溢れたアジアの
理想であり、もう一つは、組織立った文化を持ち、
分化した知識のことごとくを揃えて武装し、競争
力の切っ先も鋭いヨーロッパの科学である。」
「東洋の理想」(34)

<明治時代(1850-現在)>(2)
幾世紀にもわたる冬眠からわれわれを目ざます
ことにあずかって力のあった3つの原因

1 <自らを知る(自国研究)>
「大日本史」、「日本外史(頼山陽)」
「建国以来連綿たる宗主権の影にはぐくまれた
この民族の不思議な粘着性、中国やインドの理
想を、それらを創り出した人々の手からはとう
の昔に投げ捨てられてしまっているような場合
にすら、それをそのまったき純粋さにおいてわ
れわれの間に保存している
粘着性、藤原文化の精妙を喜ぶと同時に鎌倉の
尚武の熱情に酔い、足利時代のきびしい純潔を
愛しながらも、同時に豊臣の華麗な壮観をも寛
容する粘着性、こういう粘着性が、今日、日本
を、西洋思想のこの突然の端倪すべからざる流
入にもかかわらず、無傷に保全しているのであ
る。」

2 <西洋からの侵略という不吉な危険>
オランダ語の辞書を解読することにひとりこつ
こつとその身を献げた、西洋科学の先覚者たち
の歴史を読むと、胸の張り裂ける思いがする。

3 <南方の大名達(薩摩、長州、肥前、土佐)>
革命の新しい精神が自由に呼吸することが出来
たのは、かれらの領地内においてであった。
今日まで日本を支配している偉大な精神は、そ
の血統をたどれば、かならずやかれらの境界内
の土地にいきつかなければならないのである。

<個性とは>
「個性とは、人生の、人間の、自然の、雄大な
ドラマの中で、悲劇であれ喜劇であれ、その中
で一個の独創的な役割を演ずることを常に喜ぶ
ものである・」
「東洋の理想」(35)完

<展望>
<俳句は生きた知識と温厚な人間を育てる>
「日本の鄙(ひな)の旅人もまた、その漂泊の
途上、名所を去るときにはかならず彼の発句、
すなわち、どんな無学な者にも可能な芸術形式
である短詩、を残していくのである。
このような様式の経験を通じて、円熟しかつ生
きた知識、堅固にしてしかも温厚な成人の調和
した思想感情としての東洋的な個性の概念が育
てられるのである。」

<汝自身を知れ>
「いかなる木も、種子の中にある以上に偉大に
なることはできない。生命はつねに自己への回
帰の中に存する。」

資料:
「東洋の理想」1903刊行
「茶の本」1906刊行

1877東京大学文学部に15才で入学、政治学・理財学
(経済学)を学ぶ。
25才のフェノロサ(1853-1908,政治学講師)と出会う。
(在学中からフェノロサの通訳をおこなう)
29才東京美術学校(現、東京芸大)の校長に就任

天心の事件(卒業論文):
「英文の論稿「国家論」を提出間際に若妻15才(天心19才)
に原稿を焼かれた。そこで、2週間で「美術論」を書いて
提出した。」

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荘子

荘子
荘子bc369-bc286
soushi

「荘子」(1)

<ガンバレ!屋久杉、めざせ、大椿>
楚(そ)の南に冥霊なる者あり。五百歳を以て春と為し、
五百歳をば秋と為す。
上古に大椿(だいちん)という者あり。八千歳を以て
春と為し、八千歳をば秋と為す。

楚の南に冥霊という大木があり、五百年間を春とし、
五百年間を秋とする。
また上古には大椿とよばれる木があり、八千年間を春とし、
八千年間を秋とした。

「荘子」(2)

<若者は何を目ざす?>
至人(しじん)は己(おのれ)無く、神人(しんじん)は
功無く、聖人は名無し

至人には己がなく、神人には功をたてる心がなく、
聖人には名を得ようとする心がない

「荘子」(3)

<大知は閑閑たり>
大知は閑閑(かんかん)たり、
小知は間間(かんかん)たり。
大言は炎炎(淡淡たんたん)たり、
小言は蝗蕁覆擦鵑擦鵝砲燭蝓
大知あるものは、ゆうゆうとして迫らず、
小知のものは、こせこせしてゆとりがない。
すぐれた言葉は淡泊であるが、
つまらぬ言葉は、いたずらに口かずが多い
ばかりで煩わしい。

「荘子」(4)

<同じきを知らず、これ朝三という>
神明を労して一を為しながら、其の同じきを知らず、
これを朝三(ちょうさん)と謂う。
何をか朝三と謂う、曰わく、狙公、茅(とち)を
賦(わか)ちて朝に三にして莫(くれ)に四つにせん
と曰うに、衆狙みな怒れり。
然らば則ち朝に四にして莫に三にせんと曰うに、衆狙
みな悦べり。

それが同じだということに気づかないことを朝三という。
朝三とは、猿飼いの親方が茅の実を分け与えるのに、
「朝三つにして夕方四つにしよう、」といったら、
猿どもはみな怒った。「それでは朝四つにして夕方三つ
にしよう、」といったら、猿どもはみな悦んだ。

「荘子」(5)

<知らざる所に止まることが最高の知識である>
知はその知らざる所に止まれば、至れり。

注げども満たず、酌めどもつきず、しかも其の
よりて来たる所を知らず、これをこれ葆光(ほこう)
という。
知識については分からないところでそのまま止まって
いるのが、最高の知識である。
(分からないところを強いて分かろうとし、また分かった
とするのは、真の知識ではない。)

いくら注ぎこんでも溢れることがなく、そこからいくら
汲み出しても無くならない。しかもそれがどうしてそう
なのか、その原因がわからない。
こういう境地を葆光という。

「荘子」(6)

<本当の美とは一体なにか?沈魚落雁>
毛しょうや麗姫(りき)は、人はだれもが美人だと
考えるが、魚はそれを見ると水底深くもぐりこみ、
鳥はそれを見ると空高く飛び上がり、鹿はそれを
見ると跳びあがって逃げ出す。

「荘子」(7)

<庖丁(ほうちょう)の語源(意訳)>

庖丁(ほうてい)、文恵君のために料理する。
文恵君、庖丁の腕に感嘆す。
それに庖丁が答える。

「私の求めているものは道です。それは技以上の
ものです。
初めて牛の料理をしたときには、牛しか見えません
でしたが3年たつと、牛は目に入らなくなりました。
私の刀刃は、牛の体の本来のしくみに従っているので
19年間使っていても、たった今砥石で仕上げたように
刃こぼれ一つありません。
大抵の料理人は1ヶ月で、腕のよい料理人でも1年で
刃こぼれで刀刃が使えなくなるのは、道を知らないか
らです。」

「荘子」(8)

<籠の鳥>
野生のキジは十歩あゆんで、わずかなエサにありつき、
百歩あゆんで、やっと水にありつくのだが、それでも
籠(かご)の中で養われることを求めはしない。
それは、心楽しくないからだ。

「荘子」(9)

<ろくでもない人間とつき合う方法>
形のうえで相手に従うのが一番よい。
しかし、従っていても相手と同じになっては
いけないし、相手に認められるようになっても
いけない。(破滅します)
相手が赤ん坊のようなら、こちらも赤ん坊のよう
に振る舞いなさい。
相手が、気儘勝手であれば、こちらもいっしょに
気儘に振る舞いなさい。
相手のとうりに従いながら相手をまともな道に
導くことです。

「荘子」(10)

<蟷螂の斧>
汝は夫(か)の蟷螂(とうろう)を知らざるか。
其の臂(うで)を怒(はげ)まして以て車轍(しゃてつ)
に当たる。その任に勝(た)えざるを知らざるなり。
其の才の美を是とする者なり。これを戒めよ、これを
慎しめよ。
カマキリ(蟷螂)を知っているでしょう。
その腕をふりあげて車の輪に立ち向かっていくが、
それが自分の力に負えないということが解らず、
自分の才能の立派さをたのしみとしているものです。
これを戒めなさい。慎重にしなさい。

「荘子」(11)

<孔子が門人になりたかった先生>
魯(ろ)の国に刑罰で足の筋を切られた王駘(おうたい)
という男がいた。
人望篤く、魯国で、孔子と二分するほどの門人を数えた。
孔子も、「わたしは天下の人々をひきつれて、みんなで
あの人についていきたいと思っている。」と言った。

孔子が王駘について言う。
「生死は重大事だが、あの人はその変化といっしょに
変わるということがなく、天がくつがえり地が落ちこ
んでも、あの人はきっとそれといっしょに落ち込むと
いうことがない。借り物でない真実を見通して、現象
の事物に動かされることがなく、事物の変化を自然の
運命だとしてそれにまかせて、現象の根本に我が身を
おいているのだ。」

「荘子」(12)

<根源へ>
人は流れている水面を鏡とはしないで、静止した
水面を鏡にする。
根源の立場を守っていると、そのあらわれとして
は、世間のことにびくびくしないものだ。

「荘子」(13)

荘子の中で最も有名な、真人(最高の人)の定義、
です。特に、「真人の息は踵(かかと)をもってし、」
は呼吸法の秘儀でもあります。

<真人とは何だ?(1)>
古(いにし)えの真人は乏(とぼ)しきにも逆らわず、
盛んなるにもほこらず、事をはからず。

古えの真人は、その寝ぬるや夢を見ず、その覚めるや
憂(うれ)いなく、その食らうやうましとせず(食べ
ものに惹かれることがない)
その息するや深々たり。

真人の息は踵(かかと)をもってし、
衆人の息は喉(のど)をもってす。

「荘子」(14)

<真人とは何だ?(2)>
昔の真人は、生をよろこぶということを知らないし、
死を憎むということも知らなかった。
生まれてきたからといって嬉しがるわけではなく、
死んでいくからといって厭がるわけでもない。
悠然として去り、悠然として来るだけである。
どうして生まれてきたのかその始まりを知らず、
死んでどうなるかその終わりを知ろうともしない。
生命を受けてはそれを楽しみ、万事を忘れてそれを
もとに返上する。
こういう境地を、「心の分別で自然の道理を歪める
ことをせず、人のさかしらで自然の働きを助長する
ことをしないもの」というのである。
こうした境地にある者を真人というのだ。
このような人は、その心は万事を忘れ、その姿は
静寂そのもので、その額はゆたかに大きい。
ひきしまった清々しさは秋のようであり、温かな
やさしさは春のようであって、感情の動きは四季の
移りゆきのように自然である。
外界の事物の動きにつれて適切に応じ、それがいつ
までも果てしなくつづいてゆくのだ。

「荘子」(15)

<真人とは何だ?(3)>
昔の真人は、その有様は高々としているが崩れること
がなく、なにか足りないようにみえるが全く充実して
いる。のびのびとして孤独でいるが頑固ではなく、
おおげさでいてとらえどころがないが浮ついてはいない。
晴れ晴れとして明るく楽しげであり、ぐずぐずとして
やむをえない有様でもある。
奮い立ってその外なる表情を動かし、のびのびとして
その内なる徳にとどまっている。
ひろびろとしておおらかな有様であり、超然としていて
世事につなぎとめることはできない。
ゆったりしてひまでいるのを好むかのようであり、無心
な有様でことばを忘れている。

自然の立場と人間の立場とがせめぎあわないで調和して
いる、それが真人といわれるものである。

「荘子」(16)

<聖人・賢人・君子・士人>
外界の事物を思いどうりにしようなどと念願するのは
聖人ではない。
意識的な親愛の情があるのは仁の人ではない。
自然の流れを時間のくぎりで切っていくのは、賢人で
はない。
利害にとらわれて、それが同じものであることに気づ
かないのは、君子ではない。
世間的な名声のためにあくせくして、自己を喪失して
いるのは、士人ではない。

「荘子」(17)

<道とは>
それ道は情(実)あり信あり、為すなく形なく、
受くべきも伝うべからず、得べきも見るべからず。
自ら本(もと)となり自ら根となり、未だ天地あ
らざるとき、古えより以て固(もと)より存す。
鬼を神にし帝を神にし、天を生み地を生む。
一体、道とは、実在性があり真実性がありながら、
しわざもなければ形もないもので、身に受けおさ
めることはできても、それを人に伝えることはで
きず、身につけることはできても、その形を見る
ことはできない。
それ自体すべての存在の本源とも根拠ともなるも
ので、天地がまだ存在しない昔からしてもともと
存在し、鬼神や上帝を霊妙にし、天や地を生みだ
すのだ。

「荘子」(18)

<顔回と仲尼との会話ー坐忘ー>
枝体(したい)を堕(こぼ)ち聡明をしりぞけ、
形を離れ知を去りて、大通に同ず、これを坐忘という。

顔回、自らの進境を仲尼に告げる
仁義というものを忘れました(顔回)
まだ十分ではない(仲尼)
礼や音楽のことを忘れました(顔回)
まだ十分ではない(仲尼)
私は坐忘ができるようになりました(顔回)
坐忘とはどういうことか(仲尼)
「手足や体の存在をうち忘れ、耳や目の働きを
打ち消し、この肉体から離れ心の知を追いやって、
あの大きくゆきわたる自然の働きと一つになる、
それが坐忘ということです。」
おまえはすばらしいね。(仲尼)

「荘子」(19)

<名誉を受ける中心にはなるな>
名の尸(し)と為ることなかれ。
謀の府と為ることなかれ。
事の任と為ることなかれ。
知の主と為ることなかれ。
尽(じん)を体して窮(きわ)まりなく、
而して朕(かたち)なきに遊び、
その天より受くる所を尽くして、
得るを見ることなかれ。
ただ虚なるのみ。
至人の心を用うることは鏡のごとし。
送(おく)らず迎えず、応じて蔵せず。
故に能く物に勝(た)えて傷(そこな)わず。
名誉をうける中心にはなるな。
策謀を出す府(くら)とはなるな。
事業の責任者にはなるな。
知恵の主人公にはなるな。
窮極の立場と一つになってゆきづまることなく、
形をこえた世界に遊び、自然から受けたままを
十分に享受して、それ以上のものを得ようとはするな。
ひたすら虚心になるばかりだ。
至人(最高の人)の心のはたらきは鏡のようである。
去るものは去らせ来るものは来させ、相手しだいに
応待して心にとめることがない。
だからこそ事物に対応して我が身を傷つけないで
おられるのだ。

「荘子」(20)

<混沌(コントン)>
南海の帝をシュクといい、北海の帝を忽(コツ)といい、
中央の帝を混沌(コントン)といった。
シュクとコツとはときどき混沌の土地で出会ったが、
混沌はとても手厚く彼らをもてなした。
シュクとコツとはその混沌の恩に報いようと相談し、
「人間にはだれにも七つの穴(目、耳、鼻、口)が
あって、それで見たり聞いたり食べたり息をしたり
しているが、この混沌だけはそれがない。
ためしにその穴をあけてあげよう」ということになった。
そこで一日に一つずつ穴をあけていったが、七日たつと
混沌は死んでしまった。

「荘子」(21)

<泥棒にも守るべき道徳はありますか?>
子分が大泥棒の盗跖(とうせき)に尋ねた。
「泥棒にも守るべき道徳はありますか?」
盗跖いわく、
「何をやるにも、道徳が必要でないことなどある
ものか。そもそも、(まずねらいをつけて)部屋
の中の見当をつけ、中のものをぴたりと当てるの
は、聖の徳だ。押し入るのに先頭をきるのは、勇
の徳だ。引き上げるのにしんがりになるのは、義
の徳だ。頃あいの善し悪しをわきまえるのは、智
の徳だ。分け前を公平にするのは、仁の徳だ。
この五つの徳を身につけないで大泥棒になれたよ
うなものは、世界中にあったためしがない。」

「荘子」(22)

<理想時代>
「君はいったい最高の徳が行われていた理想時代を
知らないのか。
・・・
その当時では、民衆は文字の代わりに縄の結びめを
記号として用い、自分の食べ物をうまいと思い、自
分の衣服を立派だと考え、その素朴な風俗を楽しみ、
そのそまつな住居に安んじて満足していた。
隣の国はたがいに見えるほど近く、鶏や犬のなき声
も聞こえるほどであったが、民衆は老いて死ぬまで
往来をしなかった。
このような時代こそが最もよく治まった時代である。
ところが今では、民衆がくびをのばし爪立ちして、
どこそこに賢人がいると言っては、その教えをうけ
ようとして食料を背負ってそこへ出掛けていくまで
になってしまった。
・・・
これは、上にたつものが知恵を好んだためのあやま
ちである。」

「荘子」(23)

<長く維持できるもの>
それ恬(てん)ならず愉(ゆ)ならざるは、
徳に非(あら)ざるなり。
徳に非ずして長久なるべき者は、天下にこ
れなし。
そもそも安らかでなく楽しくもないのは、
本来の持ちまえではない。
本来の持ちまえでなくて長く維持できる
ようなものは、世界中にありはしない。

「荘子」(24)

聖を絶ち知を棄つれば、すなわち天下
大いに治まると。

聖人を根だやしにして知恵を棄て去れば、
世界はたいへんよく治まる。

「聖を絶ち知を棄つれば、民の利は百倍せん」
(「老子」十九章)

「荘子」(25)

黄帝、広成子に<至道>について尋ねる。
広成子が答える。

至道の精髄は窈窈冥冥(ようようめいめい)、
至道の極みは昏昏黙黙(こんこんもくもく)。
見ようとともせず、聞こうともしないで、
精神を内に守って静かにしていると、肉体も
おのずから正常になるだろう。
必ず静かにし必ず清らかにして、あなたの肉体
を疲れさせず、あなたの精神をゆさぶらなければ、
長生きができよう。
・・・
あなたの内なるものを大切にして、あなたの外に
むかう知識を閉じなさい。
知識が多いと物ごとをぶちこわすものだ。

「荘子」(26)

<一に通じる、ということ>
記にいわく、一に通じて万事つくされ、
得るに心なくして鬼神も服すと。

一に通達することによって万事がつくされ、
一切の欲心をなくすることによって神霊も
感服する。

「荘子」(27)

<道の十事>

道、徳、仁、大、寛、富、発起、確立、備、堅

ことさらなことをしないで行うのを道という。
ことさらなことでなく言うのを徳という。
他人を愛して物に利益を与えるのを仁という。
雑多なものを不同のままに統(す)べるのを大という。
行ないに甚だしい異をたてないのを寛容という。
さまざまな多くのものを持つのを富みという。
固く徳を守るのを発起という。
徳が成就するのを確立という。
道に従うのを備わるという。
事物のために志をくじけさせないのを堅という。

以上、十事をはっきり理解できたら、ゆったりと
広やかに心の持ちかたが大きくなるであろう。
どっとばかりに万物が慕い集まってくるであろう。

「荘子」(28)

<道の十事を理解した人は?>
黄金を山に埋めて真珠を淵にもどし、財貨を
利益とは思わず富貴には近づかず、長生きだ
からといって喜ばず、若死にだからといって
悲しまず、栄達を名誉とは考えず、困窮を恥
とも思わない。
世の中の利益を取り収めて自分の私有にする
ようなことはしないし、世界の王者になるこ
とを自分の顕栄だとは考えない。

「荘子」(29)

<寿と富みと男子多きとは、人の欲する所なり>
寿と富みと男子多きとは、人の欲する所なり。
なんじ独り欲せざるは何そやと。
堯(ぎょう)いわく、
男子多ければすなわち懼(おそ)れ多く、
富めばすなわち事多く、
寿なればすなわち辱(は)ずかしめ多し。
長生きと金持ちと、男の子をたくさん持つことは、
だれもが望むことなのに何故、あなたはそれを
望まないのですか?

堯が答える。
男の子をたくさん持つと心配が多く、
金持ちになると面倒な事が多く、
長生きすると恥が多いからだ。

「荘子」(30)

<世界のはじめ>
泰初に無あり。有もなく名なし。・・・

天地の始めに「無」があった。
存在するものは何もなく、名前もなかった。
そこに「一」が起こったが「一」はあっても
まだ形はなかった。
万物はこの「一」を得ることによって生まれて
いるが、それを徳という。
まだ形のない「一」に区分ができ、つぎつぎと
万物に宿っていって少しの洩れもない、
それを運命という。
「一」は流動して物を生みだすが、物ができて
その物の理(すじめ)ができると、それを形と
いう。
形体が精神を宿すとそれぞれに固有の法則がで
きる、それを本性という。
本性がよく修められると本来の徳にたちもどり、
徳が極点に達すると気の始めに同化する。
同化すると空虚になり、空虚になると大きい。
人々のうるさい弁説をひとまとめにし、それが
まとまると天地とも合一する。
その合一はまったくぴったりした冥合で、まる
で馬鹿のようであり、白痴のようである。
これを玄徳(不思議な徳)といい、偉大な順応
に同化したものだ。

「荘子」(31)

<静かなる人>
「聖人の静なることは善なりというが故に
静なるにはあらざるなり。万物の以て心を
みだすに足る者なきが故に静なり。」
聖人の静けさというものは、静かなのが善い
からといって、そのために意識的に静かにす
るのではない。
万物のなかに心をさわがせるほどの物がない
から、そのためにおのずから静かなのである。

「荘子」(32)

<静かなることの利点>
「虚なれば則ち実、実なれば備わる。
虚なれば則ち静、静なれば則ち動、
動なれば則ち得。
静なれば則ち無為、無為なれば則ち事
に任ずる者に責めあり。
無為なれば則ち愉愉(ゆゆ)、愉愉なれば
憂患も処(お)ること能わず、年寿も長し。」
無心でいると静かであり、
静かであるとよく動くことができる、
よく動ければ万事がうまくゆく。
静かであれば作為がなく、作為なければ
任にあたった人は責任を全うする。
作為がなければ心が楽しく、
心楽しければ心配事も入る余地がなく
寿命も長くなる。

「荘子」(33)

<文字や言葉が伝えられること>
「目で見て見えるものは物の形と色であり、
耳で聞いて聞こえるのは物の呼び名と音声
である。
世間の人々は、物の形と色、呼び名や音声
で事物の実情がわかる、と思っている。」
「本当に知っている人はそれを言葉で説明
しようとはしないし、説明する人は実は何も
知ってはいない。」

言葉というものは、真実を伝えることができない、
ということが解っていないと、言葉というもの
を本当に使うことはできない。
古典は、実によくできた言葉の取扱説明書である。

「荘子」(34)

<形だけを真似ても根本を知らなければダメ>

美人の西施(せいし)が胸を病んで眉をしかめて
いたところを村の醜女がそれを見て美しいと思い、
家に帰るとそれを真似た。
それがあまりに醜いので、村の金持ちは門を閉じ
て外に出なくなり、貧乏人は村から逃げ出してし
まった。

「荘子」(35)

<恬淡寂寞、虚無無為>
「恬淡寂漠(てんたんせきばく)、虚無無為(きょむ
むい)は、これ天地の平にして道徳の質なり。ゆえ
に、聖人はここに休(いこ)う。休えば則ち平易な
り。平易なれば則ち恬淡なり。平易恬淡なれば則ち
憂患も入るあたわずと。ゆえにその徳全くして神欠
けず。」

落ち着いた安らかさで、ひっそりした深みにいて心
をカラッぽにして作為をしない、というのは道と徳
の実質である。だから聖人はその境地に休(いこ)
うのだ。心おだやかで落ち着いていると心配事も入
る余地がなく、霊妙な精神にも欠点がない。

「荘子」(36)

<川の流れのように>
聖人とは、福のために先頭をきることがなく、
禍いの張本人となることがなく、物に感じて
はじめてそれに応え、外から迫られてはじめ
て動く。
思慮分別をせず、さきばしっての心配をせず
才知を外に輝やかすことをせず、誠実ではあ
るが外にはふりまわされることがない。

「荘子」(37)

<純粋の極致>
「心で憂楽の感情を動かさないのは
徳の極致であり、
道と一体になって変動しないのは
深い静けさの極致であり、
何物に対しても抵抗のないのは
心を空虚(から)にした極致であり、
外界の事物に働きかけないのは
落ち着いた安らかさの極致であり、
すべてを包み込んで矛盾することがないのは
純粋の極致である。」

「荘子」(38)

<道人は聞こえず、至徳は徳とせず、大人は己なし>
「道人(道を体得した人)は名声のあがることが
なく、至徳(最高の徳に達した人)は徳を得たお
もむきがなく、大人(偉大な人)は私心をもたない」

昔?の日本には「徳を得たおもむきのない」老人が
いた。至徳の人である。

欧米の老人には、この至徳の人は皆無である。
これが、「欧米人に禅が理解されるには少なくとも
200年はかかる」(鈴木大拙)という意味である。

「荘子」(39)

<どうして道を貴ぶのだろうか?>
「道を知る者は、必ず理に達す。
理に達する者は、必ず権(けん)に明らかなり。
権に明らかなる者は、物を以て己れを害せしめず。」

道を知るものは、必ず物事の道理に通ずる。
物事の道理に通じたものは、必ず臨機応変の
処置に明るくなる。
臨機応変の処理に明るいものは、外界の事物
のために自分を害されることがない。

「荘子」(40)

私の記憶では、芥川竜之介の書斎に掛かっていた
額には「寿陵余子」と書かれていた。

つまり、俗物は「荘子」を読んではいけない。
という警告である。俗物にとって「荘子」を
読む、ということは蚊(か)に山を背負わせる、と
いうことなのだ。

「寿陵余子」とは、人(荘子)の歩き方を真似
しているうちに、自分の歩き方を忘れて、歩け
なくなった、というお話である。

<俗物は荘子を理解しようなどと思ってはいけない>
「寿陵(じゅりょう)の余子(よし)のあゆみを
邯鄲(かんたん)に学びしを聞かざるか。まだ国
能を得ざるに、またそのもとのあゆみを失う。
ただ匍匐(ほふく)して帰るのみ。今、子も去ら
ざれば、まさに子のもとを忘れ、子の業を失なわ
んとすと。」(秋水篇第十七)

(君はあの)寿陵の町の若者が趙(ちょう)の都
の邯鄲まで出掛けていって、そこの歩き方を学ん
だという話を聞いたことはないかね。彼はその国
のやり方を会得できないうちに、そのもとの歩き
方も忘れてしまったので、四つんばいで帰るほか
はなかったという。
いま君も(荘子にひかれて)ここから離れないで
いると、(それを会得できないばかりか)君のも
とのやり方を忘れ、君の仕事もなくすることにな
るだろう。

追記:ことわざ:「邯鄲の歩」
人のまねをして成功しないことを笑う

「荘子」(41)

<俗のたのしみ>
それ天下の尊ぶところのものは、富・貴・寿・善なり。
楽しむところのものは、身の安き・厚味・美服・好色・
音声なり。
いやしむところのものは、貧・賤・夭・悪なり。
苦しむところのものは、身の安逸を得ざる、口の厚味
を得ざる、形(からだ)の美服を得ざる、目の好色を
得ざる、耳の音声を得ざることなり。

<最高の楽しさ>
世俗の人々の楽しみが本当に楽しいのか私には
わからない。だれもかれもが群れをなしてそれ
に向かうありさまは夢中でとめどがない。
だれもが楽しんでいることを私は楽しんでいな
いが、楽しまないというのでもない。
私は思うのだが、無為(作為をしない)でいて
こそ本当に楽しいのだ。
ところがこれがまた世俗の人々にはとても苦痛
なことなのだ。
だから「最高絶対のたのしさには(世間的な意味
での)楽しさはなく、最高絶対の名誉には(世間
的な意味での)名誉はない」と言われている。

「荘子」(42)

<荘子の妻が死んだ>
荘子の妻が死んだ。恵子(けいし)がおとむらいに
いくと、荘子はあぐらを組み歌を歌っていた。
恵子は、それを、ひどいとなじった。
荘子が答えていう。
「死んだばかりのときは私だって悲しみがこみ上げ
てきたが、考えてみるとそのはじまりは何もなかった
のだ。春夏秋冬の四季の巡りと同じなのだ。
妻が大きな大地の部屋で安らかに眠ろうとしている
のに、私がそれを追いかけて大声で泣き叫ぶのは、
われながら運命の道理に通じないことだと思う。
だから泣き叫ぶのをやめたんだ。」

「荘子」(43)

<髑髏と語る>
荘子が楚に旅をしたとき、髑髏(しゃれこうべ)を
見つけた。そこで尋ねかけた。
「君は、生をむさぼり理を失ってそうなったのか。
それとも亡国の戦陣に倒れたのか。それとも悪事を
はたらき父母妻子に恥辱を残すことを恥じてそうな
ったのか。それとも飢え凍える災難にあってそうな
ったのか。・・」
話終わると、その髑髏をひきよせ、それを枕にして
横になった。

「荘子」(44)

<俗人に道を説くことの危うさ>
孔子の門人、顔淵が東方の斉の国に旅立ったとき
孔子は心配した。そのわけをたずねると、
「大は小を、小は大をかねることは難しい。
顔淵は古聖の言葉を引いて、王に説くだろう。
すると王はそれを自分の内に求めようとするが、
得られない。得られないとなると疑惑がおこる。
そうすると、顔淵の命も危ない。」と。

「荘子」(45)

<出来ないことはするな>
「生の情(まこと)に達する者は、生の以て
為すなき所を務めず。
命の情(まこと)に達する者は、知のいかん
ともするなき所を務めず。
形を養うには必ずこれに先んずるに物を以て
するも、物に余りありて形の養われざる者
これあり。」
生命の真実を見極めたものは、自分の生命にとって
どうしようもないこと(寿命をのばす、など)を務
めたりしない。運命の真実を見抜いたものは、自分
の知能にとってどうしようもないことを努めたりは
しない。
肉体を養うにはまず(衣食などの)備えが必要だが、
物はあまっているのに肉体がそこなわれるというこ
とがある

「荘子」(46)

<完全なるものは自然である>
形精欠けざる、これをよく移るという。
精にして又た精、反(かえ)りて以て
天を相(たす)く。
肉体と精神が完全ならば、無私の境地に行ける。
精神をつきつめてさらに奥に入っていくと、
おのずから天地自然のはたらきを助ける状態に
入る。

「荘子」(47)

<怨みの風景>
仇討ちするものは、相手を憎んでも相手の持つ
刀まで折り砕こうとはしない。
世間を怨んでたてつくものでも、風にとばされ
てきた瓦まで怨むことはない。
(刀や瓦は無心だからである)

「荘子」(48)

<神のごとき働き>
仲尼(ちゅうじ)が山林の中を通り過ぎたとき、
せむしの男がセミをとっているのに出会ったが、
まるでものを拾いとるようであった。
そこで尋ねた、「なにか秘訣があるかい。」と。
「あるよ、5,6ヶ月修行して、丸い玉を2つ
重ねて落とさないようになれば、セミ取りの失敗
もすくなくなる。3つになると、失敗は1割、
5つ重ねて落とさないようになれば、まるでものを
拾いとるようにセミをとることができる。
その時、私は切り株のようであり、腕は枯れ木の
ように静かな状態になっているからセミに覚られる
ことはないのだ。」
孔子は振り返ると門人たちに言った。
「心を集中すれば神のような働きができるという
が、このせむし老人はまさにそれだ。」

「荘子」(49)

<賭け事の常識>
「瓦を賭けて当てごと勝負をするときにはうまく
当たるが、(値打ちのある)帯どめの金具を賭け
て当てごとをするときは心がおののき、黄金を賭
けて当てごとをするとなるとでたらめになってし
まう。当てるうまさは同じなのだが、そこに賭け
られた物を惜しむ心が出てくると、外物を重視す
ることになるからだ。
一般に外物に強くひかれている者は内面の働きは
まずいものだ。」

「荘子」(50)

<木鶏>
紀省子、王の為に闘鶏をやしなう。
王にまだか、と尋ねられる。
10日目
「まだだめです。今はむやみに威張って気力に
頼っています。」
20日目
「まだだめです。音がしたり影がさしたりすると
まだそれに向かっていきます。」
30日目
「まだだめです。まだ相手を睨みつけて気勢を
はります。」
40日目
「十分になりました。他の鶏の鳴くことがあって
も、この鶏はもうなんの反応も示しません。
離れてそれを見るとまるで木で作った鶏のようで
す。その徳(もちまえ)は完全なものになりまし
た。他の鶏でたちむかってくるようなものはなく、
背をむけて逃げてしまいます。」

補記:酒席で、安岡は「荘子」にある木鶏の話をした。
その座に横綱双葉山がいた。
昭和14年1月、欧州旅行の途上、安岡が乗った船がイン
ド洋上にあったとき、無電が鳴った。
「ワレイマダモッケイタリエズ フタバヤマ」
安岡は一目電文を見て、双葉山の連勝が阻まれたことを
知った。安芸の海に破れ、歴史的連勝記録は69で止まった。

「荘子」(51)

<水泳術>
孔子はあるとき、魚でさえおよぐことができない
ようなところで一人の男が泳いでいるのを見た。
そこで、その無類の水泳術の秘を尋ねた。
「私には特別な方法はありません。ただ慣れたと
ころから始まって本性のままに成長し運命のまま
に出来上がっているのです。
水の中では渦巻きに身をまかせて一緒に深く入り
、湧き水に身をまかせていっしょに出てくる、水
のあり方についていくだけで、自分のかってな心
を加えないのです。
私が水中をうまく泳げるのはそのためですよ。」

「荘子」(52)

<精進潔斎(しょうじんけっさい)>
魯の殿様が木細工師、慶(けい)に向かってたず
ねた。
「そなた、どんな技術でこんなすばらしいもの
が作れたのだ。」
「つくるまえに必ず、精進潔斎して心を落ち着け
ます。三日も潔斎すると、立派なものをつくって
ほうびをもらおうとか官爵や利得を得ようなどと
は思わなくなり、五日も潔斎すると、世間の評判
や出来の善し悪しも気にかからなくなり、七日も
潔斎すると、どっしり落ち着いて自分の手足や肉
体のことを忘れてしまいます。
こうなると心にはおかみの存在もなくなり、その
技巧が集中されて外から心を乱すものは消え去る
のです。」

「荘子」(53)

<快適の本質>
「足のあることを忘れていられるのは、はきもの
が足にぴったりと合っているからであり、腰のあ
ることを忘れていられるのは、結んだ帯が腰にぴ
ったりあっているからである。
それと同じで、善し悪しの判断を忘れているのは
心が対象とぴったりと合っているからである。」

「荘子」(54)

<一体私に何の罪があるのでしょうか>
孫休という人がいた。その人が言うには、自分は
身持ちもよく、臆病でもない、それなのに耕作し
ても豊作にめぐりあわず、主君につかえてもよい
時世にめぐりあわず、郷里ではつまはじき、そし
て地区からは追放といったありさまです。
一体私になんの罪があるのでしょうか。」
扁先生が答えた。
「お前は、知識を飾り、愚か者を驚かせ、我が身
を修めて他人の欠点をはっきりさせ、まるで日月
をかざして輝きすぎるのだ。五体満足であるだけ
でも感謝しろ!」

「荘子」(55)

<役に立たない、という効用>
荘子が山中を旅したとき、ある大木を見た。
樵夫(きこり)がそれを伐採しないことを
いぶかって、なぜ切らないのかと尋ねた。
きこりが答えて言うには、「どうにも使い
ようがないんだ。」と答えた。
荘子はそれを聞いて、つぶやいた。
「この木は、能なしの役立たずのために、
その天寿をまっとうすることができるのだ。」

「荘子」(56)

<有能でも無能でもその中間でもダメ>
無用の大木が天寿を全うし、無能の鵞鳥がその
無能ゆえに殺された話を受けて、弟子が荘子に
問うた。
先生は、有能と無能、どちらに身をおかれま
しょうか。
荘子はにっこりと笑って答えた。
「有能と無能の中間に身を置こうと思う。しかし
その中間というのも最善の道ではない。・・・
弟子達よ、覚えておくがよい。才能があるとか
ないとか、どちらにしてもそこに安らかな境地
はない。ただ「道徳の郷(さと)ー真実の道と
その徳(はたらき)が生きている世界ー」だけが
あるのさ。

「荘子」(57)

<無心ということ>
舟で川を渡っているとき、空舟がやって来てこちらの
舟に接触したとしますと、どんな怒りっぽい人でもあ
きらめて腹を立てることはないでしょう。
ところが一人でも舟の上に乗っていたとなると、声を
はりあげるものです。
・・・
人の世渡りも、己を虚しくして無心の境地で過ごすな
ら、だれもそれを害することはできないものです。

「荘子」(58)

<狙うものあり、狙われるものあり>
荘周はあるとき、鵲(かささぎ)に似た鳥を見た。
そしてそれを射止めようとして、ふと見ると、その
鳥は、カマキリを狙っている。そしてそのカマキリ
は木陰で休んでいるセミを狙っている。
荘周はぞっとして「物はすべてたがいに害しあうも
のだ。そして利と害とはたがいによびあうのだ。」
というと、弓を捨てて逃げ出した。

「荘子」(59)

<うぬぼれは美しくない>
旅館の主人には二人の妾(めかけ)がいた。
一人は美人で、もう一人は醜女であったが、
醜女の方が大切にされて、美人の方はそまつ
にされていた。
その理由をたずねると、旅館の主人が答えた。
「美人の方は自分で美人だと鼻にかけています
から、私には美しいとは思えません。
醜い方は自分で醜いと謙遜していますから、私
には醜いとは思えません。」

「荘子」(60)

<石川五右衛門の極意>
列御寇(れつぎょこう)が伯昏無人(はくこんむじん)の
ために弓を射てみせた。その妙技は比類がなかった。
しかし、伯昏無人はそれを見て、言った。
「これは弓を射ることを意識した射であって、弓を射るこ
とを意識しない無心の射ではない。」と。
伯昏無人は列御寇を連れて百仭もの深い淵を見下ろす突き
立った岩の上に案内して、弓を射てみよ、と促した。
列御寇は岩の上に冷や汗びっしょりではいつくばり、射る
ことは出来なかった。
伯昏無人はいった、「そもそも至人(最高の人)というも
のは、上は青々した大空をうかがい、下は地底の黄泉にも
ぐりこみ、四方八方、果ての果てまで自由にかけめぐって、
それで心になんの動揺もないものだ。」

「荘子」(61)

<礼なる者は道の華にして乱の首(はじめ)なり>
真実の道が失われてから徳が生まれ、
徳が失われてから仁が生まれ、
仁が失われてから義が生まれ、
義が失われてから礼が生まれた。
礼とは道のうわべを飾るあだ花で、
乱れごとの起こるはじまりである。
だから道の修行をするものは毎日毎日
人間的なわざとらしさを除いていく。
除いては除き、そうして無為の境地に
ゆきつく。
道を失いてしかる後に徳あり、
徳を失いてしかる後に仁あり、
仁を失いてしかる後に義あり、
義を失いてしかる後に礼あり、
礼なる者は道の華にして乱の首(はじめ)なりと、
故にいわく、
道をおさむる者は日々に損す。
これを損し又たこれを損し、以て無為に至る。

「荘子」(62)

<八十歳でも仕事をこなす秘訣>
大司馬(だいしば)の役所で鉾(ほこ)を鍛え打つ
ものの中に、八十歳にもなりながら、ほんの毛先ほ
どの狂いも起こさない老人がいた。
大司馬が「そなた、すぐれた腕まえだな。なにか秘
訣があるのか。」とたずねると、「私には秘訣があ
ります。私は二十歳の年から鉾(ほこ)を鍛えるこ
とが好きでしたから、それ以来、他のものに一切目
もくれず、ただ鉾(ほこ)だけを注視しているので
す。」と答えた。

「荘子」(63)

<賢人知人、利をむさぼるは浅し>
「賢を挙ぐればすなわち民相い軋(きし)り、
知に任ずればすなわち民相い盗む。」

賢人を用いるということになれば、民衆はこ
ざかしくなって、たがいに争い、知者にまか
せるということになれば、民衆は悪知恵をは
たらかせて互いに盗みあう。

「斉知(せいち)の知る所は則ち浅し。」

一般的な世間の知恵でわかることは、底の浅い
ものだ。

「荘子」(64)

<衛生の経(生命をやすらかに守る方法)>
「衛生の経、よく一を抱かんか、
よく失うなからんか、・・・」

衛生の経とは、純粋な一つのものを内に守って
いくことだよ。
それを失わないようにすることだよ。
占いにたよらないで、自分で判断して、自分な
りの居場所で静かに落ち着いていることだよ。
自分なりの働きでやめておくことだよ。他人に
求めたりしないで、自分で内省していくことだ
よ。こだわりなく自由にふるまうことだよ。
気づかいをやめてまっすぐに暮らしていくこと
だよ。
平生の暮らしにもことさらな仕事をしようとは
思わず、周囲の物事に従ってその動きのままに
身をまかせていく、これこそが衛生の経(生命
を安らかに守っていく方法)だよ。

「荘子」(65)

<人の発するオーラについて>
「宇(う)の泰(おお)らかに定まる者は、
天光を発す>

胸中が泰然と安定している者は内からの自然な
光を放っている。自然な光を放っている者には、
人はその自分をありのままにあらわし、物はそ
の物をありのままにあらわす。
人には修養ということがあって、そこで一定不
変の徳ができる。一定不変の徳がある者には、
人も慕って集まり、天もそれを助ける。
人に慕われるものを天民といい、天に助けられ
るものを天子という。

「荘子」(66)

<最高の知識とは>
「学ぶ者は、その学ぶあたわざる所を学ぶ。行う者
は、その行うあたわざる所を行う。・・・
知はその知るあたわざる所に止まれば、至れり。
もしこれにつかざる者あれば、天鈞(てんきん)
これを敗(やぶ)らん。」

学ぶということは本来学ぶことが出来ないことを
学んでいるのである。行うということは本来行う
ことの出来ないことを行っているのである。・・・
知識については知ることの出来ないところでその
まま止まっているのが、最高の知識である。
もし、さらに追求すれば自然の平衡(バランス)を
こわすだろう。

補記:哲学者ヴィットゲンシュタインの格言
「語り得る事柄については雄弁に語れ、
語り得ない事柄については沈黙せよ」

「荘子」(67)

<無心へ至るために捨てるべき24項目>
金持ちになること
栄達すること
威厳のつくこと
名誉のあがること
利益のあること

容貌
動作
表情
ことばづかい
息づかい
情意

憎悪すること
愛欲すること
喜ぶこと
怒ること
悲しむこと
楽しむこと

離れ去ること
つき従うこと
与えること
取ること
知恵
能力
「荘子」(68)

<最高の境地>
もともと物などはないと考える立場である。
至高であり完全であって、それ以上のことは
ない。
その次ぎの境地は、物があるとは考えるが、
生きていることを自然なありかたの喪失だと
みなし、死ぬことを無に帰ることだとみなす
のである。
その次ぎの境地は、このようにいう、
「無から始まってここに生があり、生が突如と
して死になる。つまり無を頭とし、生を体(からだ)
とし、死を尻(しり)とするのだ。

有と無、死と生が、一つの道でつらぬかれて
いることをわきまえた者が、だれかいるだろうか。
自分はそういう人と友達になりたい。」

「荘子」(69)

<聖人の道(やむを得ざるもの)>
そもそも自分で反復内省して恥じるところが
なければ、人の世のことも忘れられる。
人の世のことが忘れられたなら、そこからやがて
天人(自然のままの人)になれるだろう。
そこで、人から尊敬されても別に喜ばず、軽蔑さ
れても別に怒らないというのは、ただ自然の調和
と一致したものだけがそうできるのだ。
・・・
平静になりたいと思えば精気を整え、霊妙な力を
得たいと思えば心をすなおにすることだ。
そして、なにかを行うことになって、それがいつも
適切でありたいと思うなら、あの「やむを得ざるも
の」(どうしてもそうしなければならないといった
必然)のままに従っていくことだ。
どうしてもそうしなければならないという必然の
道こそ、聖人の道である。

「荘子」(70)

<天下の名馬>
徐無鬼(じょむき)、猟犬の見分け方を語る。
下等の性質は、満腹になると獲物を捕りません。
中等の性質は、大きな獲物を狙いますが、身近
な獲物には目もくれません。
高等の性質は、まるで我が身の存在を忘れたかの
ような有様です。それでこそどんな獲物も逃しま
せん。

徐無鬼、「天下の名馬」について語る。
天下の名馬とは、もの悲しげで何かが抜け落ちたよ
うで、まるで我が身の存在を忘れ去ったかのよう
です。このような馬でこそ、群れを引き放し土煙
を振り切って、目にもとまらぬ速さで疾走できる
のです。

「荘子」(71)

<自然の道理は停滞することを望まない>
目のよく通るのを明(めい)といい、
耳のよく通るのを聡(そう)といい、
鼻がよく香りに通ずるのを羶(せん)といい、
口がよく味に通ずるのを甘(かん)といい、
心がよくものごとに通ずるのを知(ち)とよび、
知のはたらきがよく通るのを徳という。

すべて自然の道理は停滞することを望まない。
停滞するとふさがり、ふさがってそのままで
いると調子が狂い、調子が狂うといろいろの
害が起こることになる。

「荘子」(72)

<健康法・無関心>
静座をして沈黙でいるのは、病気をなおす
効果がある。目じりを指圧するのは、老化
を防止するのに役立つ。安静でいるのは、
心悸(しんき)の昂進をしずめるのによい。

しかしそうはいっても、こうした療法は、
俗事にふりまわされて疲れた者が行うことで、
自然のままに安らかに楽しんでいる者に
とっては、何の関心もないことである。

「荘子」(73)

<絶妙の境地>
われ子(し)の言を聞きしより、
一年にして野(や)、
二年にして従い、
三年にして通じ、
四年にして物たり、
五年にして来(き)たり、
六年にして鬼入る、
七年にして天成(な)り、
八年にして死を知らず生を知らず。
九年にして大妙なり。

私は先生の教えを承ってから
一年たつと素朴になり、
二年たつと周囲に逆らわないで従順になり、
三年たつと周囲のものと通じあうようになり、
四年たつと対象の事物になりきるようになり、
五年たつとすべてのものが自分に集まってくるようになり、
六年たつと鬼神が心に宿るようになり、
七年たつとあるがままの自然性が完成し、
八年たつと生死の区別も忘れ、
九年めには絶妙の境地に達しました。

「荘子」(74)

<デクノボウと呼ばれたい>
陽子居(ようしきょ)が己の欠点を老子にたずねる。

「お前は目を怒らして威張りちらかしている。
そんなことで、お前はだれといっしょに暮らすのだ。
本当に純白なものは薄汚れているように見え、
本当に充実した徳は足りないところがあるかのように
見えるものだ。」
陽子居は、それですっかり変わった。

彼(陽子居)がここにくる道中では、宿屋の泊り客が
送り迎えをし、宿屋の主人は敷物を手にとり、おかみは
手ぬぐいと櫛をそろえ、泊り客は座席を遠慮してゆずり、
暖炉にあたる人も火のそばをゆずるというありさまで
あったが、ここからの帰りの道中では、泊り客が彼を
おしのけて座席をとるようになった。

「荘子」(75)

<列子先生と妻との喧嘩>
列子先生は貧乏のどん底にいた。食客の一人が宰相に
進言した。列子先生のような道をそなえた人物を貧乏
にさせておいては、人材を愛しないという悪い評判が
たちます、と。
そこで、列子先生に贈り物を届けた。しかし、先生は
受け取らなかった。
使者が帰った後、妻はそれに文句を言った。
「私は、有道者の妻子ともなれば、みな安楽な生活が
送れると聞いていました。ところがいま飢えに苦しん
でいるのです。殿さまはわざわざ使者をよこされてあ
なたに食料を贈られましたが、あなたはお受けになり
ません。貧乏ぐらしの運命というものでしょうね。」
列子先生は笑って彼女に話しかけた、「殿は自分でこ
のわしを認めたのではない。他人のことばに従ってわ
しに穀物を贈ったのだ。
してみると、わしを罪におとす場合にも、また他人の
言いなりになることだろう。わしが穀物を受け取らな
かったのは、そのためだ。」

「荘子」(76)

<貧乏と疲弊>
孔子の門人、原憲(げんけん)は魯国に住んでいた。
一丈四方の貧しい部屋で正座して琴を弾いて歌う生活
をしていた。

そこへ門人仲間の子貢(しこう)が訪ねた。
子貢は狭い露地には入れない大きな車に乗って、紺色
の内衣のうえに白絹を重ねるという豪奢な服装(みなり)
で、やってきた。
原憲は雨が漏る崩れかけた家で引き裂けたぼろ冠にしり
きれクツという恰好で子貢を迎えた。

原憲を見て子貢は言った。
「ああ、先輩はひどく疲れておいでだ。」
原憲は応える。
「私の聞くところでは、財産のないのを貧乏といい、
学びながらそれを実践できないでいるのを疲弊(ひへい)
というのだ。今、私のは貧乏であって、疲弊ではありま
せんよ。」
子貢は恥ずかしそうな顔をみせた。

「荘子」(77)

<道を致す者は心を忘るー無心>
孔子の門人、曾子(そうし)は衛国に住んでいた。
着ている綿入れは表布がすりきれ、顔はむくみただれ、
手足はまめやたこができ、三日も続けて火を使った
食事をせず、十年ものあいだ着物の新調はしなかった。
冠をかぶりなおすとそのあご紐が切れ、襟をひきあわ
せると着物が破れ、肘があらわれ、履き物をはくとそ
のかかとが引き裂けた。
しかしそんなありさまでも、悠々と商頌(しょうしょう)
の詩を歌うと、その声は天地いっぱいにひろがり、まるで
金石の楽器を奏でているかのようであった。
天子でさえ意のままに彼を臣下とすることはできず、諸侯
でさえ意のままに彼を友とすることができない。

「荘子」(78)

<足(たる)を知るー竜安寺のつくばい>
孔子が顔回(がんかい)に何故、貧しいのに仕官
をしないのか、と話しかけた。
顔回は仕官したくない理由を語った。それを聞いて
孔子は言った。
「私の聞くところでは、満足することを知る者は
外界の利益にひかれて自分で心をわずらわせる
ようなことがなく、悠々自適の境地をわきまえた
者は、何かを失ってもびくともせず、内面の修行
がゆきとどいた者は、地位がなくても恥じること
がないという。
私はこの言葉を長いあいだ口ずさんできたが、今
回(顔回)によって初めてその実例をみたよ。」

「荘子」(79)

<金持ちになる方法>

この世の中は、恥知らずなものが金持ちになり、
よくしゃべるものが有名になっている。
名声や利益を得るのに最もよいものといえば、
ほとんど恥知らずと雄弁だろうね。

恥なき者は富み、言多き者は顕(あら)わる。
かの名利の大なる者は、幾(ほと)んど恥なく
して言うに在り。

「荘子」(80)

<勝てば官軍>
こそ泥はつかまるが、大泥棒は国を盗んで
諸侯となり、その諸侯の一門にこそ仁義の
道徳が集まる。
むかし、斉(せい)の桓公小白は兄を殺して
その兄よめをわがものにしたが、そんな無道
なものに管仲が臣下になった。
また斉の田成子常(でんせいしじょう)は主君
を殺して国を奪い取ったが、そんな無道なもの
から孔子が贈り物を受け取った。
議論としてはそれを賤しみながら、実際の行動
ではそれにへり下っているわけで、つまりは口
さきの弁論と実際の行動とのありかたがぶつかって、
心の中で戦っているのだ。
なんとまちがったことではないか。だから、も
のの本にも「どちらが悪く、どちらが良いのか、
善悪の規準はない。成功したものが頭になり、
失敗したものがしっぽになるだけだ。」

「荘子」(81)

<君子に成ることなかれ>
利益を追う小人にはなるなよ、根本にたちかえって
君の天性に身をささげよ。
名を求める君子にはなるなよ、天理の自然に従って
ゆけ。あるときは曲りあるときは真っ直ぐに、君の
内なる自然の法則を注視しなさい。四方を広く見渡
して、時のうつろいにまかせてとらわれなく変化せ
よ。あるときは是としあるときは非とし、(自由自
在)君の内なる円い心を守れ。超然として君の志を
立て、根源の道とともに逍遙(散歩)しなさい。
君の行動を固定するなよ、君の道義を立てるなよ、
そんなことをすれば君の本来なすべきことを見失う
だろう。
君の富を追うなよ、君の成功に身を捧げるなよ、そ
んなことをすれば君の天性を棄てることになるだろう。

小人と為ることなかれ、返ってなんじの天に殉
(したが)え。君子と為ることなかれ、天の理
に従え。もしくは枉(おう)、もしくは直、な
んじの天極をみよ。四方を面観し、時と消息せ
よ。もしくは是、もしくは非、なんじの円機を
執(と)れ。独りなんじの意を成して、道と徘
徊せよ。なんじの行をもっぱらにするなく、な
んじの義を成すなかれ。まさになんじの為す所
を失わんとす。なんじの富に赴くなく、なんじ
の成に殉ずるなかれ。まさになんじの天を棄て
んとすと。

「荘子」(82)

<名声・富の六つの害>
無足(むそく)は知和(ちわ)に問う。
名声や富を求めないのはおかしくはないか、と。
知和が応える。
「ほどのよい調和を得ているのが幸福なことで、
余分ができるのは害だというのは、何事もでも
そのとおりだが、しかし、財物については特に
それがはなはだしい。
いま金持ち連中をみると、耳は太鼓や笛の音色に
乱され、口は美酒美食に満ち足りて自分の仕事を
忘れている。
乱れているといっていいだろう。

あぶらぎった血気に溺れ、重い荷物を背負って
坂道を上っていく有様は、
苦しいといっていいだろう。

財物をむさぼっては心配ごとにぶつかり、権力を
むさぼっては身をすりへらし、じっとしていると
きはふさぎこみ、動き出したとなるとはしゃぎま
わる。
病んでいるといっていいだろう。

富を求めて利益を追っているから、財物が満ちあ
ふれてまわりをとりまくほどになっても身をひこ
うともせず、さらに張り切って止まることがない。
恥ずかしいことといっていいだろう。

財物が集まってもそれを活用せず、ひたすらに守
りながらむさぼりつづけ、心はすっかりくたびれて
いるのになお増やそうとしてやめない。
悲しいことといっていいだろう。

家の中では強盗に侵入されないかとおびえ、外で
は盗賊に襲われないかと恐れ、家のまわりは望楼
でかため、外出には一人では出かけない。
畏(おそ)れているといっていいだろう。

「荘子」(83)

<人間の八つの欠点>
自分の仕事でもないのにそれを自分の仕事にする。
これを何でも屋という。

ふりかえりもされないのにむりに進言する。
これを口達者という。

相手の心をうかがいながらそれに迎合した話かた
をする、これを諂(へつら)いという。

正しいかどうかにおかまいなく調子を合わせて話
しこむ、これをおもねりという。

すぐに他人の悪事をいいたてる、これを悪口という。

人の交際をひきさき親しい仲をひき離す、これを
賊害(そこない)という。

誉めあげたうえでだまして人をおとしいれる、これ
を邪悪(よこしま)という。

善いか悪いかにおかまいなく、両方とも気に入った
ように受け入れながら、自分の望むことだけを抜き
とって利用する、これを陰険(いんけん)という。

「荘子」(84)

<仕事の四つの心配事>
なにかにつけて大きな仕事に手をつけ、普通の
きまったやり方を変更して、それで功名をあげ
ようとねらっている、これを強(ごう)つくば
りという。

考えることも勝手なら仕事もかって、それで他
人を侵害して自分の利益をはかる、これを
貪欲(どんよく)という。

過失がわかっても改めようとせず、人に諫(い
さ)められるといっそうひどいことをする、
これを臍(へそ)まがりという。

自分に同調する人をよしと認めるが、同調しな
いとたとい良い意見でもよいと認めない、これ
を一人よがりという。

「荘子」(85)

<真実とはなにか>
孔子が老人にたずねた、「真実とはどういうこと
なのでしょうか」
老人が答えた。

「真実というのは、純粋誠実の極みだよ。純粋、誠実
でなければ、他人を感動させることはできない。
だから、むりに泣きさけぶ者は、つらそうではあって
も悲しみは伝わらず、無理に怒る者は、きびしくは
あっても威力がなく、無理に親しむ者は、にこにこし
ていてもなごやかではない。
真実の泣きさけびは、声をたてなくても悲しみが伝わ
り、真実の怒りはきびしくはなくても威力があり、
真実の親しみはにこにこしなくてもなごやかなものだ。
真実が内にたくわえられていると、微妙な心のはたらき
が外にあらわれてくる、真実が貴重なのはそのためだよ。

「荘子」(86)

<道を知るは易く、言うなきは難し>
荘子いわく、道を知るは易く、言うなきは難し。
知りて言わざるは、天にゆく所以(ゆえん)なり。
知りてこれを言うは、人にゆく所以なり。
古(いにし)えの人は、天にして人ならず。

荘子がいった。
真実の道を知ることはやさしいが、それを表現しな
いでいることがむずかしい。
わかっていながら言わないのは自然の道理である。
わかったことを表現するのは世俗の道である。
昔のひとは俗(ぞく)ではなかった。

「荘子」(87)

<無駄(むだ)>
朱泙漫(しゅひょうまん)は竜を殺す技術を
支離益(しりえき)に学び、千金の家産を使
い果たしてしまった。
三年後、技術を習得したが、竜などいなかった
のでその技術を生かせなかった。

「荘子」(88)

<聖人は必を以て必とせず>
聖人は必(ひつ)を以て必とせず、故に兵なし。
衆人は必ならざるを以てこれを必とす、故に兵
多し。
兵に順う、故に行きて求むるあり。兵はこれを
たのめば則ち亡ぶ。

聖人は必然的なことでも必然とはしない。
だから戦いがない。
衆人は必然的なことでもないのに必然と考える。
だから常に戦うことになる。
戦いは進むほどに欲がでる。
その欲をとげようと思うと、破滅する。

「荘子」(89)

<故郷に錦を飾った者への言葉>
宋国に曹商(そうしょう)という人物がいた。
かっては貧しい暮らしをしていた彼が、百台も
の車を従えて帰郷し、荘子に自慢した。
荘子は答えた。

「秦王がわずらって医者を呼んだとき、はれものを
破ってしこりをつぶした者は車一台をもらったし、
痔(じ)をなめた者は車五台をもらったそうだ。
なおす所が下等なほど、車がたくさんもらえる。
君も痔をなめてあげたのかい?」

「荘子」(90)

<人物観察九つの証明>
その人物を自分から離れた所で使ってみて、
忠実かどうかを観察し、身近い所で使って
みて、礼儀正しいかを観察し、めんどうな
仕事をやらせてその能力を観察し、不意に
問いかけてその知能を観察し、急に約束を
かわしてみて信用度を観察し、財物をまかせ
てみて恵み深さを観察し、危急の事態を知ら
せてみてその節操を観察し、酒で酔わせて
みて道をはずれないかを観察し、男女の中
において、色好みかを観察すれば、
その人となりのおおよそはつかめるものだ。

「荘子」(91)

<最も悪い徳とは>
人間をダメにする最大のことは、自分の徳を徳と
して意識する心をもつことである。

悪い徳には五つあるがその中で最も悪いのが心の中
の徳である。
心の中の徳というのは、自分のことをよしとする考
えで、自分と同じようにしない人を非難するもので
ある。

賊は、徳に心ありて心に眼あるより大なるはなし。

凶徳に五あり、中徳を首となす。
何をか中徳という。
中徳なる者は自ら好しとするあり。
しかしてその為さざる所の者をそしるなり。

「荘子」(92)

<人が必ず困窮する八つの原因>
美貌で立派な髭(ひげ)があり、長身で体格が
大きく、強壮で華麗、勇気があって果敢。
この八つのことがすべて人並みよりすぐれてい
ると、それをたのんでそのために困窮すること
になる。

「荘子」(93)

<人が必ず栄達する三つの原因>
自分を棄てて周囲のなりゆきに身をゆだね、
調子をあわせて人に従い、恐れかしこまって
いるという人なみに及ばないありさまは、
栄達をもたらす。

「荘子」(94)

<人が刑罰におちいる六つの原因>
もの知りで聡明なのはしばしば罪とがを受け、
勇みはだで活動的なのはよく人の怨みを買い、
仁と義とをふりまわすとたびたび人に責められる。

生命の実相に通達したものは偉大であるが、知恵
だけをきわめたものは小さい。
大きな運命を見きわめたものはすなおに従ってい
くが、小さい運命だけに通じたものはつまづく
ものだ。

「荘子」(95)

<執着心>
執着心を持たなければ、万物はそのありのままの姿を
あらわす。
執着心のない人の行動は水の流れのように自然であり、
動かないときは、鏡面のように澄み、
動くときは、打てば響くがごとく素直である。

己(おの)れに在(あ)りて居(お)ることなければ、
形物(けいぶつ)自(お)のずから著(あら)わる。
その動くや水のごとく、
その静かなるや鏡のごとく、
その応ずるや響きのごとし。

「荘子」(96)

<虚・深・単純>
人、みな先を争うが、私は後がよい。
人、みな実を取りたがるが、私は空っぽがよい。
空っぽだからこそ余裕が生まれる。
人、みな真っ直ぐに幸福を求めるが、
私は、曲がりくねった我が道をゆく。
私は奥深く、シンプルなものを根本としている。
「かたいものは砕けやすく、鋭いものはつぶれやすい」
常に寛容を心がけ、他人をおびやかさない。
それが一番だ。

人は皆、先を取るも、己は独り後を取る。
人は皆、実を取るも、己は独り虚を取る。
蔵するなきなり、故にあまりあり。
人は皆福を求むるも、己は独り曲にして全(まった)し。
深を以て根本となし、約を以て紀となす。
いわく、堅(かた)ければすなわちこぼたれ、
鋭(するど)ければすなわち挫(くじ)かる、と。
常にものに寛(ひろ)くして、人に削(せま)らず。
至極というべし。

「荘子」(97)完

<荘子の臨終>
荘子の臨終を迎えて弟子たちは手厚く葬りたいと
思っていたが、荘子が言う。
「私は天と地との間のこの空間を棺桶とし、太陽
と月とを一対の大玉とみなし、群星をさまざまな
珠玉と考え、万物を葬送の贈り物と見立てている。
私の葬式の道具は、もう十分に整っているのに、
どうしてさらにつけ加える必要がありますか。」

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五輪書

五輪書< 地・水・火・風・空>
宮本武蔵1584-1645
musashi miyamoto

「五輪書」(1)

<宮本武蔵による五巻解説>

<地の巻>
兵法の道の大躰、我一流の見立、剣術一通に
しては、まことの道を得難し、大いなる所より
ちいさき所を知り、浅きより深きに至る、直なる
道の地形を引ならすによって、初を地の巻と名付也。

<水の巻>
水を本として心を水になる也、水は方円のうつわも
のに随ひ、一てきと也、滄海(そうかい)となる、
水に碧潭の色あり、きよき所をもちひて、一流の
ことを此巻に書き顕す也、
剣術一通の理、さだかに見分け、一人の敵に自由に
勝つ時は、世界の人に皆勝つ所なり、
人に勝つと云う心は千万の敵にも同意なり、
将たるものの兵法、ちいさきを大きになす事、
尺のかたをもって大仏を立つるに同じ、かようの義
こまやかには書きがたし、一をもって万を知る事
兵法の利なり、一流の事此の水の巻に書きしるす也、

<火の巻>
このまきに戦ひの事を書きしるす也、けやけき心なる
によって、合戦の事を書也、合戦の道、一人と一人と
の戦ひも、万と万との戦いも同じなり、心を大きなる
事になし、心をちいさくなして、よく吟味してみるべし
、大きなる所は見えやすし、ちいさき所は見えがたし、
その子細大人数の事は即座にもとをりがたし、
一人の事は心一つにてかわる事はやきによって、日々
に手馴れ、常のごとくおもひ、心のかはらぬ所兵法の
肝要なり、しかるによって、戦勝負の所を火の巻に
書き顕す也、

<風の巻>
此の巻を風の巻としるす事、我一流の事にはあらず、
世の中の兵法、その流々の事を書のする所也、
風と云うにおいては、むかしの風、今の風、その家々
の風などとあれば、世間の兵法、その流々のしわざを、
さだかに書き顕す、これ風なり、他の事をよく知ずし
ては、自のわきまへ成がたし、道々事々をおこなふに、
外道という心あり、日々にその道を勤ると云とも、
心のそむけば、その身はよき道とおもふとも、直なる
所よりみれば、実の道にはあらず、実の道を極めざれば
、すこし心のゆがみに付て、後には大きにゆがむもの
なり、吟味すべし、他の兵法、剣術ばかりと世に思ふ
事もっとも也、我兵法の利わざにおいても、格別の義也、
世間の兵法をしらしめんために、風の巻として、他流の
事を書き顕す也、

<空の巻>
空と云出すよりしては、何をか奥と云、何をか口と
いはん、道理を得ては道理をはなれ、兵法の道におのれ
自由ありて、おのれと奇特を得、時にあいては拍子を
知り、おのづから打、おのづからあたる、是みな空の
道也、おのれと実の道に入事を、空の巻にして書き
とどむるもの也、

「五輪書」(2)

< 地の巻>
我が兵法を学ばんと思う人は、
道をおこなう法あり、

第一によこしまになき事をおもう所、
第二に道の鍛錬する所、
第三に諸芸にさわる所、
第四に諸職に道を知る事、
第五に物毎の損徳をわきまえる事、
第六に諸事目利きを仕覚る事、
第七に目に見えぬをさとってしる事、
第八にわずかな事にも気をつける事、
第九に役にたたぬ事をせざる事、

いづれの道においても、人に負けざる
所を知りて、身をたすけ、名を助ける所、
これ兵法の道なり、

「五輪書」(3)

< 水の巻>
この書に書き付けたるところ、
ことごと、一字一字にて思案すべし、

兵法心持ちの事、兵法の道において、
心の持ちようは、常の心にかわる事なかれ、
常にも、兵法の時にも、少しもかわらずして、
心を広く直にして、きつくひっぱらず、
少しもたるまず、心のかたよらぬように、
心を真ん中におきて、心を静かにゆるがせて、
そのゆるぎの刹那も、ゆるぎやまぬように、
よくよく吟味すべし、
静かなる時も心は静かならず、何とはやき時も
心は少しも早からず、心は体につれず、体は
心につれず、心に用心して、身には用心をせず、
心のたらぬ事なくして、心を少しもあまらせず、
上の心は弱くとも、底の心を強く、心を人に
見分けられざるようにして、少身なるものは、
心に大きなる事を残らず知り、大身なるものは、
心に小さき事をよく知りて、大身も少身も、
心を直にして、我が身の贔屓(ひいき)をせざる
ように心をもつ事肝要なり、
心の内濁らず、広くして、広きところへ知恵を
置くべき也、

「五輪書」(4)

< 水の巻>(2)
「兵法の目付ということ」
観見二つの事、
観の目つよく、見の目よわく、
遠き所を近く見、近きところを遠く見る事。

「構え」
いづれの構えなりとも、構ゆると思わず、
切る事なりと思うべし。

「太刀の早さ」
太刀は振りよきほどに静かに振る心なり。

「鍛錬」
千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす、
「五輪書」(5)

<水の巻>

<たけくらべと云う事>
たけくらべと云は、いづれにても敵へ入込時、
我が身の縮まざるやうにして、足をも伸べ、
腰をも伸べ、首をも伸べて、強く入り、
敵の顔と顔を並べ、身の丈を比ぶるに、比べ勝つ
と思ふほど、たけ高くなって、強く入る所
肝心なり、よくよく工夫あるべし、

「五輪書」(6)

<火の巻>

<剣を踏むという事>

踏むと云うは、足には限るべからず、身にても
踏み、心にても踏み、勿論太刀にても踏みつけて、
二つ目を敵によくさせざるように心得べし、
これ物毎の先の心なり、

「五輪書」(7)

<火の巻>

<四手(よつで)を離すと云う事>

四手を離すとは、敵も我も同じ心に、
張り合う心になっては、戦のはかゆかざる
ものなり、張り合う心になると思はず、
そのまま心を捨てて、別の利にて勝つ事を
知るなり、
「五輪書」(8)完

<火の巻>

<角に触るという事>

角に触ると云うは、物毎強き物を押すに、
そのまま直ぐには押し込み難きものなり、
大分の兵法にしても、敵の人数を見てはり出、
強き所の角にあたりてその利を得べし、

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武士道

武士道
新渡戸稲造1862-1933
inazo nitobe

「武士道」(1)

<誕生>
「「あなたのお国の学校には宗教教育はない、と
おっしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が
質問した。「ありません」と私が答えるや否や、
彼は打ち驚いて突然歩を停め、「宗教なし!
どうして道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し
言ったその声を私は容易に忘れえない。」

以上の出来事が私(新渡戸)に「武士道」を書かせた。

「その内容は主として、私が少年時代、封建制度の
なお盛んであった時に教えられ語られたことである。」

本書の目的
1 武士道の起源および淵源
2 その特性および教訓
3 その民衆に及ぼしたる感化
4 その感化の継続性、永久性

「武士道」(2)

<武士道の淵源>
「ある剣道の達人(柳生但馬守)がその門弟に業
(わざ)の極意を教え終わった時、これに告げて
言った、「これ以上の事は余の指南の及ぶところ
ではなく、禅の教えに譲らねばならない」と。
・・・
この教え(禅)は一宗派の教義以上のものであって、
何人にても絶対の洞察に達したる者は、現世の事象
を脱俗して「新しき天と新しき地」とに覚醒するの
である。」

「武士道」(3)

<義>
「武士にとりて卑劣なる行動、曲りたる振る舞いほ
ど忌むべきものはない。」

<謙信、信玄に塩を送る>
「謙信、書を寄せて曰く、聞く北条氏、公を困
(くるし)むるに塩をもってすと、これ極めて卑劣
なる行為なり、我の公と争うところは、弓矢にあり
て米塩にあらず、今より以後塩を我が国に取れ、
多寡(たか)ただ命(めい)のままなり、と。」

「武士道」(4)

<惻隠(そくいん)の情>
出典:「無惻隠之心、非人也(孟子)」
いたわしく思うこと、あわれみ「惻隠の情」

「「武士の情(なさけ)」という言は、直ちに我が
国民の高貴なる情感に訴えた。

「弱者、劣者、敗者に対する仁は、特に武士に適
(ふさ)わしき徳として賞讃せられた。」

「武士道」(5)

<敬天愛人>
「道は天地自然のものにして、人はこれを
行なうものなれば、天を敬するを目的とす。
天は人も我も同一に愛したもう故、我を愛する
心をもって人を愛するなり。
人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして己れを尽し人を咎めず、
我が誠の足らざるを尋ぬべし」(西郷隆盛)

「武士道」(6)

<忠と孝>
「忠ならんと欲すれば孝ならず、
孝ならんと欲すれば忠ならず」
(「日本外史」(頼山陽)において
父の反逆行為に関する平重盛、苦闘
の言葉)

シェイクスピアにも、「旧約聖書」に
すらも、我が国民の親に対する尊敬を
現わす概念たる「孝」に当る適切なる
訳語は含まれていない。

忠と孝の衝突において、武士道は忠を
選ぶに決して逡巡しなかった。
婦人もまたその子を励まして、君のため
にすべてを犠牲にせしめた。

「武士道」(7)

<武士道は貧困を誇る>
「武士の教育において守るべき第一の点は
品性を建つるにあり、思慮、知識、弁論等
知的才能は重んぜられなかった。」

「武士道は非経済的である。それは貧困を
誇る。・・・
武士の徳たる名誉心は、利益を得て汚名を
被るよりもむしろ損失を選ぶ。
ドン・キホーテは黄金および領地よりも彼の
錆びたる槍、骨と皮ばかりの馬に、より多く
の誇りを抱いた、しかして武士はこのラ・マ
ンチャの誇大なる同僚に対し衷心の同情を払
う。」

諺(ことわざ)に曰く、「就中(なかんずく)
金銀の欲を思うべからず、富めるは智に害あり」
と。

「武士道」(8)

<汚職が少なかった武家社会>
武士道においては、理財の道は一貫して
卑(ひく)きものとされた。
多くの藩において、財政は、小身の武士もし
くは御坊主によってなされた。
かくのごとく金銭と金銭欲とを努めて無視
することによって、武士道は金銭に基づく
凡百の弊害から久しく自由であることを得た。
「これは我が国の公使が久しく腐敗から自由
であった事実を説明する十分なる理由である。」

「武士道」(9)

<日本人の笑顔>
「武士が感情を面に現わすは男らしくないと
考えられた。・・・
最も自然的なる愛情も抑制せられた。父が子を
抱くは彼の威厳を傷つくることであり、夫は
妻に接吻しなかった。
・・・
我が国民の歴史と日常生活とは、プルタークの
最も感動すべきページにも善く匹敵しうる英雄的
婦人の実例に充ちている。
・・・
日本人の友人をばその最も深き苦しみの時に訪問
せよ、彼は赤き眼濡れたる頬にも笑いを浮かべて
常に変わらず君を迎えるであろう。」

「武士道」(10)

<切腹>
「・・前なる短刀を確(し)かと取り上げ、嬉しげ
にさも愛着するばかりにこれを眺め、暫時最後の
観念を集中するよと見えたが、やがて左の腹を深く
刺して徐(しず)かに右に引き廻し、また元に返して
少しく切り上げた。
この凄まじくも痛ましき動作の間、彼は顔の筋一つ
動かさなかった。彼は短刀を引き抜き、前にかがみて
首を差し伸べた。苦痛の表情が始めて彼の顔をよぎった
が、少しも音声に現れない。
この時まで側に蹲りて彼の一挙一動を身じろぎもせず
うち守っていた介錯は、やおら立ち上がり、一瞬太刀
を空に振り上げた。秋水一閃、物凄き音、どうとたお
るる響き、一撃の下に首体たちまちその所を異(こと)
にした。」
(滝善三郎の切腹「神戸の外国人襲撃のとがによる」
ミットフォード「旧日本の物語」より)

「武士道」(11)

<切腹(2)>
左近、内記という二人の兄弟、兄は二十四歳、弟は
十七歳であったが、父の仇を報ずるために家康暗殺を
企てたが失敗、捕らえられた。
家康はその勇気を愛でて、末弟八麿、八歳を加え、三人
の兄弟に名誉の死(切腹)を与えた。

「彼らが皆並んで最後の座に着いた時、左近は末弟に
向いて、「八麿よりまず腹切れよ、切損じなきよう見届け
くれんぞ」と言った。稚(おさな)きは答えて、ついぞ
切腹を見たることなければ、兄のなさん様を見て己れも
これに倣わんと言えば、兄は涙ながらに微笑み、「いみ
じくも申したり、健気(けなげ)の稚児(ちご)や、汝
父の子たるに恥じず」とて、二人の間に八麿を座らせ、
左近は左の腹に刀を突き立てて「弟これを見よや、会得
せしか、あまりに深く掻(か)くな、仰向けに倒れるぞ、
俯伏(うつふ)して膝をくずすな」。
内記も同じく腹掻き切りながら弟に言った、「目を刮
(かつ)と開けや、さらずば死顔の女にまごうべきぞ。
切尖(きっさき)淀むとも、また力撓(たわ)むとも、
さらに勇気を鼓して引き廻せや」。
八麿は兄のなす様を見、両人の共に息絶ゆるや、静かに
肌を脱ぎて、左右より教えられしごとく物の見事に腹切
り了(おわ)った」。

「武士道」(12)

<自己犠牲>
「一人の青年が一人の乙女を恋い、乙女も同じ熱愛を
もって彼の愛に報いたが、青年が彼女に心惹かれて義務
を忘るるを見て、乙女は自己の魅力を失わしむるため
己が美貌に傷つけたるごとき事の起りしも稀でない。」

「女子がその夫、家庭ならびに家族のために身を棄つる
は、男子が主君と国とのために身を棄つると同様に、
喜んでかつ立派になされた。」

「私(新渡戸)の明らかにせんと欲する点は、武士道
の全教訓は自己犠牲の精神によって完全に浸潤せられ
ており、それは女子についてのみでなく男子について
も要求せられた、ということである。」

「武士道」(13)

<武士の妻は不幸だったか?>
「婦人が最も少なく自由を享有したのは武士の間に
おいてであった。奇態なことには社会階級が下になる
ほど、例えば職人の間においては、夫婦の地位は平等
であった。
身分高き貴族の間においてもまた、両性間の差異は
著しくなかった。」

「もし私(新渡戸)の言が武士道の下における婦人の
地位に関し甚だ低き評価を人にいだかしめたとすれば、
私は歴史的真理に対し大なる不正を冒すものである。
私は女子が男子と同等に待遇せられなかったと述べるに
躊躇しない。しかしながら吾人が差異と不平等との区別
を学ばざる限り、この問題についての誤解を常にまぬか
れないであろう。」

「武士道」(14)

<愚妻>
「夫もしくは妻が他人に対しその半身のことを、
善き半身か悪き半身かは別として、愛らしいとか、
聡明だとか、親切だとか何だかと言うのは、我が
国民の耳にはきわめて不合理に響く。
自分自身のことを「聡明な私」とか、「私の愛らしい
性質」などと言うのは、善い趣味であろうか。
我々は自分の妻を賞(ほ)めるのは自分自身の一部を
賞めるのだと考える、しかして我が国民の間では自己
賞讃は少なくとも悪趣味だとみなされている。」
「武士道」(15)

<武士道の感化>
「仲間の間にただ一人の賢者があればよい、しからば
全てが賢くなる。それほど伝染は速やかである」
とエマスンは言う。

過去の日本は武士の賜(たまもの)である。
彼らは国民の花たるのみでなく、またその根であった。
あらゆる天の善き賜物は彼らを通して流れでた。

民衆娯楽(芝居、寄席、講釈、浄瑠璃・・)の主題は
武士の物語であった。

武士は全民族の善き理想となった。
「花は桜木、人は武士」と歌われた。
知的ならびに道徳的日本は直接間接に武士道の所産で
あった。

宗教なるものが、マシュー・アーノルドの定義したる
ごとく「情緒によって感動されたる道徳」だとすれば、
武士道に勝りて宗教の列に加わるべき資格ある倫理大
系は稀である。
「武士道」(16)

<桜>
「桜はその国産たることが、吾人の愛好を要求する
唯一の理由ではない。その美の高雅優麗が我が国民
の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶと
ころではない。
バラに対するヨーロッパ人の賛美を、我々は分つこと
をえない。
バラは単純さを欠いている。さらにまた、バラが甘美
の下に刺(トゲ)を隠せること、その生命に執着するこ
と強靱にして、時ならず散らんよりもむしろ枝上に朽つる
を選び、あたかも死を嫌い恐るるがごとくであること、
その華美なる色彩、濃厚なる香気、すべてこれらは桜と
著しく異なる性質である。
我が桜花はその美の下に刃をも毒をも潜めず、自然の召し
のままに何時なりとも生を棄て、その色は華麗ならず、
その香りは淡くして人を飽かしめない。

敷島の大和心を人問はば
朝日に匂ふ山桜花

(本居宣長)
「武士道」(17)

<吉田松陰>
「新日本の最も輝かしき先駆者の一人たる吉田松陰が
刑に就くの前夜詠じたる次の歌は、日本民族の偽らざる
告白であった。

かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂 」

日本が他の東洋専制国と異なる唯一の点は、
「従来人類の案出したる名誉の掟の中最も厳格なる、
最も高き、最も正確なるものが、その国民の間に支
配的勢力を有すること」にある。
(ヘンリー・ノーマン)

「武士道」(18)完

<男らしくない>
ある学校で一教授に対する不満を理由にして学生ス
トライキがおこったが、校長の出した一文でストラ
イキは解散した。

その一文とは、

「諸君の教授は価値ある人物であるか。
もししからば、諸君は彼を尊敬して学校に留むべき
である。彼は弱き人物であるか。
もししからば、倒るる者を突くは男らしくない」

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茶の本

茶の本
岡倉天心(覚三)1863-1913
tenshin okakura

「茶の本」1906年(1)

<人道を語り老荘と禅那とを説く書物>
「茶の会に関する種々の閑談やら感想やらを媒介として
人道を語り老荘と禅那とを説き、ひいては芸術の鑑賞に
も及んだもので、バターの国土の民をして、紅茶の煙の
かなたに風呂釜の煮えの別天地のあることを、一通り合
点行かせる書物としては、おそらくこれを極致とすべき
かと、あえて自分は考える・・」
(岡倉由三郎(天心の弟))

「茶の本」(2)

<俗中の美を崇拝すること>
「茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを
崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と
調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々
(じゅんじゅん)と教えるものである。」

<不完全なものを崇拝すること>
「茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。
いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か
可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。」
「茶の本」(3)

<野蛮国に甘んじよう>
「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、
野蛮国とみなしていたものである。しかるに満州の
戦場に大々的殺戮(さつりく)を行い始めてから文明国
と呼んでいる。・・・・
もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争
の名誉によらなければならないとするならば、むしろ
いつまでも野蛮国に甘んじよう。
われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき
尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」
「茶の本」(4)

<落ち着いてしかし充分に笑うけだかい奥義>
「チャールズ・ラムは、「ひそかに善を行なって
偶然にこれが現れることが何よりの愉快である。」と
いうところに茶道の真髄を伝えている。
というわけは、茶道は美を見いださんがために美を
隠す術であり、現わすことをはばかるようなものを
ほのめかす術である。
この道はおのれに向かって、落ち着いてしかし充分に
笑うけだかい奥義である。
従ってヒューマーそのものであり、悟りの微笑である。」

「茶の本」(5)

<茶の湯の源流>
「仏教徒の間では、道教の教義を多く交じえた南方の
禅宗が苦心丹精の茶の儀式を組み立てた。
僧らは菩提達磨の像の前に集まって、ただ一個の碗から
聖餐(せいさん)のようにすこぶる儀式張って茶を飲む
のであった。
この禅の儀式こそはついに発達して十五世紀における
日本の茶の湯となった。」

「茶の本」(6)

<茶道は道教の仮りの姿であった>
「茶の湯は、茶、花卉(かき)、絵画等を主題に
仕組まれた即興劇であった。
茶室の調子を破る一点の色もなく、物のリズムを
そこなうそよとの音もなく、調和を乱す一指の動き
もなく、四囲の統一を破る一言も発せず、すべての
行動を単純に自然に行なう、こういうのがすなわち
茶の湯の目的であった。
・・・
茶道は道教の仮りの姿であった。」

「茶の本」(7)

<聖人はよく世とともに推移す>
「易経は老子の思想の先駆をなしている。
・・・
道教を解せんとするには多少儒教の心得がいる。
この逆も同じである。
道教でいう絶対は相対である。
・・・
定義は常に制限である。「一定」「不変」は単に
成長停止を表わす言葉に過ぎない。
屈原いわく、
「聖人はよく世とともに推移す。」」
「茶の本」(8)

<虚>
「個人を考えるために全体を考えることを忘れては
ならない。この事を老子は「虚」という得意の隠喩
で説明している。
・・・
たとえば室の本質は、屋根と壁に囲まれた空虚なとこ
ろに見いだすことができるのであって、屋根や壁その
ものにはない。
・・・
おのれを虚にして他を自由に入らすことのできる人は、
すべての立場を自由に行動することができるようになる
であろう。
全体は常に部分を支配することができるのである。」
「茶の本」(9)

<大傑作>
「芸術においても・・・

何物かを表わさずにおくところに、見る者はその
考えを完成する機会を与えられる。
かようにして大傑作は人の心を強くひきつけてついに
は人が実際にその作品の一部分となるように思われる。
虚は美的感情の極致までも入って満たせとばかりに
人を待っている。」

「茶の本」(10)

注:以下の文章は「茶の本」にはありません。

<禅の始祖、迦葉とは?>

摩訶迦葉 (まかかしょう)
釈迦の死後その教団を統率した。

<拈華微笑(ねんげみしょう)>
あるとき釈迦は霊山に弟子たちを集めて説教をした。
そのとき釈迦はハスの花を手にして、それをひねっ
て弟子たちに示した。弟子たちは、その意味を図り
かねてみんな黙ってたが、たった一人迦葉尊者だけ
は、釈迦の意味するところを悟り、にっこり微笑した。

「わたし(釈迦)には正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、
微妙法門、がある。
これを不立文字、教外別伝で、迦葉、お前に託そう」
釈迦は迦葉に以心伝心で仏教の真理を伝えた。

ハスの花を捻ってそして迦葉が微笑んだというところ
から「拈華微笑(ねんげみしょう)」という言葉が、
以心伝心の象徴となった。

<正法眼蔵>
「わたしには正法蔵でない、もうひとつの蔵がある。
経典を納めた立派な蔵以外のもうひとつの蔵、それ
が正法眼蔵だ。これを言葉の教え以外に伝えておか
ないと、のちの世になって必ず誤解する者が出てく
るから、正法眼蔵を伝えておかなければならない。
摩訶迦葉よ、そなたはそれをつかんだのであろう。
だから、正法眼蔵をそなたに授けよう。」

「茶の本」(11)

<茶室>
「(茶室)数寄屋の原義は「好き家」である。
・・・
それは詩趣を宿すための仮の住み家であるからに
は「好き家」である。
さしあたって、ある美的必要を満たすためにおく
物のほかは、いっさいの装飾を欠くからには「空(す)
き家」である。
それは「不完全崇拝」にささげられ、故意に何かを
仕上げずにおいて、想像の働きにこれを完成させる
からには「数奇家」である。
茶道の理想は十六世紀以来わが建築術に非常な影響
を及ぼしたので、今日、日本の普通の家屋の内部は
その装飾の配合は極端に簡素なため、外国人には
ほとんど没趣味なものに見える。」

「茶室は見たところなんの印象も与えない。それは
日本のいちばん狭い家よりも狭い。それにその建築に
用いられている材料は、清貧を思わせるよういできて
いる。
しかしこれはすべて深遠な芸術的思慮の結果であって、
細部に至るまで、立派な宮殿寺院を建てるに費やす
以上の周到な注意をもって細工が施されているという
ことを忘れてはならない。」

「正統の茶室の広さは四畳半で維摩(ゆいま)の経文
の一節によって定められている。」

「茶の本」(12)

<床の間>
「禅院の仏壇は、床の間ー絵や花を置いて客を
教化する日本間の上座ーの原型であった。」

禅院の会堂は、中央の壁の凹所、仏壇の後ろに禅宗の
開祖菩提達磨の像か、または祖師迦葉と阿難陀をし
たがえた釈迦牟尼の像以外は何の飾りもない。
茶の湯の基をなしたものは、菩提達磨の像の前で
同じ碗から次々に茶を飲むという禅僧たちの始めた
儀式であった。
「茶の本」(13)

<露地作りの極意>

見渡せば花ももみじもなかりけり
浦のとまやの秋の夕暮れ

<茶室に入る>
「まず床の間の絵または生花に敬意を表する。
主人は、客が皆着席して部屋が静まりきり、茶釜
にたぎる湯の音を除いては、何一つ静けさを破る
ものもないようになって、始めてはいってくる。
茶釜は美しい音をたてて鳴る。
特殊のメロディーを出すように茶釜の底に鉄片が
並べてあるから。
これを聞けば、雲に包まれた滝の響きか岩に砕くる
遠海の音か竹林を払う雨風か、それともどこか遠き
丘の上の松籟(しょうらい)かとも思われる。
・・・
客はみずからも注意して目立たぬ着物を選んでいる。
古めかしい和らかさがすべての物に行き渡っている。
ただ清浄無垢な白い新しい茶筅と麻ふきんが著しい
対比をなしているのを除いては、新しく得られたらしい
物はすべて厳禁せられている。
茶室や茶道具がいかに色あせて見えてもすべての物
が全く清潔である。
部屋の最も暗いすみにさえ塵(ちり)一本も見られない。
もしあるようならばその主人は茶人とはいわれないの
である。
茶人に第一必要な条件の一は掃き、ふき清め、洗う
ことに関する知識である、払い清めるには術を要する
から。

「茶の本」(14)

<屋内の装飾法>
「人はいろいろな音楽を同時に聞くことはできぬ、
美しいものの真の理解はただある中心点に注意を
集中することによってのみできるのであるから。
・・・
茶室の装飾法は、現今西洋に行われている装飾法、
すなわち屋内がしばしば博物館に変わっているよう
な装飾法とは趣を異にしていることがわかるだろう。
装飾の単純、装飾法のしばしば変化するのになれて
いる日本人の目には、絵画、彫刻、骨董品のおびただ
しい陳列で永久的に満たされている西洋の屋内は、
単に俗な富を誇示しているに過ぎない感を与える。」
「茶の本」(15)

<床の間の真ん中に花瓶を置いてはいけない>
「真の美はただ「不完全」を心の中に完成する人に
よってのみ見いだされる。
・・・
意匠の均等は想像の清新を全く破壊するものと考え
られていた。
・・・
室の装飾に用いる種々な物は色彩意匠の重複しない
ように選ばなければならぬ。生花があれば草木の絵は
許されぬ。丸い釜を用いれば水差しは角張っていなけ
ればならぬ。
黒釉薬の茶碗は黒塗りの茶入れとともに用いてはならぬ。
香炉や花瓶を床の間にすえるにも、その場所を二等分し
てはならないから、ちょうどその真ん中に置かぬよう
注意せねばならぬ。
少しでも室内の単調の気味を破るために、床の間の
柱は他の柱とは異なった材木を用いねばならぬ。」
「茶の本」(16)

<美術鑑賞法>
「美術家は通信を伝える道を心得ていなければ
ならないように、鑑賞者は通信を受けるに適当な
態度を養わなければならない。
宗匠小堀遠州は、みずから大名でありながら、
次のような忘れがたい言葉を残している。
「偉大な絵画に接するには、王侯に接するごとく
せよ。」
・・・
宋のある有名な批評家が、非常におもしろい自白
をしている。
「若いころには、おのが好む絵を描く名人を称揚し
たが、鑑賞力の熟するに従って、おのが好みに適する
ように、名人たちが選んだ絵を好むおのれを称した。」
現今、名人の気分を骨を折って研究する者が実に
少ないのは、誠に嘆かわしいことである。」
「茶の本」(17)

<傑作は親しみあり>
「傑作はすべて、いかにも親しみあり、肝胆相照らし
ているではないか。
これにひきかえ、現代の平凡な作品はいかにも冷ややか
なものではないか。
前者においては、作者の心のあたたかい流露を感じ、
後者においては、ただ形式的の会釈を感ずるのみである。」
「茶の本」(18)

<すきま>
「日本の古い俚諺に「見えはる男には惚れられぬ。」
というのがある。そのわけは、そういう男の心には、
愛を注いで満たすべきすきまがないからである。
芸術においてもこれと等しく、虚栄は芸術家公衆いづれ
においても同情心を害することははなはだしいもの
である。」
「茶の本」(19)完

<簡素を愛する日本人は親切である>
(幸福な人間は親切である。
田辺聖子「どんぐりのリボン」)

「(茶)の宗匠たちはただの芸術家以上のもの
すなわち芸術そのものとなろうと努めた。
それは審美主義の禅であった。」

「いわゆる光琳派はすべて、茶道の表現である。」

「茶の宗匠が芸術界に及ぼした影響は偉大なもの
ではあったが、彼らが処世上に及ぼした影響の大なる
に比すれば、ほとんど取るに足らないものである。
・・・
彼らは、人間は生来簡素を愛するものであると強調
して、人情の美しさを示してくれた。
実際、彼らの教えによって茶は国民の生活の中に
はいったのである。」

「美を友として世を送った人のみが麗しい往生を
することができる。」

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老子

老子 BC500頃
roushi

「老子」(1)

<ものが見えるということ>
万物の実相を見極めるためには、常に無欲で
なければならない。
欲望にとらわれていると、現象しかみること
ができない。

「老子」(2)

<上善は水の如し-最も理想的な生き方>
最も理想的な生き方は、水のようなものである。
水は万物に恩恵を与えながら相手に逆らわず、
人のいやがる低い所へと流れていく。
だから「道」のありように似ているのである。

上善は水の如し。
水は善く万物を利して争わず、
衆人の悪む所に居る。
故に道に幾(ちか)し。

「老子」(3)

<「道」を体得した人物とは>
氷の張った河を渡るように、慎重である。
四方の敵に備えるように、用心深い。
客として招かれたように、端然としている。
氷が解けていくように、こだわりがない。
手を加えぬ原木のように、飾り気がない。
濁った水のように、包容力に富む。
大自然の谷のように、広々としている。
汚濁しているようであるがいつのまにか澄み、
静止しているようではあるが豊かな生命力を
宿している。
「道」を体得した人物は、完全であることを
願わない。
だから、ほころびが出てもつくろわないのである。

「老子」(4)

<意識される、という未熟>
最も理想的な指導者は、部下から存在すること
さえ意識されない。
部下から敬愛される指導者は、それよりも一段劣る。
これよりさらに劣るのは、部下から恐れられる指導者。
最低なのは、部下から馬鹿にされる指導者。

「老子」(5)

<少得多惑>
所有するものが少なければ得るものが多く、
所有するものが多ければたちまち迷いが
生ずる。

少なれば則ち得、多なれば則ち惑う。

付記:元の名宰相耶律楚材(やりつそざい)の言葉
「一利を興すは一害を除くにしかず。
 一事を生ずるは一事を省くにしかず」

「老子」(6)

<吉事は左を上(タット)び、喪事は右を上ぶ>
ふつう吉事では左側を上位とし、凶事では右側を
上位とする。
軍隊では、副将軍が左側に立ち、大将軍は右側に
立つ。
つまり、軍隊は凶事の作法にならっているのだ。

「老子」(7)

<明は智に優る>
人を知る者は、智なり。
自ら知る者は、明なり。
人に勝つ者は、力あり。
自ら勝つ者は、強し。
足ることを知る者は、富めり。
強いて行う者は、志あり。

付記:「智を去りて明あり」(韓非子)

「老子」(8)

<女性の本当の強さとは>
縮めようとするならば、まず伸ばしてやる。
弱めようとするならば、まず強くしてやる。
追い出そうとするならば、まず味方に引き入れる。
取ろうとするならば、まず与えてやる。

これを微明という。
柔弱は強に勝つ。

「老子」(9)

<貴きは賤しきを以て本となす>
貴(たっと)いものは、賤しいものがあるからこそ
貴いのである。高いものは、低いものがあるからこ
そ高いのである。
ほめられてばかりいるのは、つまずきのもと。
だから、玉のように美しく、石のように堅い、そん
な生き方は願い下げにしたい。

付記:「君子は下流に居ることを悪(にく)む。
    天下の悪、皆ここに帰す」(論語)

「老子」(10)

<初心を忘れず>
たえず根源に立ち返ること、
これが「道」の運動である。
いつも柔弱であること、
これが「道」の機能である。

反は道の動なり。
弱は道の用なり。

付記:「風姿花伝」(世阿弥)より
 
当流に万能一徳の一句あり
初心忘るべからず
是非の初心忘るべからず
時々の初心忘るべからず
老後の初心忘るべからず
命に終わりあり、能には果てあるべからず
 
「老子」(11)

<大器晩成>
明道は暗きがごとし
進道は退くがごとし
広徳は足らざるがごとし
大器は晩成す

明るい道は暗くみえる
前進している道は後退している
ようにみえる
広大な徳は欠けているように
みえる
大きい器は完成するのが遅い

「老子」(12)

<弱礼賛>

「強梁ナル者ハソノ死ヲ得ズ」

力に頼る者はろくな死に方はできない

「天下ノ至柔ハ、天下ノ至堅ヲ馳騁(ちてい)ス」

この上なく柔らかいものは、
このうえなく堅いものを、意のままに
動かすことができる

「老子」(13)

<子孫に美田を残さず>>

後漢時代、疎広という人物がいた。
皇太子の学問指導を行い、皇太子の学問が
進歩したのを見届けて辞任届けを出した。
「吾聞く、足るを知れば辱められず、止まる
知れば殆からず、功遂げ身退くは天の道なり、と。
今、官に仕えて二千石に至り、宦成り名立つ。
かくの如くして去らざれば、おそらくは後悔
あらん」
郷里に帰り、朝廷から賜った金品を惜しげもなく
散じた。

「子孫に余分な財産など残してやるのは、怠惰を
教えるようなもの。賢にして財多ければその志を
損ない、愚にして財多ければ、その過ちを益(増)す。
それでなくても、富める者は人の怨みを買いやすい。
わしは子孫が過ちをかさねたり怨みを買ったりする
ことを願わないのだ。」

付記:「大西郷全集」七言絶句「偶成」より(西郷隆盛)

我が家の遺法、人知るや否や、児孫のために美田を買はず。
吾家遺法人知否  不爲兒孫買美田

「老子」(14)

<大成は欠けるが如し、大巧は拙なるが如し>
本当に完成しているものは、どこか欠けている
ように見える。だが、その働きは尽きることが
ない。
本当に充実しているものは、どこかうつろに見
える。だがその働きは窮まることがない。
本当に巧妙なものは、稚拙にみえる。
本当に雄弁は訥弁と変わりがない。
本当に豊かなものはどこか不足しているように
見える。

付記:鈴木大拙の「大拙」
   「大巧は拙なるが如し」

「老子」(15)

<経験と知識>
外にでなくても、天下の動静を知ることができる。
窓を開けなくても、天体の理法を知ることができる。
遠くに出かければ出かけるほど、いよいよ知識はあ
やふやになる。

付記:カントは生涯、故郷のケーニヒスベルクから一
   歩も出なかったといわれています。

・カントの墓碑銘
「それを考えることしばしばにして、かつ長ければ
 長いほど、常に新たに増し来る感嘆と畏敬の念を
 もって心をみたすものが二つある。わが上なる星
 きらめく天空とわが内なる道徳法則、これである。」

「老子」(16)

<よくある話>
寿命を全うするものは、山野を旅してもあえて
猛獣を避けようとはしない。
戦場に出てもあえて武具をまとおうともしない。
それでいて、サイも角を突き立てようがなく、
虎も爪の立てようがない。
また、刀槍も傷を負わせようがない。
なぜなら、そういう人には死の入り込む余地が
全くないからである。

付記:水を自らすすんでかぶれば健康になるが、
   いやいやかぶれば風邪をひく
「老子」(17)

<無欲・明知・柔弱>
欲望を抑えれば、生涯疲れない。
欲望のままに行動すれば、生涯救われない。
微細な事象を察知することを明といい、
柔弱な態度を堅持することを強という。

明に立ち返れば、いかなる危険も避けること
ができる。

小ヲ見ルヲ明トイイ、
柔ヲ守ルヲ強トイウ。

「老子」(18)完

<理想的な人物とは>
親しんでいいのか疎(うと)んじていいのか、
利益を与えていいのか損害をかけていいのか、
尊敬していいのか軽蔑していいのか、
とんと見当もつかない。
こういう人物こそ、
もっとも理想的なのである。

付記:
老子は「道」を体得した状態を「玄同」
と呼ぶ。
玄同なる人物は、おのれの才能や知識を
包みかくして世俗と同調する。
誘惑に負けず、圧力に屈せず、確固として
自然体である。
人々からほめられることもないし、
けなされることもない。
そうした人物が老子の理想とする人物である。

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論語

論語
孔子bc552-479
kohshi

「論語」(1)

<三省>
曾子(そうし)の曰(い)わく、
われ日に三(み)たび吾が身を省(かえりみ)る。
人の為めに謀(はか)りて忠ならざるか、
朋友と交わりて信ならざるか、
習わざるを伝うるか。

曾子が言った。
私は、日に三回反省する。
人に真心で接したか、
友に対して誠実であったか、
受け売りを、教えなかったか。

「論語」(2)

<学問を愛するとは>
子のたまわく、君子は食飽かんことを求むること無く、
居安からんことを求むること無し。
事に敏(びん)にして言に慎しみ、
有道(ゆうどう)に就きて正す。
学を好むというべきのみ。

孔子が言った。
君子は満腹を求めない。
安楽な家に住もうと思わない。
仕事に励み、言葉を慎み、
正しい人の言うことで自分を正すならば、
本当の学問好きといえる。

「論語」(3)

<君子の交わり>
子のたまわく、
君子は周(しゅう)して比せず、
小人は比して周せず。
孔子が言った。
君子は広く親しんで一部の人におもねる
ことはないが、
小人は一部でおもねって、広く親しまない。

「論語」(4)

<勇気について>
子のたまわく、
その鬼(き)に非ずしてこれを祭るは、
諂(へつら)いなり。
義を見てせざるは、勇なきなり。
孔子が言った。
祭るべきものでないものを祭るのは
へつらいである。
行うべきことを前にして行わないのは
臆病(おくびょう)ものである。

「論語」(5)

<礼について>
林放(りんぽう)、礼の本(もと)を問う。
子のたまわく、大なるかな問うこと。
礼はその奢(おご)らんよりは寧(むし)ろ
倹(けん)せよ。
喪(も)はその易(おさ)めんよりは寧ろ戚(いた)め。
林放が礼の根本についてたずねた。
孔子が答えた。大きな問題だ。
礼は質素にして、弔(とむら)いは
万事ととのえるよりは、いたみ悲しむことだ。

「論語」(6)

<粗衣粗食>
子のたまわく、
士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、
未だ与(とも)に議(はか)るに足らず。

孔子が言った。
道を志す人で粗衣粗食を恥じるものは
ともに語るに足りない。

<利益を求め過ぎるな>
子のたまわく、
利に放(よ)りて行えば、怨み多し。

孔子が言った。
利益ばかり求めていると、
怨(うら)まれることが多い。

「論語」(7)

<正義と利益>
子のたまわく、
君子は義に喩(さと)り、
小人は利に喩る。
孔子が言った。
君子は正義に明るく、
小人は利益に明るい。
<慎ましい人は失敗少なし>
子のたまわく、
約を以てこれを失する者は、鮮(すく)なし。
孔子が言った。
慎ましくしていて失敗する
ような人は少ない。

「論語」(8)

<昔のことに縛られるな>
子のたまわく、
伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)、
旧悪を念(おも)わず。
怨み是(ここ)を用(もっ)て希(まれ)なり。
孔子が言った。
伯夷・叔斉は、昔の悪事をいつまでも
とがめることはなかったので、
怨まれることも少なかった。

「論語」(9)

—楽>好>知—
子のたまわく、
これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。
孔子が言った。
知っているのは、好むことに及ばない。
好むことは、楽しむことに及ばない。

「論語」(10)

<知者は楽しみ、仁者は長生き>
子のたまわく、
知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。
知者は動き、仁者は静かなり。
知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。
<くつろいだ孔子>
子の燕居(えんきょ)、申申如(しんしんじょ)たり、
夭夭如(ようようじょ)たり。

孔子のくつろいでいる様子は、
のびやかで、にこやかである。

「論語」(11)

<孔子の教え>
子、四つを以て教う。
文、行、忠、信。

孔子が教えてくれた四つのこと。
読書・実践・誠実・信義。

<頑固と尊大>
子のたまわく、
奢(おご)れば則ち不遜、倹なれば則ち固(いや)し。
其の不遜ならんよりは寧ろ固なれ。

孔子が言った。
人は、贅沢すれば尊大になり、倹約すると頑固になる。
私は頑固のほうが尊大よりはましだと思う。

「論語」(12)

<君子と小人>
子のたまわく、
君子は坦(たいら)かに蕩蕩(とうとう)たり。
小人は長(とこしな)えに戚戚(せきせき)たり。

孔子が言った。
君子は平安でのびのびしているが、
小人はいつでもくよくよしている。

「論語」(13)

<孔子の四絶>
子、四を絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし。

孔子は四つのことを絶った。
勝手な心をもたない。
無理をしない。
執着しない。
我をはらない。

<器用貧乏>
吾れ少(わか)くして賤(いや)し。
故に鄙事(ひじ)に多能なり。
君子、多ならんや。多ならざるなり。

私は若いとき、貧乏だったから、
いろんなことを出来るようになった。
君子は多能であるべきか。いやそうは思わない。

「論語」(14)

<知者は惑わず>
子のたまわく、知者は惑(まど)わず、
仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。

<仁の要点とは>
顔淵、仁を問う。
子のたまわく、礼に非ざれば視ることなかれ、
礼に非ざれば聴くことなかれ、
礼に非ざれば言うことなかれ、
礼に非ざれば動くことなかれ。

顔淵が孔子に仁の要点を質問した。
孔子が答えた。
礼に外れたことは見ない、聴かない、言わない、しない
ことだ。

「論語」(15)

<聡明とはなにか>
子張、明を問う。
子のたまわく、
浸潤(しんじゅん)の誹(そし)り、膚受(ふじゅ)
のうったえ、行われざる、明と謂うべきのみ。

子張が孔子に聡明とは何かと質問した。
孔子が答えた。
人を動かすような悪口や訴えに動じないならば
聡明といってよいだろう。

「論語」(16)

「論語」に「愛」という文字が出てきたのには、驚い
た。
何故なら、日本で「愛」という言葉が使われるように
なったのは、明治時代になって、キリスト教の影響に
よってだと思っていたからだ。
論語は明治以前から読まれていたのにどうして「愛」
は広まらなかったのだろうか?

<仁・知について>顔淵第十二、六巻二十一
はん遅(ち)、仁を問う。
子のたまわく、人を愛す。知を問う。
子のたまわく、人を知る。

ハンチが孔子に仁とは何かと質問した。
孔子が答えた。
人を愛することだ。
知とはなにか。人を知ることだ。

「論語」(17)

<つきあいたい相手>
子のたまわく、中行(ちゅうこう)を得てこれに
与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。
狂者は進みて取り、狷者は為さざるところあり。

孔子が言った。
中庸(ちゅうよう)の人とつきあえないならば、
狂人か狷人とつきあいたいものだ。
狂人には、進取の精神があり、狷人には節義があって
しないことを残しているからだ。

注:狷:ひきこみがちで慎重な

「論語」(18)

<政治の要点>
子路(しろ)、政(せい)を問う。
子のたまわく、
これに先きんじ、これを労す。益を請う。
曰わく、倦(う)むことなかれ。

子路が孔子に政治とは何かと質問した。
孔子が答えた。
率先すること、ねぎらうことだ。
そして、怠ることがないようにしなければいけない。

「論語」(19)

誰でも、いい上司の下で働きたいと思っている
のだろうが、果たして凡人にとっての良い上司
とは?

<人事担当者の憂鬱>
子のたまわく、君子は事(つか)えやすくして
説(よろこ)ばしがたし。これを説ばしむるに
道を以てせざれば、説ばざるなり。
その人を使うに及びては、これを器(うつわ)にす。
小人は事(つか)えがたくして、説ばしめやすし。
これを説ばしむるに道を以てせずといえども、説ぶ
なり。その人を使うに及びては、備(そな)わらんこ
とを求む。

孔子が言った。
君子には仕えやすいが喜ばせるのは難しい。
道にあわなければ喜ばないし、人も適材適所に使う
からだ。
小人には、仕えにくいが、喜ばせるのは簡単だ。
道に反していてもかまわないし、人の使い方も
適正を見ることなく何でもさせるからだ。

「論語」(20)

<弱いものほどよく吠える>
子のたまわく、
君子は泰(ゆたか)にして驕(おご)らず、
小人は驕りて泰(ゆたか)ならず。

孔子が言った。
君子は落ち着いていばらないが、小人は
いばって、落ち着きがない。

<公務員に告ぐ>
子のたまわく、
士にして居を懐(おも)うは、以て士と為すに
足らず。

孔子が言った。
安住を求めているようでは士人とはいえない。

「論語」(21)

<君子は下賤な仕事には向かない>
子のたまわく、
君子は上達(じょうたつ)す。
小人は下達(かたつ)す。

孔子が言った。
君子は高尚なことに通ずるが、
小人は下賤なことに通ずる。

<困窮の風景>
子のたまわく、君子固(もと)より窮す。
小人窮すればここに濫(みだ)る。

孔子が言った。
君子だって困窮する。しかし小人が困窮する
と破滅する。

「論語」(22)

<唯我独尊>
子のたまわく、
君子は矜(きょう)にして争わず、
群して党せず。

孔子が言った。
君子はプライドがあるが争わない。
大勢といても、自由である。

<過ちはあやまちにあらず>
子のたまわく、
過(あやま)ちて改めざる、
これを過ちという。

孔子が言った。
過ちをしても改めないことを過ちというのだ。

「論語」(23)

<君子は貧乏には無頓着>
子のたまわく、
君子は道を憂えて貧しきを憂えず。

孔子が言った。
君子は道のことを心配するが、貧乏には
無頓着である。

<教育とは>
子のたまわく、
教えありて類なし。

孔子が言った。
誰でも教育によって良くなる。

「論語」(24)

<仕事の向き不向き>
子のたまわく、
君子は小知すべからずして、大受すべし。
小人は大受すべからずして、小知すべし。

孔子が言った。
君子は小さな仕事はむかない。
小人は大きな仕事はむかない。

「論語」(25)

<よい友、わるい友>
子のたまわく、
益者三友、損者三友。
直きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞を
友とするは、益なり。便辟(べんぺき)を友と
し、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とす
るは、損なり。

孔子が言った。
よい友達、正直な人、誠実な人、もの知りな人。
悪い友達、体裁ぶった人、へつらう人、口だけ達者な人。

「論語」(26)

<君子の三戒>
子のたまわく、
君子に三戒あり。少(わか)き時は血気未だ定まらず、
これを戒むること色にあり、その壮なるに及んでは血気
方(まさ)に剛なり、これを戒むること闘にあり。
その老いたるに及んでは血気既に衰う、これを戒むる
こと得にあり。

孔子が言った。
君子には三つの戒めがある。
若いときは、女で、壮年になれば争い、
老いたれば、欲である。

「論語」(27)

<君子は思う九つのこと>
子のたまわく、
君子に九思あり。視るには明を思い、聴くには
聡を思い、色には温を思い、貌(かたち)には
恭を思い、言には忠を思い、事には敬を思い、
疑わしきには問いを思い、怒りには難を思い、
得(う)るを見ては義を思う。

孔子が言った。
君子には九つの思うことがある。
見るときにははっきり見たいと思い、
聴くときにはこまかく聞き取りたいと思い、
顔つきはおだやかでありたいと思い、
姿はうやうやしくありたいと思い、
言葉は誠実でありたいと思い、
仕事には慎重でありたいと思い、
疑わしいことには問うことを思い、
怒りにはあとのめんどうを思い、
利得を前にしたときには道義を思う。

「論語」(28)

<世渡り五ヶ条>
子張、孔子に仁を問う。
子のたまわく、
能く五つの者を天下に行うを仁と為す。
これを請い問う。のたまわく、恭寛信敏恵なり。
恭なれば則ち侮られず、寛なれば則ち衆を得、
信なれば則ち人任じ、敏なれば則ち功あり、
恵なれば則ち以て人を使うに足る。

子張が孔子に仁とは何かと尋ねた。
孔子が言った。
次ぎの五つの行いが出来れば仁といえる。
恭(うやうや)しく、
寛(おおらか)で、
信(まこと)があり、
機敏で、
恵み深い。
恭であれば、侮られることはなく、
寛であれば、人望が得られ、
信があれば、頼りにされ、
敏であれば、仕事がはかどり、
恵であれば、上手に人が使える。

「論語」(29)

学問をしないと、ヤバイ!というお話。

<六言の六蔽(へい)>
子のたまわく、
由よ、なんじ六言の六蔽(へい)を聞けるか。
こたえて曰く、未だなし。居れ、吾れなんじに
語(つ)げん。
仁を好みて学を好まざれば、其の蔽や愚。
知を好みて学を好まざれば、其の蔽や蕩(とう)。
信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊。
直を好みて学を好まざれば、その蔽や絞(こう)。
勇を好みて学を好まざれば、其の蔽や乱。
剛を好みて学を好まざれば、其の蔽や狂。

孔子が由(ゆう)に六言の六蔽を語る。
仁が好きでも学問をしないとバカになる。
知が好きでも学問をしないと、とりとめがなくなる。
信がすきでも学問をしないと、盲信し、人を害する。
真っ正直でも学問をしないと、窮屈になる。
勇ましくても学問をしないと、乱暴者になる。
剛(つよ)くても学問をしないと、道を外れる。

「論語」(30)

<君子だって、人を悪(にく)む>
子貢問いて曰わく、君子もまた悪(にく)むこと
有りや。
子のたまわく、
悪(にく)むことあり。
人の悪を称する者を悪(にく)む。
下(しも)に居て上をそしる者を悪む。
勇にして礼なき者を悪む。
果敢(かかん)にして窒(ふさ)がる者を悪む。
子貢が孔子に尋ねた。君子というものは悪(にく)む、
ということがあるのでしょうか?
孔子が答えた。有る。それは、
人の悪口を言う人、
上司、年長者をけなす人、
勇ましくても礼儀がなっていない人、
はっきりしているが、常識がない人。

「論語」(31)

<女子と小人養いがたし>
子のたまわく、
唯(た)だ女子と小人とは養ない難しと為す。
これを近づくれば則ち不遜なり。
これを遠ざくれば則ち怨む。

孔子が言った。
女と俗物は扱いにくい。
関われば、無遠慮になり。
関わらなければ怨まれる。

<四十にして惑わず>
子のたまわく、
年四十にして悪(にく)まるるは、
其れ終わらんのみ。

孔子が言った。
四十にもなって憎まれているような者は
見込みがない。

「論語」(32)

<言い訳>
子夏が曰わく、小人の過つや、必ず文(かざ)る。

子夏が言った。
俗物が過ちを犯すと、必ず言い訳をする。

<君子の風景>
子夏が曰わく、君子に三変あり。
これを望めば厳然たり、
これに即(つ)けば温なり、
其の言を聴けば辧覆呂押砲掘

子夏が言った。
君子というものは、離れて見ると厳(おご)そかで、
近づけばおだやかで、
その言葉を聞けばきびしい。

「論語」(33)完

<天命を知る>
孔子のたまわく、命(めい)を知らざれば、以て君子たる
こと無きなり。礼を知らざれば、以て立つこと無きなり。
言を知らざれば、以て人を知ること無きなり。
孔子が言った。
天命が分からないようでは君子とはいえない。
(利害に左右される。)
礼が分からないようでは立ってはいけない。
(動作がでたらめになる。)
言葉が分からないようでは人を知ることはできない。
(だまされやすい人になる。)

 

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ニーチェの野心

「私の野心は、ほかの誰もが一巻の書で言う
こと、ほかの誰もが一巻の書でも言わないこ
とを、十の文章で言うことである。」
(「偶像の黄昏」)

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私の理想(ニーチェ)

「私の理想は、目障りにならぬような独立性、
それとわからぬ静かな誇り、つまり、他人の
名誉や喜びと競合せず、嘲弄にも耐えること
によって得られる、まったく他人に負い目の
ない誇りである。
このような理想が、私の日常の習慣を高貴な
ものにせねばならぬ。

低俗にならず、交際は欠かさず、欲はもたず、
静かに努力し、高く飛翔する。
自分自身のことは簡素で、つつましく、他人
にはやさしく。安眠と、軽やかな足取り、酒
は飲まず、王侯貴顕の輩とは付き合わず、女
と新聞に無関心、名誉を求めず、交際は最高
の精神の持主と、時折、下層の民衆(彼らは、
強靭で元気な植物を見るのと同じように、必
要である)に限り、ありきたりの食事で満足
し、意地汚く舌鼓を打つような連中の群れに
入らぬこと。食事はできれば自分でつくるの
がいいが、出来合いのものでもいい。」
(「遺された断想」)

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天才的な表情とは

「「天才的な表情」とは、認識が意欲に決定
的に立ち勝っていることが表情のうちに認め
られることにある。」

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意志と表象としての世界

ショーペンハウエル1788-1860
Arthur Schopenhauer
「第一版序文より要約
この本を理解するには2回読むこと。
この本の理解には、カント哲学の徹底的な熟知
が前提とされている。プラトンの著作になじん
でいればなお結構である。
そのうえウパニシャッドの恩恵に浴したことが
あるならばなおよい。
読者の非難が聞こえてきそうだが、あえていう。
読者が先にあげた要求を満たさずに本書を通読
しても得るところはなにもなく、したがって読む
ことは止めたほうがよろしい。
本書は少数の人々のものである。」

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ショーペンハウエルの生活

「ショーペンハウエルの散歩」
(長與善郎)雄文社昭和23年110円

<ショーペンハウエルの生活>
7〜8時の間に起床、季節に応じて寒又は温の
水浴、全身摩擦、眼を開いたまま水に頭を浸す。
自分で入れたコーヒーを飲む。
11時までは思索、執筆、読書。
正午に家政婦が来て時刻を知らせてくれる。
30分程度好きな笛を吹く。
13時、レストランへ行って昼食。食欲旺盛。
帰宅後、コーヒーを飲んで、1時間昼寝。
夕暮れに愛犬アートマン(宇宙精神)を連れ
て散歩。歩き方は若々しく、敏速。
太い竹のステッキを持ち、葉巻を吸う。
帰宅後、タイムズその他英仏独の新聞を読む。
音楽は好きで、ベートーヴェンのシンフォニーを
聴く時には微動もせず聴き入り、曲が終わると
他のくだらない曲によってその印象を壊さない
ためにすぐ立ち去った。
午後8〜9時にレストランで夕食、冷肉と赤ワイン。
帰宅後、長い桜のキセルで一服の煙草。
就寝前にウパニシャッドを読む。
寝室は決して暖めず冬でも窓を開けて寝た。

<部屋の風景>
部屋には、純金の釈迦像(キリスト教よりも仏教ファン
だった)、机上にはカントの胸像、長椅子の上には
ゲーテの油絵、四方の壁には、シェークスピア、
デカルト、クローヂウス、若い時の自分の肖像、近親者
の画像、さくさんの犬の絵。

<風貌>
ショーペンハウエルの風采は、背は普通、骨格頑丈、
胸広く、輝く青い瞳、薄赤いちじれた髪、整った鼻、
長く広い口、音声強大、手は細く敏活。
好男子とはいえなかったが人を惹きつける力があった。
黙然としている時はベートーヴェンの風があり、談話
に熱が入れば、ヴォルテールに似ていた。
お洒落で、人前に出るときはいつも盛装だった。

妻子もなく、同胞もなく、一人の友もない、厭世家は、
ワーグナー、ニーチェ、トーマスマン、トルストイ、
ハーディー、シュレジンガー
・・・等多くの、文学・芸術・哲学・理論物理学者に
影響を与えた。

「余は余の全生を通じて恐ろしく孤独を感じた。
そして常に嘆息して云った。今余に一人の友を
与えよと。願いは無駄だった。余は依然として
独りであった。しかし余は正直に云う。これ余
の悪い故ではない。その精神と心情とにおいて
人間と云い得る人ならば余は決して排斥もせず、
避けもしなかったのである。
しかし実際見出した者は役にも立たない奴か、
頭の悪い男か、心根のよくない、趣味の下等な
者より他になかった。」

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私はデカルトを許せない(パスカル)

「私はデカルトを許せない。彼はその全哲学の
なかで、できることなら神なしですませたいもの
だと、きっと思っただろう。しかし、彼は世界を
動きださせるために、神に一つ爪弾きをさせない
わけにいかなかった。それから先は、もう神に
用がないのだ。」
(パンセ-77)

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青猫(萩原朔太郎)

「宇宙は意志の現れであり、意志の本質は惱みである
              シヨウペンハウエル
自序

「青猫」ほどにも、私にとつて懷しく悲しい詩集はない。

これらの詩篇に於けるイメーヂとヴイジヨンとは、涙の
網膜に映じた幻燈の繪で、雨の日の硝子窓にかかる曇り
のやうに、拭けども拭けども後から後から現れて來る悲
しみの表象だつた。

「青猫」の「青」は英語の Blue を意味してゐるのであ
る。即ち「希望なき」「憂鬱なる」「疲勞せる」等の語
意を含む言葉として使用した。

尚この詩集を書いた當時、私はシヨーペンハウエルに惑
溺してゐたので、あの意志否定の哲學に本質してゐる、
厭世的な無爲のアンニユイ、小乘佛教的な寂滅爲樂の厭
世感が、自(おのづ)から詩の情想の底に漂つてゐる。

西暦一九三四年秋    著 者 」

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神(芥川竜之介)

「あらゆる神の属性中、最も神のために同情
するのは神には自殺のできないことである。」

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女(芥川竜之介)

「少女。–どこまで行っても清冽な浅瀬。」

「結婚は性欲を調節することには有効である。
が、恋愛を調節することには有効ではない。」

「健全なる理性は命令している。–「なんじ、
女人に近づくなかれ」」

「女人は我々男子には正に人生そのものである。
すなわち諸悪の根源である。」

「わたしはどんなに愛していた女とでも一時間
以上話しているのは退屈だった。」

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書く(芥川竜之介)

<書くのがつかえたら>
「書くことはずんずん書ける。・・・もしつかえ
れば、手当たり次第、机の上の本をあけて見る。
そうすると、たいてい二頁か三頁読むうちに、書
けるようになってくる。本はなんでも差し支えな
い。子供のときから字引を読む癖があるから、
ディクソンの熟語辞書なんどを読むこともある。」

<書いているときの気持ち>
「書いているときの心もちを言うと、こしらえて
いるという気より、育てているという気がする。
人間でも事件でも、その本来の動き方はたった
一つしかない。その一つしかないものをそれから
それへと見つけながら書いてゆくという気がする。
一つそれを見つけそこなうと、もうそれより先へ
はすすまれない。」

「文を作らんとするものはいかなる都会人で
あるにしても、その魂の奥底には野蛮人を一人
持っていなければならぬ。」

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露伴を評す(芥川竜之介)

漱石、鴎外も一目置いた露伴をこれほど酷評
した文章に初めて遭遇した。

「紅露を明治の両大家となすは誤れるもまた
はなはだしと言うべし。露伴はただ古今の書
を読み、和漢のことに通ぜるのみ。紅葉の才
に及ぶべからず。文章またはるかに紅葉の下
にあり。」

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実感的人生論(松本清張)

「私の学歴は小学校卒である。・・・私はかなり
情けない差別待遇をうけてきた。しかし、小学校
卒ということで一度も自分が恥しいと思ったこと
はない。・・・・
一ばん残念なのは人間的に差別されることである。
私は世間の主婦の方にお願いしたい。どんなに下級
の人でも、たとえば、あなた方の台所を訪問して品
物を配達でもしたような場合、それが商売上の当然
の行為であっても、その人間にやさしいねぎらいの
言葉一つでもかけてやっていただきたいのである。
その人間はその一言でどんなに元気づけられ、希望
を与えられるか分からない。
それはあたな方の想像以上かもしれないのである。
相手方が人間的に認めてくれたことであり、差別的
な観念を持たれなかったことへの喜びである。」

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大燈国師の臨終

「大燈国師が臨終に、今日こそ、わが言う通りになれと満足
でない足をみしりと折って鮮血が法衣を染めるにも頓着なく
坐禅のまま往生した・・」(「文芸の哲学的基礎」漱石)

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芸術の目標

「芸術の唯一の起源は理念の認識であり、芸術の
唯一の目標はこの認識の伝達である。」

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表現の簡潔さ

「表現の簡潔さとは、真の意味ではいつもただ言
うだけの価値があることだけを言い、だれでも
考えつきそうなことには一切、冗長な説明を加
えないこと、必要なものと不要なものとを正し
く区別することである。」

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考えられる範囲

「我々が徹底的に考えることが出来るのは自分で
知っていることだけである。」

「知るためには学ぶべきである。だが知るといっ
ても真の意味で知られるのはただすでに考えぬ
かれたことだけである。」

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新ファッシズム論

ファッシズムは、誤解されている。
ファッシズムを理解するには、まずニヒリズム
というものを理解しなければはじまらない。

<歯車の虚無(ニヒリズム)>
「パーム・ダットによると、ファッシズムとは、
窮地に追いつめられた資本主義の最後の自己救済
だというのである。」

<日本のインテリゲンチャはファッシズムが嫌い>
「日本のいわゆるファッシストは、インテリゲン
チャの味方を持たなかった。・・・しかるに西欧
のファッシズムは、プチ・ブルジョアジーの革命
と考えられている。・・・
何故か?これが重要だ。ファッシズムはニヒリズ
ムにおもねったからである。」

<ニヒリズムからファッシズムへ>
「二十世紀初頭の西欧には、ニヒリズムによる反
理知主義の風潮が滔々たるものがあった。これに
おもねって世に出たのが、フロイドであり、ファ
ッシズムである。その先駆者がニイチェであった。
・・・・
ニヒリストは世界の崩壊に直面する。世界はその
意味を失う。ここに絶望の心理学がはたらいて、
絶望者は一旦自分の獲得した無意味を、彼にとっ
ての最善の方法で保有しようと希むのである。
ニヒリストは徹底した偽善者になる。
大前提が無意味なのであるから、彼は意味をもつ
かの如く行動するについて最高の自由をもち、い
わば万能の人間になる。ニヒリストが行動を起こ
すのはこの地点なのだ。・・・・

ファッシズムの発生はヨーロッパの十九世紀後半
から今世紀初頭にかけての精神状況と切り離せぬ
関係を持っている。そしてファッシズムの指導者
が、まぎれもないニヒリストであった。
日本の右翼の楽天主義と、ファッシズムほど程遠
いものはない。」

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好きな女性

知的な女性をコテンパンに非難する三島氏にとっ
て魅力ある知的な女性とは、「贅沢と遊びに熱中
する女性」である。
三十前の男の女性観察としては、実に奥深い。

<何も考えない人>
「一癖ありげな女性というものは、やっぱり魅力
のあるものである。何を考えているのかわからな
い。ということが、もっとも私の弱点にひびく魅
力である。何を考えているのかわからない。とい
う風に見えるのは、往々、何も考えていないし、
習慣として何も考えない。ということでもあるが、
われわれ精神労働者にとっては、何も考えない人
間ほど神秘的にみえるものはないであろう。」

<贅沢と遊びに熱中する女性>
「こんな次第で、私の好きな女性の型(タイプ)
は白痴に近づくが、まるっきり白痴というのも
メガニズムがあらわに見えておもしろくない。
・・・教養もあり頭もよい女性のなかで、私の
心を惹く例外は、全力をあげて贅沢と遊びとに
熱中し、頭の中の知識のことなどは、おくびに
も出さない女性である。
こういう女性となら、戦いが成立する。
大へんに頭の要るゲームが成立する。」

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批評家に小説がわかるか

<批評家と文体>
「大体私は批評という一ジャンルの存在理由を
疑っている。直感的鑑賞と自己批評(乃至は自
伝乃至は告白)との中間地帯の存在理由を疑っ
ている。文体をもたない批評は文体を批評する
資格がなく、文体をもった批評は(小林秀雄氏
のように)芸術作品となってしまう。」

<芸術家の理解力は欠陥のしるし>
「理解力は性格を分解させる。理解することは
多くの場合不毛な結果をしか生まず。愛は断じ
て理解できない。志賀直哉氏に太宰治氏がかな
わなかったのは、太宰氏が志賀文学を理解して
いたにもかかわらず、志賀氏が、太宰文学を理
解しなかったという一事にかかっており、理解
したほうが負けなのである。
芸術家の才能には、理解力を減殺する或る生理
作用がたえず働いている必要があるように思わ
れる。理解力の過多は、芸術家としての才能に
どこかしら欠陥があるのである。」

<三島にとっての最高の文体、森鴎外>
「私は鴎外の文体を明治以後の唯一の文体と考
えることに変りはないが、何でも鴎外をまねて
簡素雄勁を心がければ、大人の文学と見てもら
えると謂ったスノビズムに、少しばかりの阿呆
らしさを感じているものである。」

<鴎外>
「鴎外は、あらゆる伝説と、プチ・ブウルジョアの
盲目的崇拝を失った今、言葉の芸術家として真に
復活すべき人なのだ。
言文一致の創生期にかくまで完璧で典雅な現代日本語
を創り上げてしまったその天才を称賛すべきなのだ。」

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美学講座

-芸術にエロスは必要か-より

誰でも知っている言葉”エロス”、しかし、その母親
と父親を知っている人は少ない。

<エロスの母は”窮乏”父は”術策”>
「饗宴」(プラトン)の中で、賢女ディオティマの語る
ところによると
「エロスという奴は、神でもなければ人間でもない、死
なないものと死すべきものとの中間にあって、偉大な神
霊(ダイモーン)なのだそうだ。ダイモーンは、神と人
間の中間にいるのである。
エロスは母親であるペニヤ(窮乏)に似て、貧乏で、汚
らしく、跣足(はだし)で、宿無しであり、父親である
ポロス(術策)に似て、勇敢で、術策に窮せざる狩人で
あり、又、エロスの生まれたのがアフロディテの誕生日
であるところから、いつもアフロディテの僕(しもべ)
となって、美に憧れている。・・・・・重要なことは、
エロスが智慧と無智の中間におり、自ら智慧をもつゆえ
に智慧を求めない神と、無智なるが故に智者になりたい
とも思わぬ無智者との丁度中間にいて、自分の欠乏の自
覚から、智慧を愛し求めている存在だということである。」

<英雄>

「反貞女大学」
-第一の性-より

男は単純でバカで子供なのか?
いや、男は一人のこらず英雄であります。

<男はみな英雄>
「大体、結婚後二、三年の女性たちが集まると、
「男というものは、バカで、単純で、お人よし
で、ようするに子供である」という結論に落ち
つくようであります。それから、結婚後十数年
の女性たちが集まると、口にこそ言わね、「男
というものは、多かれ少なかれ、悪党で、ウソ
つきで、油断がならず、要するに謎である」と
いう結論が出るようであります。
最後に、金婚式にまで辿りついた奥さん方が集
まると、表現は大分穏当になっているが、又は
じめの結論に戻って、「男というものは、バカ
で、単純で、お人よしで、要するに子供である」
というところに落ちつくようであります。
・・・・・
「チェッ、わかってないな」・・・
男はとにかくむしょうに偉いのです。
・・・・・
男は一人のこらず英雄であります。私は男の一人
として断言します。ただ世間の男のまちがってる
点は、自分の英雄ぶりを女たちにみとめさせよう
とすることです。」

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文章読本

<水が来た>
数ある文章読本の中で、最も印象に残っているのは
三島氏が「文章読本」で森鴎外について言及してい
るところです。

「料理の味を知るには、よい料理をたくさん食べる
ことが、まず必要であると言われております。
・・・
そこで私は、まず二種類の、非常に対蹠的な文章を
お目にかけるつもりである。一つは森鴎外の「寒山
拾得」・・・
(注:あと一つは、泉境花の「日本橋」)

<森鴎外の「寒山拾得」の一節より>
”閭(りょ)は小女を呼んで、汲立(くみたて)の
水を鉢に入れて来いと命じた。水が来た。僧はそれ
を受け取って、胸に捧げて、じつと閭を見詰めた。
清浄な水でも好ければ、不潔な水でも好い、湯でも
茶でも好いのである。”

この文章はまったく漢文的教養の上に成り立った、
簡潔で清浄な文章でなんの修飾もありません。
私がなかんずく感心するのが、「水が来た」という
一句であります。
この「水が来た」という一句は、全く漢文と同じ手
法で「水来ル」というような表現と同じことである。
しかし、鴎外の文章のほんとうの味はこういうとこ
ろにあるので、これが一般の時代物作家であると、
閭が少女に命じて汲みたての水を鉢に入れてこいと
命ずる。その水がくるところで、決して「水が来た」
とは書かない。まして文学的素人には、こういう文
章は決して書けない。
このような現実を残酷なほど冷静に裁断して、よけ
いなものをぜんぶ剥ぎ取り、しかもいかにも効果的
に見せないで、効果を強く出すという文章は、鴎外
独特のものであります。」

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若きサムライのための精神講話

<約束について>
「このごろの青年の時間のルーズなことには
驚くのほかはない。また、約束を破ることの
頻繁なことにもあきれるのほかはない。」

これは、35年ほど前に書かれたものであるが、
今も、この憤慨は変わらない。

<約束とは、信義の問題である>
「一旦約束を結んだ相手は、それが総理大臣で
あろうと、乞食であろうと、約束に軽重がある
べきではない。それはこちらの信義の問題だか
らだ。
上田秋成の「菊花の約(ちぎり)」という小説
は、非常に信じあった友人が、長年の約束を守
るために、どうしても約束の場所、約束の時間
に行くために、人間の肉体ではもう間にあわな
くなって自殺をして、魂でもって友人のところ
にあらわれるという人間の信義の美しさを描い
た物語である。
その約束自体は、単なる友情と信義の問題であ
って、それによってどちらが一文も得をするわ
けではない。その一文も得をするわけでもない
ものに命をかけるということは、ばからしいよ
うであるが、約束の本質は、私は契約社会の近
代精神の中にではなく、人間の信義の中にある
というのが根本的な考えである。」

<努力について>

努力はしたほうがいい、もし、君に才能がなければ。
しかし、才能があれば、努力ほど楽しいものはない。

<努力とは非貴族的なものである>
「”天才は努力である”ということばは、いわば
成り上がり者の哲学であって、金もなく、地位も
ない階級の人間が世間に認められるための、血み
どろな努力を表現するものとしてむしろ軽んじら
れた。」

<努力よりもつらいこと>
「人間は、場合によっては、楽をすることのほう
が苦しい場合がある。貧乏性に生まれついた人間
は、一たび努力の義務をはずされると、とたんに
キツネがおちたキツネつきのように、身の扱いに
困ってしまう。・・・・
実は一番つらいのは努力することそのことにある
のではない。ある能力を持った人間が、その能力
を使わないように制限されることに、人間として
一番不自然な苦しさ、つらさがあることを知らな
ければならない。」

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新恋愛講座

<恋愛がなかったギリシャ時代>
ギリシャのプラトンの時代には「ほとんど男女の
恋愛というものはなかったのです。男と交わる女
は、みな娼婦でした。中には教養の高いのもいま
したが、とにかく娼婦が多かったので、それとの
間にはあまり恋愛は論じられず、遊びでした。
そして、普通の結婚はすべて子孫の存続のために
結婚したので、恋愛から結婚したのではありませ
ん。」

「ギリシャの恋愛とは今でいう同性愛で、美少年
との恋愛であります。」

<ヨーロッパと違う日本の恋愛>
ヨーロッパの恋愛というのは、騎士道がその典型
であり、貴婦人に対する気持ちは、聖母マリアに
対するのと同じなのです。
日本の恋愛はどうかというと、そこには哲学的背
景はなく、本能と感情だけなのです。
「露骨に言えば、一緒に寝たいという欲望です。
そこにいろいろな日本人の繊細な感情の美学が加
わったものが、日本の恋愛なのであります。」

——恋愛の技巧——

<接吻したいという目的>
「接吻したいという目的を、口で言うのはばかで
あります。・・・
何でも恋愛のものごとは、一つの「できごと」と
して起る必要がある・」

<肉体交渉を持ちたいという欲望>
「これはすべて会話の領分です。絶対に、会話で
運ばれなくてはなりません。というのは、相手の
オーケーか、ノーを確かめることが、一番大切だ
からであります。・・・
男の秘訣は、女に対しては、からだの交渉を持つ
までは、決して女の欲望を認めてはいけないとい
うことです。あたかも相手には欲望がないように、
ふるまわなければいけません。・・・少なくとも、
処女は自分の欲望を認められることを、大へんき
らうものです。」

<結婚したいという欲望>
「恋愛中、たとえ、彼や彼女が、結婚したくても、
あるいはしたくなくても、どっちみち結婚という
言葉は禁句であります。・・・
結婚の申し込みの古風な形式は、両親に会ってく
れと頼むことです。」

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文体

「私は単に機能的な文体というものを、
単に感覚的な文体と同様に愛さなかった。」

「私は何よりも格式を重んじ、冬の日の
武家屋敷の玄関の式台のような文体を好
んだのである。」

「私の文体はつねに軍人のように胸を張って
いた。そして、背をかがめたり、身を斜めに
したり、膝を曲げたり、甚だしいのは腰を振
ったりしている他人の文体を軽蔑した。
姿勢を崩さなければ見えない真実がこの世に
はあることを、私とて知らぬではない。
しかしそれは他人に委せておけばすむことだ
った。」

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おわり方の美学

(切腹(11月25日)まで4ヶ月余り
前(7月7日)の文章)

「二十五年前に私が憎んだものは、
多少形を変えはしたが、今もあい
かわらずしぶとく生き永らえてい
る。生き永らえいるどころか、お
どろくべき繁殖力で日本中に完全
に浸透してしまった。それは戦後
民主主義とそこから生ずる偽善と
いうおそるべきバチルスである。
・・・・・・
それほど否定してきた戦後民主主
義の時代二十五年間を、否定しな
がらそこから利得を得、のうのう
と暮らして来たということは、私
の久しい心の傷になっている。
・・・・・・
私は何とか、私の肉体と精神を等
価のものとすることによって、そ
の実践によって、文学に対する近
代主義的妄信を根底から破壊して
やろうと思って来たのである。
・・・・・・
私はこれからの日本に大して希望
をつなぐことができない。このま
ま行ったら「日本」はなくなって
しまうのではないかという感を日
ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、
無機的な、からっぽな、ニュート
ラルな、中間色の、富裕な、抜目
がない、或る経済的大国が極東の
一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たち
と、私は口をきく気にもなれなく
なっているのである。」

「自分では十分俗悪で、山気もあ
りすぎるほどあるのに、どうして
「俗に遊ぶ」という境地になれな
いものか、われとわが心を疑って
いる。」
(「サンケイ新聞」昭和45年7月7日)

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愛国心

(以下、切腹2年前、43才三島氏の文章)
「実は私は「愛国心」という言葉が
あまり好きではない。・・・・
愛という言葉は、日本語ではなくて、
多分キリスト教から来たものだろう。
日本語としては「恋」で十分であり、
日本人の情緒的表現の最高のものは
「恋」であって、「愛」ではない。
もしキリスト教的な愛であるなら、
その愛は無限定無条件でなければな
らない。従って、「人類愛」という
のなら多少筋が通るが、「愛国心」
というのは筋が通らない。
なぜなら愛国心とは、国境を以て閉
ざされた愛だからである。」

「恋が盲目であるように、国を恋う
る心は盲目であるにちがいない。
しかし、さめた冷静な目のほうが日
本をより的確に見ているかというと、
そうも言えないところに問題がある。
さめた目が逸したところのものを、
恋に盲(めし)いた目がはっきり
つかんでいることがしばしばあるの
は、男女の仲と同じである。
一つだけたしかなことは、今の日本
では、冷静に日本を見つめているつ
もりで日本の本質を逸した考え方が、
あまりにも支配的なことである。」
(以上「朝日新聞」昭和43年1月8日)

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女ぎらいの弁

「大体私は女ぎらいというよりも、古い
頭で、「女子供はとるに足らぬ」と思って
いるにすぎない。
女性は劣等であり、私は馬鹿でない女
(もちろん利口馬鹿を含む)にはめったに
会ったことがない。事実また私は女性を
怖れているが、男でも私がもっとも怖れる
のは馬鹿な男である。まことに馬鹿ほど
怖いものはない。
また註釈を加えるが、馬鹿な博士もあり、
教育を全くうけていない聡明な人も沢山
いるから、何も私は学歴を問題にしている
のではない。
こう云うと、いかにも私が、本当に聡明な
女性に会ったことがない不幸な男である、
という風に曲解して、私に同情を寄せてくる
女性がきっと現れる。こればかりは断言して
もいい。しかしそういう女性が、つまり一般論
に対する個別的例外の幻想にいつも生きて
いる女が、実は馬鹿な女の代表なのである。」

「女性は抽象精神とは無縁の徒である。音楽
と建築は女の手によってろくなものはできず、
透明な抽象的構造をいつもべたべたな感受性
でよごしてしまう。構成力の欠如、感受性の
過剰、瑣末主義、無意味な具体性、低次の
現実主義、これらはみな女性的欠陥であり、
芸術において女性的様式は問題なく「悪い」
様式である。私は湿気の高い感性的芸術の
えんえんと続いてきた日本の文学史を呪わず
にはいられない。」

「私は芸術家志望の女性に会うと、女優か
女声歌手になるのなら格別、女に天才という
ものが理論的にありえないということに、
どうして気がつかないかと首をひねらざるを
えない。」
—————————————-
三島由紀夫の「女嫌い」に続いて萩原朔太
郎の「女嫌い」を紹介しよう。

「女嫌いとは、・・・人格としてではなく、
単に肉塊として、脂肪として、劣情の
対象としてのみ、女の存在を承諾する
こと。(婦人にたいしてこれほど・・・・・
冒涜の思想があるだろうか)
しかしながら、・・・多数の有りふれた
人々が居り、同様の見解を抱いている。
殆ど多くの、世間一般の男たちは、初め
から異性に対してどんな精神上の要求も
持っていない。
女性に対して、普通一般の男等が求める
ものは、常に肉体の豊満であり、脂肪の美
であり、単に性的本能の対象としての、人形
への愛にすぎないのである。
しかも彼等は、この冒涜の故に「女嫌い」と
呼ばれないで、逆に却って「女好き」と呼ば
れている。なぜなら彼等はどんな場合に
於いても、女性への毒舌や侮辱を言わない
から。
(「女嫌い」と呼ばれる人々は、女にたいして)
単なる脂肪以上のものを、即ち精神や人格
やを、真面目に求めているからである。
・・・・それ故に女嫌いとは?或る騎士的情熱
の正直さから、あまりに高く女を評価し、女性
を買いかぶりすぎてるものが、経験の幻滅に
よって導かれた、不幸な浪漫主義の破産で
ある。
然り!すべての女嫌いの本体は、馬鹿正直
なロマンチストにすぎないのである。」

「すべての家庭人は、人生の半ばをあきらめて
いる。」

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吉本隆明

「やはり鴎外、漱石ぐらいではないでしょうか。
本当にお世辞抜きで推薦するとそれぐらいでは
ないでしょうか。」
(「文学の書物」)

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漱石は好きですか?

朝日新聞「beモニター8400人中、2709人が答えました」
(2006.03.25)
–没後90年、「草枕」「坊ちゃん」発表100年–

漱石が好きですか?

はい   74%
いいえ 26%

好きな近代文学の作家は?

1 芥川龍之介  1033人
2 夏目漱石    973人
3 宮沢賢治    732人
4 太宰治     536人
5 森鴎外     491人
6 谷崎潤一郎   407人
7 島崎藤村    370人
8 志賀直哉    354人
9 石川啄木    284人
10  樋口一葉    205人

漱石が芥川に抜かれた、これは事件である。

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相手を打ち負かして何になる

「西洋人のやり方は積極的積極的といって近頃
大分流行るが、あれは大なる欠点を持っている
よ。・・・ナポレオンでも、アレキサンダーで
も勝って満足したものは一人もないんだよ。
人が気に喰わん、喧嘩をする、先方が閉口しな
い、法廷で勝つ、それで落着と思うのは間違い
さ。心の落着は死ぬまで焦ったって片付く事が
あるものか。」
(漱石「猫」哲学者独仙先生の言葉)

「人間の定義をいうと外でもない、ただ入らざ
る事をねつ造して自ら苦しんでいる者だ。」
(漱石「猫」猫の言葉)

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神経衰弱の弁

「大学では講師として年俸八百円を頂戴していた。
子供が多くて、家賃が高くて八百円では到底暮らせ
ない。仕方ないから他に二三軒の学校を駆けあるい
て、漸くその日を送っていた。
いかな漱石もこう奔命につかれては神経衰弱になる。
その上多少の述作はやらなければならない。酔興に
述作をするからだと云うなら云わせておくが、近来
の漱石は何か書かないと生きている気がしないので
ある。それだけではない、教えるため、又は修養の
ため書物も読まなければ世間へ対して面目ない。
漱石は以上の事情によって神経衰弱に陥ったのであ
る。」

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愚見数則

地震、水害、戦争、犯罪・・・
世論が騒がしい・・・
善人を騙す人がおり、尻馬にのる人があり、
罵る人がいて、卑怯なる人がいる。
人格がなければ、権力は濫用され、金力は
社会を腐敗させ、個人は他を妨害する。

<卑怯の癖をつけるな>
「狐疑(こぎ)する勿(なか)れ、躊躇する
勿れ、驀地(ばくち)に進め、一度び卑怯未
練の癖をつくれば容易に去りがたし、」

<善人・悪人>
「善人許(ばか)りと思う勿(なか)れ、腹
の立つ事多し、悪人のみと定むる勿れ、心安
き事なし、」

<人を崇拝するなかれ>
「人を崇拝する勿れ、人を軽蔑する勿れ、生
れぬ先を思え、死んだ後を考えよ。」

<尻馬にのるな>
「多勢を恃(たの)んで一人を馬鹿にする勿
れ、己れの無気力なるを天下に吹聴するに異
ならず、斯(かく)の如き者は人間の糟(か
す)なり、」

<みだりに人を評するな>
「妄(みだ)りに人を評する勿れ、斯様(か
よう)な人と心中に思うて居れば夫(それ)
で済むなり、」

<馬鹿は百人寄っても馬鹿なり>
「馬鹿は百人寄っても馬鹿なり、味方が大勢
なる故、己れの方が知恵ありと思うは、了見
違いなり、牛は牛伴(づ)れ、馬は馬連れと
申す、味方の多きは、時として其馬鹿なるを
証明しつつあることあり、これ程片腹痛きこ
となし。」

<理想を高くせよ>
「理想を高くせよ、あえて野心を大ならしめ
よとは云わず、理想なきものの言語動作を見
よ、醜陋(しゅうろう)の極なり、理想低き
者の挙止容儀を観(み)よ、美なる所なし、
理想は見識より出ず、見識は学問より生ず、
学問をして人間が上等にならぬ位なら、初か
ら無学で居る方がよし。」

<教育論>
「江戸時代は、心から学びたい者だけが苦労して
師を探し出し、教えを乞うた。それで、本当の師弟
関係が成り立った。
だが明治の世では、学問する気のないヤツまで学校
に入れる。
こういった連中は学校を旅館か何かと勘違いして、
お客様ヅラしている。
だから学校現場が荒れるのだ。」

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私の個人主義

漱石が教科書から外され、お札からも外された。
漱石は今でも、日本文学の至宝に違いない。
漱石ほど文学について考えた作家はいない。
漱石ほど、苦しんだ作家もいない。

「すべての芸術は倫理的でなければいけない。」

<心を安んずるために>
「ああここにおれの進むべき道があった! ようやく
掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫(さけ)
び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事が
できるのでしょう。容易に打ち壊(こわ)されない自
信が、その叫び声とともにむくむく首を擡(もた)げ
て来るのではありませんか。すでにその域に達してい
る方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途
中で霧か靄(もや)のために懊悩していられる方があ
るならば、どんな犠牲(ぎせい)を払(はら)っても、
ああここだという掘当(ほりあ)てるところまで行っ
たらよろしかろうと思うのです。」

<個性とは>
「仕事をして何かに掘りあてるまで進んで行くという
事は、つまりあなた方の幸福のため安心のためには相
違ありませんが、なぜそれが幸福と安心とをもたらす
かというと、あなた方のもって生れた個性がそこにぶ
つかって始めて腰がすわるからでしょう。そうしてそ
こに尻を落ちつけてだんだん前の方へ進んで行くとそ
の個性がますます発展して行くからでしょう。ああこ
こにおれの安住の地位があったと、あなた方の仕事と
あなたがたの個性が、しっくり合った時に、始めて云
い得るのでしょう。」

<孤独という通路は神に通じる道>
「善人は気楽なもので、父母兄弟、人間どもの虚し
い義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに
全身を投げかけて平然として死んで行く。だが堕落
者は常にそこからハミだして、ただ一人広野を歩い
て行くのである。
悪徳はつまらぬものであるけれども、孤独という通
路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、
いわんや悪人をや、とはこの道だ。キリストが淫売
婦にぬかずくのもこの広野のひとり行く道に対して
であり、この道だけが天国に通じているのだ。
何万、何億の堕落者は常に天国に至り得ず、むなし
く地獄をひとりさまようにしても、この道が天国に
通じているということに変わりはない。」
(出典不明)
<自力で作りあげる外ない>
「私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、
と云って何をして好いか少しも見当がつかない。
・・・ぼうっとしているのです。あたかも嚢(ふく
ろ)の中に詰められて出ることが出来ない人のよう
な気持ちがするのです。・・・
どんな本を読んでも依然として自分は嚢の中から出
る訳にはいきません。・・・
私は下宿の一間で考えました。詰まらないと思いま
した。いくら書物を読んでも腹の足(たし)にはな
らないのだと諦めました。・・・
この時私は始めて文学とは何(ど)んなものである
か、その概念を根本的に自力で作り上げるより外に
、私を救う途はないのだと悟ったのです。」

<文芸に縁のない読書>
「私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅(か
た)めるため、堅めるというより新しく建設する為
に、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。
一口でいうと、自己本位という四字をようやく考え
て、その自己本位を立証する為に、科学的な研究や
ら哲学的の思索に耽(ふけ)り出したのであります。」

<私の道を決めた自我本位(自己本位)>
「今まで茫然(ぼうぜん)と自失していた私に、こ
こに立って、この道からこう行かなければならない
と指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字
なのであります。・・・
その時私の不安は全く消えました。」

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夢十夜

漱石の最も有名?な芸術論の一つです。
運慶の彫刻を見て思うこと。

<第六夜>
「運慶(うんけい)が護国寺(ごこくじ)の
山門で仁王(におう)を刻んでいると云う評
判だから、散歩ながら行って見ると、自分よ
り先にもう大勢集まって、しきりに下馬評
(げばひょう)をやっていた。
・・・・
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を拵(こしら)えるよりもよっぽど骨
が折れるだろう」とも云っている。
・・・・
 運慶は見物人の評判には委細頓着(とんじ
ゃく)なく鑿(のみ)と槌(つち)を動かし
ている。いっこう振り向きもしない。高い所
に乗って、仁王の顔の辺(あたり)をしきり
に彫(ほ)り抜(ぬ)いて行く。
・・・・
自分はどうして今時分まで運慶が生きている
のかなと思った。どうも不思議な事があるも
のだと考えながら、やはり立って見ていた。
・・・・
 運慶は今太い眉(まゆ)を一寸(いっすん)
の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪(たて)
に返すや否や斜(は)すに、上から槌を打(う)
ち下(おろ)した。堅い木を一(ひ)と刻(き
ざ)みに削(けず)って、厚い木屑(きくず)
が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻の
おっ開(ぴら)いた怒り鼻の側面がたちまち浮
き上がって来た。その刀(とう)の入れ方がい
かにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を
挾(さしはさ)んでおらんように見えた。
「よくああ無造作(むぞうさ)に鑿を使って、
思うような眉(まみえ)や鼻ができるものだな」
と自分はあんまり感心したから独言(ひとりごと)
のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。
あの通りの眉や鼻が木の中に埋(うま)ってい
るのを、鑿(のみ)と槌(つち)の力で掘り出
すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すよう
なものだからけっして間違うはずはない」と
云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思
い出した。」
漱石がミケランジェロの下記の言葉を読んで
いるとは思えないが、優れた感受性はいつの
時代、いづれの国も変わらないものだと納得
した。
”この感性”は、芸術に限ったことではない。
物理学者であろうと、政治家であろうと、す
ぐれた感性には、”完成ビジョン”が見える
ものだ。

「大理石の塊ひとつひとつに、わたしには
彫像が見える。まるでそれが眼前にあるか
のように完璧な姿態、躍動感ではっきりと
見える。わたしはただ、それを今わが目で
見ているように人々に明らかにするために
彫像の優美な姿を閉じこめている石の壁を
刻むだけなのだ。」(ミケランジェロ)

In every block of marble see a
statue;See it as plainly as through
it stood before me,
Shaped and perfect in attitude and
action.Ihave only to hew away the
rough walls which imprison the lovely
apparition to reveal it to other eyes,
as mine already see it.
(Michelangelo)

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司馬遼太郎と漱石

「諸兄にぜひこれだけはお伝えしたい
と思うことがあります。
明治文学をぜひお読みなさいということ
です。江戸中期から明治時代というのは
いわば教養時代が、酒でいえば蒸留され
て、度数の高い蒸留酒になったのが、明
治の心というべきものです。
諸君は、異国の文学でも読むような気持
で読んでゆくとよいと思います。きっと、
発見があります。それを生涯の伴侶にな
さるとよいと思います。」

「「蘆花(徳富蘆花とくとみろか)」全集」
はぜんぶ読んで、何冊かはくりかえし読み
ました。・・・あと漱石、鴎外を読み、さ
らには正岡子規の「墨汁一滴」などを読む
ことで、小説・随筆を読むたのしみ以上に、
明治人の心というものが身近になりました。」

「軍服耳時代二年間のあいだに、岩波文庫の
「万葉集」をくりかえし読みました。」

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食べ物

「食物は・・・私は濃厚な物がいい。
支那料理、西洋料理が結構である。
日本料理などは食べたいとは思わぬ。
・・・酒は飲まぬ、日本酒一杯位は美味い
と思うが、二三杯でもう飲めなくなる。
・・・・煙草は吸っている。
・・・・娯楽というような物には別に要求も
ない。・・・囲碁も将棋も何も知らぬ。
書画だけには多少の自信はある。・・・
明窓浄机。これが私の趣味であろう。
閑適を愛するのである。
小さくなって懐手して暮らしたい。
明るいのが良い。暖かいのが良い。
・・・朝は七時過ぎ起床。夜は十一時
前後に寝るのが普通である。・・・
出不精の方であまり出掛けぬが、時々
散歩はする。」(漱石)
(「大阪朝日新聞」大正三年三月二十二日)

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水商売の女

「漱石は、水商売の女に決して嫌悪感を持って
いなかった。むしろ、そうしたタイプの女性に
好意と同情を寄せていた。
彼の晩年の友人に、京都の芸者がいる。彼女は、
男に捨てられて身も心もボロボロだったころに
漱石の小説を読んで救われたといい、その後、
あるきっかけで漱石と知り合った。
漱石は、彼女との友情を生涯たいせつにした。」

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三四郎(やっぱ、落語だよね〜)

「司馬遼太郎が「漱石の作品で一番好きだ」と
絶賛した青春小説・・・
作中、登場人物の口を借りて漱石が述べている
落語論と演劇論は、興味深い。
漱石はここで、三代目柳家小さんを大絶賛し、
坪内逍遙の演劇をかなり辛辣に批判している。」
(森本哲郎「20分でわかる「夏目漱石」)

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虞美人草(幸せになれない女)

「ヒロインの藤尾は、典型的な女王様タイプ。
男顔負けの教養がある一方で家庭的なことを
軽蔑し、磨き上げた美貌で男を手玉に取る。・・・
ラストは彼女の自殺で終わるが、連載当時、藤尾は
女性読者にたいへんな人気で、漱石にはクレームが
山ほどきた。
だが漱石は「ああいう女は幸せになれない」と
断言している。」
(森本哲郎「20分でわかる「夏目漱石」)

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皇室と漱石

「明治42年の日記で、皇室が主催する能の会へ
出向いた時のものが、ある。
そこで漱石は、特別席でタバコをくゆらせていた
皇太子に、ひどく憤慨している。
一般席が禁煙だったので、不公平だろ怒ったのだ。
さらにキセルにタバコをつめるのを従者にやらせて
いるのを見て「そのぐらい自分でやれっ!」と、
日記に怒りをぶちまげている。」

「また、明治天皇危篤の報が流れ、江戸っ子たちが
例年楽しみにしていた「川開き」が中止となった時
の日記では、「当て込んでいた商売人が困るではな
いか。川開きをやめれば天皇が回復するという
わけでもなかろうに!」と、怒り心頭である。」

「これらの日記は、戦前発行の岩波書店刊「漱石全集」
では、カットされている。」

「明治天皇崩御の時、漱石は一人自室で、皇居に
向かい深々と頭を下げたという。」
(森本哲郎「20分でわかる「夏目漱石」)

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草枕

<情欲なしで女の裸体を描写する試み>
「あらゆる事実や人の所作をいっさいの感情移入
も欲望も持たず、ただ純粋に眺める心構えこそ、
本当の芸術を生み出す力だと、彼は言う。
だから、ヒロインの那美にもまったく恋心を
抱かずに、ただひたすら彼女を観察する。
作中、風呂場で偶然出会ってしまった那美の
ヌードを描写する「余(よ)」の説明は、秀逸。
漱石は後に、「女の裸体を情欲なしで上品に書く
ことにチャレンジした」と、この部分の執筆意図
を雑誌インタビューで述べている。
また、本作では「読者にただ「美しい感じ」を
残せれば、それでよい」とも。」
(森本哲郎「20分でわかる「夏目漱石」)

<草枕について>
「天地開闢(かいびゃく)以来類のない小説」
(漱石)

「手紙」
(明治39年10月26日、鈴木三重吉への手紙)
「ただきれいにうつくしく暮らす、すなわち
詩人的にくらすということは生活の意義の何分一
か知らぬがやはりきわめて僅少な部分かと思う。
で草枕のような主人公ではいけない。
あれもいいがやはり今の世界に生存して自分の
よいところを通そうとするにはどうしてもイブセン
流に出なくてはいけない。
この点からいうと単に美的な文字は昔の学者が
冷評したごとく閑文字に帰着する。
俳句趣味はこの閑文字の中に逍遙(しょうよう)して
喜んでいる。しかし大なる世の中はかかる小天地に
寝ころんでいるようではとうてい動かせない。
しかも大いに動かさざるべからず敵が前後左右に
ある。
いやしくも文学をもって生命とするものならば単に
美というだけでは満足ができない。
・・・・・
僕は一面において俳諧的文学に出入りすると同時に
一面において死ぬか生きるか、命のやりとりをする
ような維新の志士のごとき烈しい精神で文学をやって
みたい。
それでないとなんだか難をすてて易につき劇を厭
(いと)うて閑に走るいわゆる腰抜け文学者のような
気がしてならん。」

注:明治39年9月,「新小説」に「草枕」を発表。

注2:明治39年11月,「文章世界」
「普通にいう小説、すなわち人生の真相を味わわせる
ものも結構であるが、同時にまた、人生の苦を忘れさ
せて、慰藉(いしゃ)を与えるという意味の小説も
存在していいと思う。私の「草枕」は、むろん後者に
属すべきものである。」

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英語と漱石

・明治26年7月、漱石は東京帝大英文科を卒業。
英文科の卒業生は漱石一人だった。

・漱石がイギリスに行って驚いたことには
オックスフォード大学にもケンブリッジ大学にも
英文科がなかった。東京帝大に英文科ができて
から28年後にやっと英文科ができた。

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漱石の壮絶なる病歴

4男2女の子をもうけ、わずか10年の
作家生活、27才で肺病療養、30才で妻の流産、
31才神経衰弱、33才ロンドン留学、
36才神経衰弱、42,43,44才胃潰瘍、45才痔、
46、47、48才胃潰瘍、49才糖尿病、胃潰瘍
あ〜、なんたる病気の連続、合掌。

1867      慶応3年 漱石誕生
1884 18才 明治17年大学予備門予科入学
      中村是公と同級になる
1889 22才 正岡子規を知る
1890 23才 帝大英文科入学
1893 26才 大学卒業。大学院入学。東京高師英語教師就任
1895 28才 松山中学赴任
1896 29才 熊本第5高へ転任。結婚。
1899 32才 長女筆子誕生
1900 33才 ロンドン留学
1901 34才 次女恒子誕生
1903 36才 ロンドン留学より帰朝。第一高等学校教授
      三女栄子誕生
1905 38才 四女愛子誕生。「吾輩は猫である」起稿
1906 39才 「坊ちゃん」「草枕」
1907 40才 朝日新聞社入社
      長男純一誕生
      「野分」「虞美人草」
1908 41才 次男伸六誕生
      「坑夫」「夢十夜」
1909 42才 中村是公と満韓旅行
1910 43才 五女ひな子誕生
      「門」
1911 44才 五女ひな子急死
1912 45才 明治天皇死去
      「彼岸過迄」「行人」
1914 46才 「こころ」
1915 48才 芥川龍之介、久米正雄らが門下に。
      「道草」
1916 49才 「明暗」起稿。死去

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正岡子規の漱石評

「千万人に一人の天才」
(子規が漱石(金之助)の「木屑録」を読んで
激賞した言葉)

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漱石の夢

「僕はセント・ポール大聖堂を建てるような
美術建築家になりたい。」
(夏目漱石21才)

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ニーチェと漱石

漱石の蔵書二千四百冊の中で、ニーチェの
「ツァラトウストラ」への書き込みの量は、
ほかの作品におけるそれをはるかに
しのいでいる、とフラナガン氏(「日本人
が知らない夏目漱石」)は云う。

平川氏によれば、「草枕」は「「ツァラト
ウストラ(ニーチェ)」からのインスピレ
ーションから生まれたという。

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モンテーニュ「エセー」

「エセー」が初めて日本に紹介されたのは、昭和10年
(関根秀雄訳)。
デカルト、モリエール、ルソー、モンテスキュー、
ジード、カミュ、サルトルも「エセー」の愛読者。
特に、パスカルの「パンセ」については、聖書から来
ていないものは全て「エセー」から来ているとまでい
われた。哲学者ジョン・ロックはモンテーニュの教育
論(1-26)によって彼自身の教育論を書いている。
ドイツでは、ゲーテ、ショウペンハウエル、ニーチェ
が影響を受けている。

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森鴎外とショウペンハウエル

なにを読んでも慰謝になるものがない・・
そこで、鴎外は哲学書(ハルトマン、スチ
ルネル、ショウペンハウエル)を読みはじ
めるのである。

「生まれてから今日まで、自分は何をして
いるのか。始終何物かに策(むち)うたれ
駆られているように学問ということに齷齪
(あくせく)している。これは自分にある
働きができるように、自分を為上(しあ)
げるのだと思っている。
その目的は幾分か達せられるかも知れない。
しかし自分のしていることは、役者が舞台
へ出てある役を勤めているにすぎないよう
に感ぜられる。
その勤めている役の背後に、別に何物かが
存在していなくてはならないように感ぜら
れる。策(むち)うたれ駆られてばかりい
るために、その何物かが醒覚(せいかく)
する暇がないように感ぜられる。」
(「妄想」)

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無心

「知を求めず、見を求めず、仏菩薩になろうと
ねがわず、平々凡々、木石のごとくにして、し
かも、そこから大慈大悲の大行動が開始せられ、
無功用の生活がつづけられる。」(法華経)

「周辺のない円相、これを無心といい、
また無念無想などともいう。」

「心を一点に留めたり、一物を見たり、
一事を知ったりして、一事一物一点の外
に出ることをわすれると、その知見は、
いずれも限られたものになって、自由の
はたらきが、そこから出てこない。
限られた一が、そのまま無限の全体であ
ることに、気がつかなくてはならぬ。」

「無心の代表的な表現として、彼(大拙)は
好んでつぎの句を引く。

「竹影、階(きざはし)を払って塵動かず、
月、潭底(たんてい)をうがって水に痕(あと)なし」

竹の葉がそよいで、その影を石段の上に
ゆるがすが、段の上の塵は少しも動かない。
また、月がふちの底をうがって影を落として
いるが、水にはそのあとかたもない。」

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絵画

「古人は胸に万巻の書を収めておかぬと、本当の
絵はかけぬといった。美というものは、霊の面か
ら見るべきで、単なる抽象的美をのみ云々すべき
ではないのである。
それゆえ、床の間にかけるものは、何かの意味に
おいて、それを見る人々の霊性的向上に資すべき
でなくてはならぬのである。床の間は一種霊性的
向上の場所なのである。ただ美の鑑賞場ではない
のである。」

「西洋の絵はどこでも、壁の空間をふさぐことに
なっている。一種の飾りものにすぎない。」

「東洋では霊性的美の欠けたものを、本当の美と
は見ないのである。」

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神道

「神道は元来が政治思想であって、厳密には、
宗教的信仰性のものでない。」

「神道が「それみずから」に初めて目覚めたのが
伊勢神道である。」

「神道がその根源的なるものとして、独自の立場
を維持せんとする諸直覚は、霊性的なものでなく
てむしろ情性の範疇に属するものである。
・・・・
何故に神道的直覚は情性的であるかというに、そ
れはまだ否定せられたことのない直覚だからであ
る。」

「神道には、集団的・政治的なものは十分にある
が、一人的なものはない。感性と情性とは、最も
集団的なるものを好むのである。
・・・・霊性的直覚は、孤絶性のものである。」

「神道は、宇宙生成論にその全面的意味を求めん
としているようである。」

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親鸞

「一般の日本人の心に食い入る力をもっている
ものは何かと言うに、それは純粋他力と大悲力
とである。霊性の扉はここで開ける。
・・・・
純粋の他力教では、次の世は極楽でも地獄でも
よいのである。親鸞聖人は「歎異抄」でそう言
っている。これが本当の宗教である。」

「親鸞をもって、日本人は”霊性”に覚醒した。
霊性に覚醒した、ということは”自由”を得
たということであり、純粋にものが見えるよ
うになったということでもある。
霊性の日本的なるものは、浄土系思想と禅で
ある。そしてそれらは、東洋を、世界を動か
す思想である。
以下、”霊性”という言葉が解りにくければ
直観、或いは、芸術的感性と置き換えて読ま
れても構わない。」

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弘法大師

「平安時代には、伝教大師や弘法大師を始め、
立派な仏教学者も仏教者もずいぶん出ている。
しかしわしは言う、日本人はまだ仏教を知らな
かった。」

「真言は或る意味では日本民族の宗教意識を握
っている。しかし真言の最も深いところはインド
的である。概念性に富んでいるので、日本人の
多数はそこまでは十分に到り得ない。」

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源氏物語

「「源氏物語」のような文学的作品は世界にな
いと言うが、こんなもので日本精神が、それが
なんであるにしても、代表されては情けない。」

「享楽主義が現実に肯定せられる世界には、宗
教はない。」

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茶 私の見方

「茶の極意に達せんとするには、
貧の何ものたるかを知らなくては
ならぬ。ただ貧を守るだけでは
駄目、貧の極意に徹しなくてはな
らぬ。貧に安んずるといってもい
けない。貧の哲学なるものを持た
なくてはならぬ。
貧の哲学が茶の哲学である。
貧の哲学は貧の極意に達する時
始めて会得せられる。
それなら貧の哲学とは何か。
貧の極意は、個(超對個)の意義
を看取するところに在る。貧とは
孤の義である、独りの義である。
「寥々たる天地の間、独立、何の
極まりかあらん」という詩がある。
この寥々、この独立に徹しなくて
はならぬ。天地の間、森羅万象の
中に在って而も寥々とは如何、極
まりなく展開して行く存在の真中
にいて、しかも独立するとは如何。
貧の極意をここに看破しなくては
ならぬ。茶の哲学はここに伏在す
るのである。
試みに茶碗を取り上げる。この茶碗
は「天上天下唯我独尊」底のもの
ではなくてはならぬ。この茶碗の外
に今一つあってはならぬ。二個の
同じ茶碗があっては、茶にならぬ。
茶に歴史的名器が貴ばれるのは、こ
の故である。
富める人には同じものを一つ以上も
持つことができよう。彼はこの器
で大宴会を催すことも可能である。
貧しきものには、一つのかけ茶碗
だけしかない。これで何もかも辨
ずるのである。この一が貧しきも
のの天地である、生活全貌である。
彼はこのかけ茶碗の中にその生涯
の全部を見るのである。
彼はかけがへを持たぬ。彼の生活
は絶対である。彼がこの茶碗を取り
上げて茶をすするとき、「寥々たる
天地」そのものがすすられるので
ある。
富める人はかけがへのきくものを
沢山所持している。即ち物をもって
いる。物は人でない。物には重複の
可能がある。人にはそれがない、
「唯我独尊」である。貧者にはこの
境涯がわかる。富者にはわからぬ。
彼は物を見る眼をもっているが、人
を見る心を持っていない。これは
貧でないとわからぬ。ただの貧では
いけない、貧の極意に徹しなくては
ならぬ。
この極意は一である。無一物の一で
ある。
茶は絶対の個一に徹するとき始めて
その真味を味わひ得ると、自分は考
える。富める者は、這裡の消息に
通じ得ぬ。
しかし茶は貧人よりも富者によりて
好かれるやうである。それにはわけ
がある。富者は茶によりて物も世界
から人に達したいと希ふのである。
人間には何れも自分の存在の奥底に
あるものに触れたいといふあこがれ
がある。このあこがれは多くの場合
無意識である。富者の場合には殊に
さうである。それでおのづから彼等
は茶に向ふ。人の発見をこれにより
て獲得したと考へるのである。固より
無意識であるが。
それ故、真の茶人は富者に媚びない。
貧しき者のかけ茶碗の中には、活きた
人がいる。これを作った人と、これを
用いる人とが対話している。かけ茶碗
は物でなくなる。これは使って茶を
飲む道具でなくて、茶を飲ませてくれ
る人である。生きたものの世界がここ
に開けて行く。
アメリカが全く機械の世界になって
行くのを気遣ふ者の心には、アメリカ
の富がすべてを物にする恐れがある
ことを忘れてはならぬ。
貧には、実際の生活の上において、
不便なことが多い。しかし貧の後に
はいつも人が動いている。この人を
閑却しないやうにしたい。ここに
東洋文化の或る一面の意義を認めて
よい。」

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茶の哲学

「貧の哲学が茶の哲学である。
貧の哲学は貧の極意に達する時
始めて会得せられる。
それなら貧の哲学とは何か。

貧の極意は、個の意義を看取する
ところに在る。

「寥々たる天地の間、独立、何の
極まりかあらん」という詩がある。
この寥々、この独立に徹しなくて
はならぬ。天地の間、森羅万象の
中に在って而も寥々とは如何、極
まりなく展開して行く存在の真中
にいて、しかも独立するとは如何。
貧の極意をここに看破しなくては
ならぬ。

貧しきものには、一つのかけ茶碗
だけしかない。この一が貧しきも
のの天地である、生活全貌である。
彼はこのかけ茶碗の中にその生涯
の全部を見るのである。

富める人はかけがへのきくものを
沢山所持している。即ち物をもって
いる。物は人でない。物には重複の
可能がある。人にはそれがない、
「唯我独尊」である。貧者にはこの
境涯がわかる。富者にはわからぬ。

茶は絶対の個一に徹するとき始めて
その真味を味わひ得ると、自分は考
える。

貧しき者のかけ茶碗の中には、活きた
人がいる。これを作った人と、これを
用いる人とが対話している。かけ茶碗
は物でなくなる。
アメリカが全く機械の世界になって
行くのを気遣ふ者の心には、アメリカ
の富がすべてを物にする恐れがある
ことを忘れてはならぬ。」

「禅の茶道に通うところは、いつも物事を
単純化せんとするところに在る。この不必要
なものを除き去ることを、禅は究極実在の
直覚的把握によって成しとげ、茶は茶室内の
喫茶によって典型化せられたものを生活上の
ものの上に移すことによって成しとげる。
茶は原始的単純性の洗練美化である。」

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霊性

「霊性の日本的なるものとは何か。自分の考
えでは、浄土系思想と禅とが、最も純粋な姿
でそれであると言いたいのである。
・・・・
神道にはまだ日本的霊性なるものがその純粋
性を顕していない。」

「日本的霊性の情性方面に顕現したのが、浄
土系的経験である。またその知性方面に出頭
したのが、日本人の生活の禅化である。
・・・
情性的展開というのは、絶対者の無縁の大悲
を指すのである。
・・・(そのことを最も明白にしているのは)
法然、親鸞の他力思想である。絶対者の大悲は
悪によりても遮られず、善によりても拓かれざ
るほどに、絶対に無縁、即ち分別を超越してい
るということは、日本的霊性でなければ経験せ
られないところのものである。」

「禅が日本的霊性を表詮(ひょうせん)して
いるというのは、禅が日本人の生活の中に根
深く食い込んでいるという意味ではない。
それよりもむしろ日本人の生活そのものが、
禅的であると言ったほうがよい。」

「知性的分別や道徳的当為の世界にだけ
生きていては、どうしても宗教的・霊性的
無分別の直覚地の機微はわかりません。
それはなぜかというに、道徳や知性からは
霊性的なものは出てきません、そこには
いつも対象的なものがあるので、自由が
きかない、そうして霊性的直覚の法界は
絶対に自由な場所です。」

「鎌倉時代になって、日本人は本当に宗教、即
ち霊性の生活に目覚めたと言える。」

「親鸞をもって、日本人は”霊性”に覚醒した。
霊性に覚醒した、ということは”自由”を得
たということであり、純粋にものが見えるよ
うになったということでもある。
霊性の日本的なるものは、浄土系思想と禅で
ある。そしてそれらは、東洋を、世界を動か
す思想である。
以下、”霊性”という言葉が解りにくければ
直観、或いは、芸術的感性と置き換えて読ま
れても構わない。」

「なにか二つのものを包んで、二つのものが
ひっきょうずるに(結局)二つでなくて一つ
であり、また一つであってそのまま二つであ
るということを見るものがなくてはならぬ。
これが霊性である。
・・・・
霊性を宗教意識と言ってよい。
・・・・
即ち霊性に目覚めることによって初めて宗教
がわかる。」

「霊性は民族がある程度の文化段階に進まぬ
と覚醒せられぬ。
・・・・
霊性の覚醒は個人的経験で、最も具体性に富
んだものである。」

「精神が物質と対立して、かえってその桎梏
に悩むとき、みずからの霊性に触着する時期
があると、対立相克の悶えは自然に融消し去
るのである。これを本当の意味での宗教とい
う。」

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古池や蛙とび込む水の音

この句は、芭蕉の師、仏頂和尚との対話から
生まれた。

仏頂和尚:世界が存在した以前に何が在るか。

芭蕉:蛙とび込む水の音

この対話の答えに、後に、初句、古池や、を
付加したものだった。

芭蕉の、この句は、「時間なき時間」を有する
永久の彼岸によこたわっている。

芭蕉の洞徹した「無意識」は、古池の静寂には
なくて、蛙のとび込む音にあった

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華厳

「華厳は、たがいに融通し、たがいに浸透し、たが
いに関連し、たがいにさまたぐることなしという考
え方に基づく。
この一切の相依相関を説く哲学が正しく理解される
時に<愛>が目覚める。」
「大乗思想の最高頂に達したもので、印度的表現形
式の巧妙を極めたものを「華厳経」とする。」

「華厳というお経は、・・・一口でいえば、われら
の世界観の上に根本的転回を起こすのを趣意とする。」

つまり、二元論からの離脱である。

「普通の宗教は局部的奇蹟に重きを
おくが故に、宗教を迷信化する。
これに反して、華厳は自分らが世界と
考えているものに対して、全面的奇蹟
を演出する。故に迷信を容れる余地がない。
まして科学だの、唯物だのというそんな
概念化したものの入り込む針の穴ほどの
隙間もない。
こういうことになるのを本当の宗教生活
というのだ。」

「もし日本に何か世界宗教思想の上に
貢献すべきものを持っているとすれば、
それは華厳の教説に外ならないのです。

今までの日本人はこれを一個の思想として
認覚していたのですが、今後はこれを集団
的生活の実際面、即ち政治・経済・社会の
各方面に具現させなくてはならないのです。」

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無為

「禅は無為を擁護したことは一度もない。」

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知性とは

「知性は、そのあるべき場においては有用であるが、
それが宗教の全域を支配しようとする時には、生命
の源を枯渇させてしまう。」

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無限とは

「有限なるものを離れて無限なるものはない。」

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道とは

「道とは、完全な”悟り”である。」

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平常心とは

「意識的でありながらしかも無意識であること、
これが<平常心>である。」

「意識を伴わないいわゆる無意識なるものは存在しない。」

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禅とは

「禅は、仏教の精神もしくは真髄を相伝するという
仏教の一派であって、その真髄とは、仏陀が成就
した<悟り>を体験することにある。」

「禅の意図するところは、つねには智慧が眠っている
意識の奥底から、その智慧を喚び覚ますことにある。」

「禅は、ようするに、自己の存在の本性を見抜く術で
あって、それは束縛から自由への道を指し示す。」

「禅は、宗教感情を正しい道に導くものであり、知性
に生命を与えるものである。」

「浄土門では、<信>がすべてであるが、禅ではこれ
に反して<見>もしくは<知>の働きが強調される。
ただしこれは論理的思考、論証の意味ではなく、直観
的把握をいう。」

「禅が全ての宗教に勝るのは、絶対者(キリスト教で
あればキリスト)が、自分であり、他者(第三者)
ではない、ということにある。」

「インドの空想と思惟力とがシナの平常道に融合
して、それが日本にきて日本で成長したのだから、
いわばすべてご馳走のうまいところをみな吸いあ
げたと言ってよい。そうしてそれが一方では禅と
なり、他方では浄土系思想として現れ、念仏とし
て受入れられた。」

「剣道に禅が大いに関係するなどいうと、
西洋人は一体どういうわけか、禅は一種の
宗教ではないか、剣は何といっても人を殺
すもの、この両者に何の関係があるべきか、
禅は人殺しに何の役に立つのかと、大いに
いきり立って、つめよるのである。
ことに剣は、自分を忘れ、敵を忘れ、殺す
の、生かすのというような分別も何もない
ところから、発足しなくてはならぬなどと
いうと、当地の人たちは、けげんな顔つき
するのが普通である。」

「「敵を愛せよ」も悪いではあるまい。が、
始めから「敵」など認めないのが東洋的聖
者の態度だ。」

「大拙は言う、「仏教とキリスト教の間に
は大なる相似の点あり」、ただ禅だけがそ
の両者を繋ぎ、「宗教をして宗教たらしむ」
のである。
禅こと「宗教の極致」にいたる唯一の手段
なのである、と。」

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まね(谷崎潤一郎)

以前、欧米人は、日本人を”さるまね”
民族と酷評したが、”まね”という技術
を極めるためには、己を、限りなく無に
しなければ出来ないことなのである。
そして、欧米人にとって、これが一番
苦手なことなのである。

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女(ニーチェ)

「愛または憎しみと共演しないとき、
女は凡庸な役者だ。」

「復讐と恋愛においては、女は男よりも
野蛮である。」

「女が学問的な傾向をもつのは、通常は
彼女にどこか性的に異常なところが
あるからだ。」

「脇役を演じる本能をもたないような
女は、化粧の天才をもたないであろう。」

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悪とは

「悪とは、弱さに由来するすべてのもの」
(ニーチェ)

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アインシュタイン

「人間の真の価値は、おもに、自己からの
解放の度合いによって決まる。」

「ある偶然の出来事を維持しようとする不幸な
試みを結婚という。」

「賞賛による堕落から逃れる方法はただ
一つ。仕事を続けることである。」

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「女嫌いと女好き」(萩原朔太郎)

「女嫌いとは、・・・人格としてではなく、
単に肉塊として、脂肪として、劣情の
対象としてのみ、女の存在を承諾する
こと。(婦人にたいしてこれほど・・・・・
冒涜の思想があるだろうか)
しかしながら、・・・多数の有りふれた
人々が居り、同様の見解を抱いている。
殆ど多くの、世間一般の男たちは、初め
から異性に対してどんな精神上の要求も
持っていない。
女性に対して、普通一般の男等が求める
ものは、常に肉体の豊満であり、脂肪の美
であり、単に性的本能の対象としての、人形
への愛にすぎないのである。
しかも彼等は、この冒涜の故に「女嫌い」と
呼ばれないで、逆に却って「女好き」と呼ば
れている。なぜなら彼等はどんな場合に
於いても、女性への毒舌や侮辱を言わない
から。
(「女嫌い」と呼ばれる人々は、女にたいして)
単なる脂肪以上のものを、即ち精神や人格
やを、真面目に求めているからである。
・・・・それ故に女嫌いとは?或る騎士的情熱
の正直さから、あまりに高く女を評価し、女性
を買いかぶりすぎてるものが、経験の幻滅に
よって導かれた、不幸な浪漫主義の破産で
ある。
然り!すべての女嫌いの本体は、馬鹿正直
なロマンチストにすぎないのである。」

家庭人
「すべての家庭人は、人生の半ばをあきらめて
いる。」

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「貧困」の信仰

「貧しいということ、すなわち世間的な事物、
富・力・名に頼っていないこと、しかも、その人
の心中には、なにか時代や社会的地位を超えた、
最高の価値をもつものの存在を感じること、これが
”わび”を本質的に組成するものである。・・・・

「貧困」の信仰、おそらくは日本のような国には
極めてふさわしい道である。
西欧の贅沢品や生活の慰安物がわが国を侵す
ようになっても、なお、”わび”道に対するわれわれ
の憧憬の念には根絶し難いものがある。

知的生活の場合でも、観念の豊富化を求めない
し、また、派手でもったいぶった思想の配列や
哲学大系のたてかたも求めない。
神秘的な「自然」の思索に心を安んじて静居し、
そして環境全体と同化して、それで満足すること
の方が、われわれ、少なくともわれわれのうちの
ある人々にとって、心ゆくまで楽しい事柄なので
ある。」

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暴行への対処

ソクラテスは妻のクサンチッペにバケツの水を
かけられた時、友人に、「何故、黙っているのか?」
という問いつめに、こう答えた。
「相手が人間だったら、私だって怒るよ」

「カトーが顔を殴られたとき、カトーはいきり立ちは
しなかった。侮辱に仕返しもしなかった。侮辱を
赦しもしなかった。彼はただ「侮辱などは全然
なかったよ」と言い切るのであった。」
(セネカ「賢者の毅然たる不動について」)

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最大の愚行

「最大の愚行は、何事のためにもせよ、
自己の健康を犠牲にすることである。
利得のためにせよ、栄達のためにせよ、
学問のためにせよ、・・・」

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俗物とは

「俗物とは、精神的な欲望をもたない人間である。」

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空とは

「空」という言葉は、仏教では二つの意味をもつた
めに、混乱を招いている。まず、

一つは、全てのものは、永久性をもたない、
という意味であり、

もう一つは、
万物は「空(絶対者)」に根ざし、この根ざすとい
うことを十分理解する限り、それは実在する、とい
う意味であり、

禅においての「空」は、この意味である。

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悟りとは

悟りとは、問いと自分が一体化することによって、問
う者が問題を解こうと努めなくとも解決がその一体性
から、おのずから生まれてくる状態である。
(大拙)

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職業

「一生のうちで一番大事なことは、
職業の選択である。」
(パスカル:パンセ-97)
「不道徳の最たるものは、自分の知らない
稼業をすることである。」
(ナポレオン)
<仕事探しに邁進せよ>
「貴方がたは、自分の個性が発展出来るような場所に
尻を落ち付けるべく、自分とぴたりと合った仕事を
発見するまで邁進しなければ一生の不幸である。」
(漱石)

「最も卓越した天分も、無為徒食によって
滅びる」(モンテーニュ)

「労働ほど人間を高尚にするものはない」

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源氏物語は好まない

「僕は漢文が好きだ。・・・・いわゆる
和文というものはあまり好かぬ。
また、漢文でも山陽などの書いたのは
あまり好かぬ。・・・漢文でも享保時代
のものはかえって面白いと思う。
西洋ではスチーヴンソンの文が一番
好きだ。力があって、簡潔で、クドクド
しいところがない、女々しいところがない。」

「いたずらにだらだらした「源氏物語」、
みだりに調子のある「馬琴もの」、「近松もの」
、さては「雨月物語」なども好まない。」
(漱石)

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天地草木

「世の中にすきな人は段々なくなります、
さうして天と地と草と木が美しく見えて
きます、ことにこの頃の春の光は甚だ好いの
です。私はそれをたよりに生きています。」(漱石)
(大正3年<1914>3月29日付、津田清楓宛書簡より)

「私は生涯に一枚でいいから、人が見て
ありがたい心持ちのする絵を描いてみたい。
山水でも動物でも花鳥でも構わない。
ただ崇高でありがたい気持ちのするやつ
を描いて、死にたいと思います。」(漱石)
(津田青楓宛書簡より)

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エジソン

「質素な食事は人生を快適にする。」

「前途の見通しが暗いときには、
将来の楽しい夢を語ることが肝心だ。」

「私は、人生を本当に楽しんでいる金持ちを
見たことがない。お金は人を幸せにしない。
それが私の結論だ。」

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物を知り物を愛すという事

「主観は自力である。客観は他力である。
我々が物を知り物を愛すというのは自力を
捨てて他力の信心に入る謂である。」
(西田幾多郎)

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文学とは何か

「今の日本の文壇がもし下らないならば、それは
芸者や、淫売婦のことを書くからではない、
自分の小さい生活範囲を書くからではない、
どんなものを書いても、そこを掘り下げることで
生命にふれる処までゆけばそれでいいのである。
そこまで、ゆかないからつまらないのである。」
(武者小路実篤)「文学とは何か」

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禅(鈴木大拙)

「自分の所存では、禅は一切の哲学および宗教の究極
するところである。
すべての知的努力は、もしそれが何か実際上の効果を
もたらすものであるとするならば、ついには禅に到らねば
ならぬ。否、むしろ禅から出発せねばならぬ。
一切の宗教的信仰もまた、もしそれが、いやしくもわれわれ
の実際生活において、有効に、かつ生き生きと働き得るも
のであることを立証しようというのなら、禅から生まれ出で
ねばならぬ。
だから禅は、必ずしも仏教徒の思想と生活の源泉であるに
とどまらない。」

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女性化する時代

「愛される美を求めるときに、そこに女風が始まる。
それは、精神の化粧である。「葉隠」は、このような
精神の化粧をはなはだにくんだ。」(葉隠:三島)

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葉隠入門

「戦争中から読みだして、いつも自分の机の
周辺に置き、以後二十数年間、折りにふれて、
あるページを読んで感銘を新たにした本といえば、
おそらく、「葉隠」一冊であろう。」

「行動の知恵と決意がおのずと逆説を生んでゆく、
類のないふしぎな道徳書。」

「「葉隠」の影響が、芸術家としてのわたしの生き方を
異常にむずかしくしてしまったのと同時に、「葉隠」
こそは、わたしの文学の母胎であり、永遠の活力の
供給源であるともいえるのである。」
(三島由起夫)

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大菩薩峠(中里介山)

「この小説「大菩薩峠」全篇の主意とする処は、
人間界の諸相を曲尽(きょくじん)して、大乗
遊戯(だいじょうゆげ)の境に参入するカルマ
曼陀羅(まんだら)の面影を大凡下(だいぼんげ)
の筆にうつし見んとするにあり。この着想前
古に無きものなれば、その画面絶後の輪郭
を要すること是非無かるべきなり。読者、
一染(いっせん)の好憎に執し給うこと勿れ。
至嘱(ししょく)。」(巻頭の言葉:大菩薩峠)

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読書について

「自分の思想というものを所有したくなければ、その
もっとも安全確実な道は暇を見つけしだい、ただちに
本を手にすることである。」
(ショウペンハウアー:「読書について」岩波文庫)

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ショーペンハウエルの影響を受けた人々

ハルトマン、ニーチェ、ヴァーグナー、トルストイ、フロイト、プルースト、
トマス・ハーディ、トーマス・マン、ベルクソン、ヴィトゲンシュタイン、
ユング、ジッド、シュレジンガー、アインシュタイン、森鴎外,萩原朔太郎
・・・・
哲学・文学・音楽・理論物理学・・・分野が広い!

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